ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

大学病院の奈落 高梨ゆき子 群馬大学病院事件の真相と救いのない展開

2018年02月13日 | 読書日記

大学病院の奈落 高梨ゆき子 難しい腹腔鏡手術に猛進した医師とチェック機能の不在が生んだ悲劇

 何とも悲惨な話である。前橋市にある群馬大医学部付属病院で難易度の高い消化器内視鏡(腹腔鏡)手術の「失敗」から8人もの患者が術後すぐの短かい期間に次々に命を落とした「医療過誤」事件。読売新聞医療部取材班のキャップとして事件を発掘した記者の著書である。記事は2014年11月14日朝刊の一面トップに掲載され、同紙はその後も特ダネを連発し、2015年の新聞協会賞に輝いた。他紙の追随を許さない立派なスクープだった。

 問題の執刀医は事件が明るみに出てほどなくして退職したが、その後、懲戒解雇相当と判断され、退職金は不支給となった。監督責任を問われた上司の第2外科教授は諭旨解雇相当として退職金の減額を受けた。ほかに直接の当事者ではない医師数人が比較的軽い処分を受けている。当時、事件の全容について詳しくは知らなかったが、悲惨な事件だなと思った記憶がある。

 これより少し前、千葉県がんセンターでも腹腔鏡を使った手術で患者の死亡が相次ぎ、同紙を含め、メディアで大きく取り上げられた。またかと思った人が多かっただろう。

 海外のことは知らないが、消化器内視鏡による手術は日本で数多く行われている。大きな話題になったのは2006年、ソフトバンク・ホークス監督だった王貞治氏が胃がんとわかり、胃を全摘するのに腹腔鏡手術を選択したことだろう。これは名手の手で成功した。

 ふつう胃の全摘だとお腹を大きく切開するが、腹腔鏡手術だといくつかの比較的小さな穴を開け、そこから器具を入れて手術する。手術の傷跡が小さくすむうえ、身体の負担も比較的少なく、回復が早いのが利点だという。ただそれぞれの手術法には利点と欠点がある。腹腔鏡手術は開腹手術に比べ、手術を行う医師の視野が大きく制限され、細かい処置がしにくくなるのは欠点だろう。手術中に大出血など予期せぬトラブルが起きた場合、対応が難しくなる。医師の技量に大きく左右される手術でもある。

 群馬大病院の場合、消化器の中でも、肝臓を中心とした肝胆膵の手術が腹腔鏡で行われていた。肝臓は血管の塊のような臓器で、出血しやすく、もともと手術の難易度は高い。自覚症状が出にくいため、沈黙の臓器とも言われる。体内の解毒作用を担うため、肝臓が機能不全(肝不全)に陥ると全身に有害な物質がまわり、肝性昏睡という状態に陥る。こうなると肝臓移植以外には助からない。海外では脳死者から提供を受ける肝移植が一般的だが、ドナーの絶対的不足から日本では肉親から肝臓の一部の提供を受ける生体肝臓移植が広く行われている。肝臓には再生機能があるので、提供者の肝臓も再生するが、手術の失敗などから、健康だった提供者が死亡する悲劇もまれに起きている。

 群馬大の場合、第2外科の助教(助手)だった40代の医師が腹腔鏡による肝臓手術を実施していた。この医師は、腹腔鏡手術での患者の死亡のほか、開腹手術でも5年間に84人中10人が術後3カ月以内に死亡していた。術後3カ月以内という早期の死亡は手術自体がうまく行かなかった可能性が高い。これからみても到底、肝臓手術の名手とはいえない。

 肝臓の開腹手術の死亡率が12%と他の施設に比べ、異常に高いことを報じたのも読売新聞だった。続報は12月22日朝刊で、初報で遅れをとった他紙は呆然としたに違いない。

 著者は腹腔鏡手術による死亡例を遺族から丹念な取材で詳しく取材している。多くは血管や臓器の縫合や処置が不完全で、腹腔内に出血したり、感染症を起こして敗血症になったり、腹腔内での多量の出血によるショックで死亡していた。患者が最後まで苦しみ、家族もいたたまれない状況の悲惨な死だった。いずれも手術の失敗、不完全さが主な原因だったといえそうだ。

 著者は技量の適格性を欠いた医師によるこうした手術が病院内部で、何のチェックもないまま、漫然と続いた群馬大病院の体質を鋭く告発する。上司の教授は最後まで監督やチェックをせず、部下の医師の「暴走」を放置していた。驚いたことに、同大には消化器外科をも担当分野としている第一外科があったが、第2外科とは激しいライバル関係にあり、協力どころか反目するだけで何の対応もしなかった。後に第一外科教授も処分を受けている。

 著者は第2外科助教の暴走をとめられなかった理由をいくつかの観点から分析する。ひとつは群大病院が群馬県内最高峰の病院で、地元ではだれもその権威を疑っていなかったこと。もうひとつはきわめて複雑で激しい学内抗争の存在だ。

 医学部の臨床系教授のポスト争いをめぐっては山崎豊子の「白い巨塔」はじめ、小説やノンフィクションでさまざまに取り上げられている。小説そのままの事例が起きているわけではないが、教授選をめぐるゴタゴタや遺恨による反目は今でもいたるところで耳にする。

 評者が医学担当だったひと昔前、医療機関や大学病院の医師名簿は必携だった。どちらも結構な値段で市販され、製薬会社の営業担当者や新聞社の医療担当取材部門は最新版をとりそろえていた。一番の情報は教授や准教授、講師、助教の名前ではなく、その人物の出身大学と卒業年次だった。名簿にはむろん、専攻領域も記載されている。大学や病院によってはそうした情報を公開しないところもあったが、ほとんどの病院ではそうした項目が重要情報として掲載されていた。

 評者にはそのころまでの知識しかないが、群馬大の場合、東大系という認識が強かった。つまり医学部や病院の主要ポストを東大や旧帝大出身医師が占め、そこに地元群馬大学や他大学の医師が割って入るという構図だ。医療過誤の起きた当時、第一外科教授は旧帝大の九州大学出身、一方の第2外科は群馬大出身で、問題の手術をした医師は教授の後輩だった。

 今でもそうだと思うが、旧帝大医学部の場合、臨床系教授で母校出身者以外が入るのは珍しい。逆に群馬大のように母校出身者の比率が比較的少ない(おそらくは半数以下)ところには旧帝大系の出身者が割り込むことが多い。その名簿を見て、ここは東大系とか、やはり私学の雄で影響力の強い慶応系などと判断していたわけだ。大病院の場合も同じで、東京・虎ノ門病院は東大系、済生会中央病院は慶応系などと色分けされている。大病院は院長も臨床系教授を経て着任する場合が多い。そうした病院だと各科の医師も大半が院長出身の大学から派遣されている。

 群馬県内のことは知らないが、腹腔鏡手術で懲戒免職相当とされた医師は群馬大出身で前橋赤十字病院から呼び戻されていた。教授のお気に入りの後輩だったことは間違いない。

 こうしたシステムは、母校のツテをたどれば若手や中堅医師を安定的に派遣してくれるシステムとなって、大学病院にも派遣先にも好都合だ。今は臨床研修制度が実施されているので大きく変化していると思うが、評者が取材していた当時はまさにそうだった。意外かも知れないが、大学病院や大病院に勤務する医師ほど人事情報に敏感な人もいない。つまらない話だが、評者もこうした類の害のない話を耳に入れ、見返りにささやかな情報をもらったことも少なくない。

 前橋市は県庁所在地だが、医学部が県内のほかにあるわけではなく、大学病院は屹立した存在だ。患者や家族が大学病院に何の疑問も感じず、大学病院で手術を受けられること自体に感謝していたのは事実だろう。死亡した8人のうちには群馬大病院に勤務していた20代の若い看護師も含まれている。彼女も自分が勤務する病院の手術に問題があるとは思わなかったに違いない。

 こうした悲劇が伝えられるたびに感じるのは、大学病院の風通しの悪さと何かトラブルや事件が起きたときの「隠蔽体質」である。群馬大の場合はそれが最悪の形になってあらわれた。

 患者や家族は手術の必要性と腹腔鏡による手術なら傷も小さく、回復も早いと腹腔鏡手術のメリットだけを伝えられ、手術を承諾したという。大半の患者は肝臓やその周辺のがんで手術の必要性はあっただろうが、それを腹腔鏡下で行う必然性はあまりなかったようだ。

 東京など大都市ではがんで手術する場合、手術方法の選択や、そもそも手術が必要かどうかについてセカンドオピニオンをとることがかなり一般的になってきた。積極的にセカンドオピニオンをとるよう勧めている病院もある。専門医によるセカンドオピニオンがとれれば、手術のリスクについて詳しく説明を受けたり、場合によっては別の治療法を選択したりすることもできる。患者や家族が十分納得している方が、治療効果が上がることは間違いない。

 ただ群馬大では腹腔鏡手術のメリットが強調されただけで、失敗のリスクなどネガティブな情報はいっさい説明されなかったという。術者が難易度の高い手術を行うだけの十分な技量を持っていなかった場合、それは「人体実験」とも言うべき危険を伴う。

 評者も医学記者時代、親しくなった医師に頼んで手術の現場を何度か見せてもらった。生体腎移植、肝臓がんの手術、日本から出張してドイツで、まだ日本では実施されていない肝臓移植を見せてもらったこともある。肝移植は手術開始から終わるまでが約10時間、手術を担当する4人ほどの医師と数人の看護師だけでなく、見学した評者も立ちっぱなし。トイレにも行けず、水も飲めず、食事も抜きで、これは本当に大変な仕事だなと痛感した。

 医師でタバコを吸う人は珍しいが、当時の外科医には喫煙者が多かった。手術前の緊張を和らげるため、何本も吸う人も珍しくなかった。多くの外科医は手術となると燃えて、難手術ほど体内からアドレナリンが多く出るような印象があった。

 多くの患者を死なせた問題の助教も手術好きだったようだ。患者の死亡は伏せて学会発表もしていた。その意味ではどこにもいるタイプの手術好きの消化器外科医だったのかもしれない。

 その暴走をなぜ食い止められなかったのか。これは誰しもが感じる疑問だ。

 これは本書が詳しく書くところだが、最大の問題は院内や診療科内のチェック体制の不備だろう。群馬大第2外科の場合、肝胆膵の手術を実施していたチームは第2外科のうちでも、問題の医師を中心とする2、3人で、他の医師は腹腔鏡手術の状況をまったく知らなかった(あるいは見て見ぬふりをしていたのかもしれない)。監督責任を負う教授は手術が得意ではなかったようで(外科系教授で手術が不得手という人は意外に多かった)、助教はやりたい放題だったようだ。通例、大学病院の医局では手術前や術後、カンファレンスと呼ばれる症例検討会を開き、内部で意見交換する。主に中堅やベテランが若手を指導する場だが、風通しのいい医局ほど頻繁に開かれ、率直な意見交換がされる。たとえば「手術の適応」というが、その患者をがんと診断した理由、今回、その手術を選択する理由を主治医はきちんと説明できなければならない。だが、本書ではこうした意見交換についてはまったく記述がない。カンファレンスが開かれなかったのだろうか。

 取材は遺族や大学から事後の検証を引き受けた専門家が中心なので、残念ながら第2外科内部の情報はほとんどない。加えて第2外科以外の病院内の様子もはっきりしない。他科が第2外科など外科系をどうみていたのかも分からない。これが閉鎖社会の大学病院への取材の限界なのか、群馬大特有の問題かもはっきりしなかった。その一方で、筆者は今回の医療事故を日本の医療、とくに大学病院の医療の問題に一般化し、広げようとしている。そうした側面は確かにあるだろうが、本書に出ている例証だけでは不十分なようにも見える。

 評者がやや疑問に思ったのは今回の医療過誤の場合、どこまでが群馬大特有の問題で、どこまでが日本の医療、とくに大学病院の医療に共通する問題かが判然としなかったことだ。その意味で、少し問題を広げすぎたのではないかという気がしないでもない。大学病院の診療体制は厚生労働省の方針にかかわるところが大きいが、そこも残念ながらはっきりしない。消化器外科、とくに腹腔鏡手術は大学病院と大病院のほとんどすべてで実施されているはずだが、実績を上げている専門家が今回の事件を本音ではどう受け止めているのか、そのあたりも今ひとつはっきりしなかった。

 やや苦言を呈することになったが、そうした根本的、構造的な問題はいかに個人が優秀でも、ひとりの記者には負えないような大きな問題だ。本書は新聞協会賞を受けた取材班の代表となった記者の手になるが、新聞記事としてはその力を発揮したはずの取材班のチームワークが、本書の内容には十分に生かされなかった恨みがあるのかもしれない。

 あとがきにも筆者が本書を書くに至った経緯は書かれていないので、状況はわからないが、評者の経験だと、こうした問題は記事を執筆した取材班がそのまま単行本化にも取り組むのが一番、チームワークの力や情報が生きる。巻末に取材協力者として前橋支局の4人、医療部の同僚3人の名前が出ているが、具体的な貢献は書かれていないので、分担はわからない。ややうがった見方をすれば、筆者は自分の著書として本書を送り出すことにこだわりがあったのかもしれない。

 本書では執刀医は早瀬医師、第2外科の教授は松岡教授と実名を伏せ、名前を変えて掲載されている。だが、これは実名でよかったと思う。執刀医は須納瀬豊医師、教授は竹吉泉教授だ。ネットで検索しても実名が出て来るし、刑事事件になってもおかしくないくらい深刻な医療過誤だった。ほかの登場人物はすべて実名なので、匿名にした理由を疑問に思った(当然ながら患者の名前はすべて伏せられている)。単著として世に送り出した以上、筆者にはこの問題に引き続き、全力で取り組んでもらうよう強く希望しておきたい。