ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

戦争がつくった現代の食卓 アナスタシア・マークス・デ・サルセド アメリカ陸軍の驚くべき戦闘糧食開発の歴史と食卓の支配

2018年02月07日 | 読書日記

戦争がつくった現代の食卓 アナスタシア・マークス・デ・サルセド 田沢恭子訳 アメリカの軍隊の本当の強さは戦闘糧食にあった?!

 「腹が減っては戦(いくさ)はできぬ」というフレーズはよく耳にするが、アメリカ陸軍が戦闘糧食開発専門の研究所まで持っているというのには驚いた。本書には「軍と加工食品の知られざる関係」という副題がついている。

 著者のサルセド氏はアメリカのフードライター。食品専門の雑誌やボストンの地元紙ボストン・グローブにも寄稿し、PBSという公共放送にも出演しているそうだ。小さい頃から料理が好きでたまらず、子どもたちのランチボックス(弁当)もすべて手作り。料理好きがこうじてフードライター(食品評論家?)になったそうだ。冷凍食品を温めるだけというアメリカの多くの家庭から見れば垂涎の的の料理好きに違いない。

 腕っこきのフードライターが取材を深めていくうち、今は多くの家庭で食卓を支配するようになった工場製の加工食品に関心を持ち、どういった製造方法が用いられているのか、賞味期間を長くするためにどういった食品加工技術が用いられているかを調べていくうち、地元のボストン郊外にあるアメリカ陸軍ネイティック研究所という研究機関の存在を知った。

 ネイティック研究所は主に陸軍兵士のために戦闘糧食(レーション=Ration=という)を開発する研究組織。第2次大戦後まもなく前身の組織が設立され、今では30ヘクタールという広大な敷地に研究者や多数の技術者を擁している。アメリカ国内の大学の食品科学関係学部や大手からベンチャー企業まで多数の食品メーカーと共同研究や技術提携をしている。

 といっても何のことやら見当がつかないが、NASA(航空宇宙局)の先端科学技術が民間に開放され、通信技術や断熱素材などでいくつものブレークスルーを生んだように、食品の世界ではレトルト食品からフリーズドライ(凍結乾燥)、濃縮還元ジュース、成形肉など、われわれがふだん食卓で目にしている食品加工技術の多くがこの研究所から世に出たのだという。筆者は自宅近くのスーパーを歩いて、もしネイティック研究所発の技術がなければ店の棚の半数以上は空っぽになっている、とびっくりするようなことを言う。

 著者は「アメリカのフードライター界の悪女」を自認し、軍の研究所は当初、相当身構えていたという(これは著者の強がりのような気がするが)。ところが、何度かの取材の結果、「悪女」はまるでネイティック研究所に恋でもしたように考え方を180度変えてしまう。

 「私は新たに獲得した食品科学のリサーチ能力を駆使して、今度は子どもの弁当について調べてみた。すると、うれしくない驚きが待っていた。私が子どものためにせっせと"用意”していた弁当は、環境への負荷、栄養価、鮮度などのいずれの基準でも、さんざん悪者扱いされている学校給食に及ばなかった」「クラッカー、エナジーバー、サンドウィッチ、ニンジン、ブドウの入った弁当を、標準的な給食と比べてみた。給食のメニューは、ソースのかかったチキンテンダー、玄米、冷凍ニンジンをゆでたもの、缶詰の桃のシロップ漬け、牛乳。結果は給食の圧勝だった。給食で使われる食材の多くは大型の袋や缶で納入されるので、容器や包装のごみが抑えられる。一度に調理する量が多いので、一食あたりの燃料消費量はゼロに近くなる。これと比べて、祖父母や曾祖父母の世代が今どきの手作り弁当から出るゴミの量を見たら、びっくりして心臓が止まってしまうのではないだろうか」。

 やや大げさな表現だという気はするが、著者はきっと非常に純粋で正直な人なのだろう。ここまで驚きを素直に表現できる人は多くない。

 だが、評者もアメリカ陸軍が戦闘糧食の開発にかける持続的な熱意と努力に驚いた。戦闘糧食はその名のとおり、兵士が戦地で食べる食事である。軍隊の活動地域は灼熱の中東の砂漠から熱帯の湿原やジャングル、冬のアラスカや朝鮮半島の凍てつく寒冷地まで気候も場所もさまざまだ。

 こうした前線に展開する兵士のためにMREとファースト・ストライク・レーションという戦闘糧食を準備している。MREというのはMeal Ready-to-Eat(すぐに食べられる食事)、ファースト・ストライク・レーションというのは最前線で銃を持ったままでも食べられるような高カロリーの食事だ。これが兵士一人一人に一食ずつ配られる仕組みだ。

 驚くのはこれがコッペパンのような乾いた食事ではなく、戦地の塹壕の中でも、水をいれるだけで化学反応で加温する温かい食事まで食べられることだ。品数もあり、デザート的な付け合せまでそろっていて、栄養だけでなく、兵士の嗜好まである程度は満足できるようになっている。

 もちろん余裕があるところではキッチンカーで調理したステーキのような食事があるようだが、イラクやアフガンの前線でそんなぜいたくは言ってはいられない。兵士はそれぞれが携行した糧食を手早くプラスチックやアルミの包装を破って、口に入れることになっている。

 これがまた驚くべきすぐれもので、温帯(27度)の気候なら3年以上、熱帯の極端な暑さ(50度)でも半年は持つように作られている。さらにパラシュートで上空から落としても壊れないばかりか、たとえ兵士を直撃したとしても傷つけないような包装だというからちょっとびっくりする。

 戦闘糧食についてまったく知識のなかった著者はネイティック研究所の研究成果の素晴らしさと、科学者、技術者の熱意と努力にすっかり惚れ込んでしまった。

 糧食にはまったく知識のない評者は、200年前のナポレオンの時代、遠征するフランス軍兵士のために缶詰が開発されたというエピソードくらいしか知らない(当初は缶でなく瓶だった)。あるいは日露戦争当時、白米ばかり食べていた日本陸軍がビタミンB1欠乏症のひどい脚気に悩まされ、戦力低下に悩んだ(多数の死者が出た)という程度だ(糧食も含めた健康管理の総責任者だった軍医総監は森林太郎=鴎外)。海軍は麦飯を食べていたので、陸軍のような悲劇は起きなかった。

 軍隊にとってそれだけ糧食は大事なのだが、第2次大戦で兵站を軽視した旧日本軍はとくに南方の前線で食料の欠乏やマラリアなどの風土病に苦しむ。南方では戦死者の大半が戦闘によるものでなく、いわゆる戦病死、とくに悲惨な餓死者が多かった。中国戦線では食料を狙った農村部での略奪が横行した。それでは安定した支配はできない。余計なことだが彼我の差を痛感せざるを得ない。

 著者が感激したのは研究所に配属されている広報担当将校の誠実で手際のよい対応によるところも大きいようだ。デイヴィッド・アクセッタ中佐で、いつもメールには「全力投球! デイヴィッド」とあるという。職務に忠実で、いかにも米軍にいるタイプのエネルギッシュな将校だと思う。

 評者もワシントンでの勤務中、2、3度米軍基地を取材する機会があった。一回は西部にある空軍基地で、最先端ミサイル開発についての取材だったが、応対してくれた空軍大佐は穏やかで実に感じのいい人だった。米軍は広報担当にこうした人材を配置するようにしているのかもしれない。沖縄の海兵隊などはちょっと違うような気もするが。

 それはさておき、日本人として読み進むと本書には時折、気になる表現が見つかる。戦闘糧食の開発の歴史を概観する中、第2次大戦のくだりでは「1945年7月にはアメリカ軍がフィリピンを奪還していたが、日本に対する最終攻撃で多数の死傷者が出ると予測された。これ以上の流血を避けたいと考えたアメリカは、戦争のための科学研究プログラムが生み出した死の花を咲かせる決定を下した。第2次世界大戦は2つの巨大な爆発音とともに終結した。8月6日に広島、9日には長崎の街が原子爆弾によって消滅したのだった」。

 これはアメリカで「公式の物語」として語られている原爆投下正当化のストーリーである。評者は第2次大戦終結50年の1995年にワシントンに居合わせたが、アメリカでは良識派の奮闘にもかかわらず、この神話を覆すことはできなかった。ワシントンにある国立スミソニアン航空宇宙博物館が原爆投下の悲惨さを含め、その実像を明らかにしようと原爆展を企画したが、退役軍人会や空軍OBの強い反対で挫折した。賛成、反対の両派が激しい議論を交わす中、地元紙ワシントン・ポストが第2次大戦当時の日本軍の残虐さに焦点を当てるキャンペーンを連日、張った。ある朝、1面トップにフィリピンで日本軍の捕虜になった米軍兵士が炎天下、収容所までの長い道のりを歩かされ、多数の犠牲者が出た「バターン死の行進」の写真が大きく掲載された。ポストの意図は明白で、こうした残虐行為を続ける日本に原爆を投下するのは当然というわけだ。この記事を見て、「原爆展はもうだめか」とため息が出た。展示を企画した博物館の館長はそれから間もなく更迭された。

 サルセド氏は原爆投下の経緯にそれほど関心があるように見えないが、その人がごく自然にこうした表現をするのは公式の物語を疑わないからだろう。余計なことだが、本書にはもう一箇所リトルボーイとファットマンという表現が出てくる。広島と長崎に落とされた原爆にアメリカ軍がつけた「ニックネーム」である。別のところでも「バターン死の行進」が記述され、「その行程で少なくとも5200人のアメリカ兵が死亡した」と記されている。

 本題に戻ると、本書に紹介されている興味深いエピソードは評者ばかりか、アメリカ人の多くが知らないことばかりだろう。だからこそアメリカでそれなりの支持を得て、日本語にも翻訳されたはずだ。ただ評者が読んでいてやや気になったのは食品科学の専門家の査読を経たためかもしれないが、食品加工や処理の技術に関する記述がまるで、高校の化学や物理の教科書を読むように生硬で、こなれていないのと、見たまま、聞いたまま、調べたままを、そのまま書き連らねているので全体があまり整理されていない印象を強く受けた。

 たとえばネイティック研究所の広さはすぐに出てくるが、そこにどれくらいの人がいるのか、研究職は何人、技術職はどれくらい、学位を持った人は何人、組織はどうなっているかがわからない。読み進むうち、「あれ!これはどうなっているんだっけ?」と思い返すことが幾度もあった。

 読了した後、少し頭を整理しようとネイティック研究所について調べてみた。

 US Army Natick Soldier Researchというのが正式名称(Natickは地名)で、ネットで検索すると研究所のホームページが出てくる。研究所が開発した戦闘糧食がいかに戦地の兵士に貢献しているかが豊富な写真とともにわかりやすく紹介されている。灼熱の戦地、寒冷の戦地、果ては海軍兵士の胃袋にも大いに貢献していることがよくわかる。評者は読み飛ばしたが、糧食のメニューも紹介されている。本書に関心を持つ方は、このページを先に読むと本書を理解しやすいと思う。

 評者が昔、雑誌の編集者だった経験から言えば、原著の編集者がもう少し、内容を整理してくれているとわかりやすかったのになと思う。翻訳の段階でそうした作業は無理なので、これはひとえに著者と編集者の責任だ。翻訳はこなれていて読みやすいが、食品や戦闘糧食関係の専門用語が頻出するので、どこかにまとめて注記があった方が親切だった。原著の参考文献や引用の注釈が丁寧に入っているのには感心したが(これは著者の生真面目さの現れだろう)、日本の読者向けには簡単な索引や用語集があると理解の助けになったと思う。

 いずれにせよ、類書はほとんどないはずだから、この分野に関心を持つ人には必読の書物に違いない。紹介されているエピソードはいずれも実に面白い。だが、著者も気になったとみえて、最後に少し触れているが、最新の食品加工技術の紹介にこだわる余り、必ずしも安全性が検証されていない食品がすでに世に出回っている問題をもう少し取材しても良かったのではないだろうか。とくに食品の場合、便利さ手軽さと引き換えにせざるを得ないものもあるはずだ。それが戦地ならともかく、便利さや手軽さゆえに、われわれの日常に入り込んで、すでに食卓のかなりの部分を支配しているというとなおさらのことだからである。