出会い♪
2006年11月13日 | 私
朝から雨…
ブツブツ言いながら出かけた娘。
娘にあきれられながらも、
今日こそは、ブログの更新を!とPCにかじりついてた私。
でも、
ちょっと小休止してお買い物に行ってきた。
ちょうど、雨もあがってることだし、と。
そして、スーパーで
あるおじいちゃんとお友達になりました。
きっかけは、ビニール袋。
最近、無料の袋をおかなくなるスーパーがどんどん増えている。
近所のスーパーも先週から、ついに袋なしに。
特にいっぱい買い物があるわけではなかったけど、念のため、買い物袋2枚(スーパーオリジナルのビニール袋)持っていった。
レジで、私の前にいたおじいちゃん、袋がなくなったことしらなかったみたい。お顔はアジア系。言葉、カタコト。(私よりは上手だけど)
支払いがすんで、ハテ、どうしたもんかと困って、モタモタ…スーパーオリジナルのビニール袋1枚2,30円なんだけどさ。レジの人もしっかり説明してあげたらいいのに。後ろのお兄ちゃんは、これみよがしに、大あくびにため息。待ってあげようよ。
だからね、私が持っている袋を1枚差し上げたの。そして、袋にいれてあげるのも手伝ってあげたのね。
おじいちゃんは、「ありがとう。ベトナム人?中国人?」と聞く。ここモンスでは、最初から「日本人?」と聞かれることはめったにないのだ。だって、少ないから。「日本人」だと答えると、「お~、私は戦争中、通訳をしていたんだよ」って、日本語で話し始めたの。ビックリ!おじいちゃんは、奥さんに2年前に先立たれ、今は1人暮らし。お子さんは9人いるそうだけど、アメリカなど、いろんなとこに住んでいて、娘さん2人はブラッセルでベトナムレストランをやってるとか。
60年代に東京にも行ったことがあるそうだ。
戦争後、ベルギーに来て、今はベルギー国籍なんだって。
(今、思うと、おじいちゃんの言う戦争中っていうのは太平洋戦争で、戦争後っていうのはベトナム戦争のことかな?)
「日本語を話したくても、日本人いないからね、ぜひ、遊びに来て」と言ってくださった。「あたなに会えて、よかった、うれしいよ」とも。
80歳だというおじいちゃん、すごいね、日本語が次々に出てくる。
連絡先をいただいたので、
週末にでも早速、連絡してみよっと。
ところで、
これも何かの縁?
土曜日に、戦争のドキュメンタリー番組をたっぷり見たのだ。
ロンドンに引っ越す知人がくださったビデオ。ぽちたまや相棒、月10万円で暮らすなどをたっぷり堪能。他にみのさんの健康番組、たけしの辛口番組、時事放談や、戦争ドキュメンタリーもあった。ドキュメンタリーは見るのがつらくて、後回しにしてたんだけど、主人が見るというから…
「泰緬鉄道を世界遺産に」と申請を続けていらっしゃる元通訳兵の方のドキュメンタリーがあった。日本兵は、その地で何をしたのか?
世界遺産として残し多くの人々に知ってもらいたいという、1万数千人の遺骨の発掘に立ち会われた体験が、元通訳兵の方を動かしているのだ。
・・・私ごときが、こう簡単に書いてはいけないね。
だから、今日出会ったおじいちゃんが「通訳をしてました」というのを聞いて、数倍びっくりしたわ。
しかし…戦争の話は、もっともっと語り継がなくてはいけない。
サイパンのドキュメンタリーを見て、
今ではリゾート地となっているサイパンに、戦時中多くの日本人が住み、
「生きて辱めをうけるよりは死を」…と、多くの日本人が、家族全員で自決したことを知らなかった。その中で、「生きたい」と思い、生き残った方々の証言は重い。そして、サイパンで生き残った人々(捕虜となった人)が多かったにもかかわらず、本土の新聞には「サイパン島玉砕」と華々しく、美化された報道がなされた。そのとき、本当のことが伝えられていたら、沖縄での悲惨な自決は防げた…そんな証言が重い。
そのときに生きていたら、私はどうしていたか?
広島のドキュメンタリーは、途中で「ごめんなさい」
もう、見ることができませでした。
主人は全部見たようです。
翌朝、はれぼったい目をしていた主人。
涙なしでは見れなかったのでしょうね。
小学校3年生のある男の子、A君の話。
彼はインター系の学校に通っている。大の仲良しは韓国人の男の子。
でも、なんかの拍子に「日本人、きらい」と言われるそうだ。
彼は、私の知人のHさんに満州時代の話をきく機会があり、「韓国はそのとき、どうだったの?」と質問。Hさんも子供相手にどう説明したらいいものやら…彼も、70代のHさんの話をどこまで理解できたか。
ここに住んで、いろいろな国の人と友達になって、仲良くすること、とても大切なことなんだよ…そんなHさんの気持ちは十分通じたことだろう。
今日、出会ったおじいちゃんとはどんな話ができるのだろう。
ブツブツ言いながら出かけた娘。
娘にあきれられながらも、
今日こそは、ブログの更新を!とPCにかじりついてた私。
でも、
ちょっと小休止してお買い物に行ってきた。
ちょうど、雨もあがってることだし、と。
そして、スーパーで
あるおじいちゃんとお友達になりました。
きっかけは、ビニール袋。
最近、無料の袋をおかなくなるスーパーがどんどん増えている。
近所のスーパーも先週から、ついに袋なしに。
特にいっぱい買い物があるわけではなかったけど、念のため、買い物袋2枚(スーパーオリジナルのビニール袋)持っていった。
レジで、私の前にいたおじいちゃん、袋がなくなったことしらなかったみたい。お顔はアジア系。言葉、カタコト。(私よりは上手だけど)
支払いがすんで、ハテ、どうしたもんかと困って、モタモタ…スーパーオリジナルのビニール袋1枚2,30円なんだけどさ。レジの人もしっかり説明してあげたらいいのに。後ろのお兄ちゃんは、これみよがしに、大あくびにため息。待ってあげようよ。
だからね、私が持っている袋を1枚差し上げたの。そして、袋にいれてあげるのも手伝ってあげたのね。
おじいちゃんは、「ありがとう。ベトナム人?中国人?」と聞く。ここモンスでは、最初から「日本人?」と聞かれることはめったにないのだ。だって、少ないから。「日本人」だと答えると、「お~、私は戦争中、通訳をしていたんだよ」って、日本語で話し始めたの。ビックリ!おじいちゃんは、奥さんに2年前に先立たれ、今は1人暮らし。お子さんは9人いるそうだけど、アメリカなど、いろんなとこに住んでいて、娘さん2人はブラッセルでベトナムレストランをやってるとか。
60年代に東京にも行ったことがあるそうだ。
戦争後、ベルギーに来て、今はベルギー国籍なんだって。
(今、思うと、おじいちゃんの言う戦争中っていうのは太平洋戦争で、戦争後っていうのはベトナム戦争のことかな?)
「日本語を話したくても、日本人いないからね、ぜひ、遊びに来て」と言ってくださった。「あたなに会えて、よかった、うれしいよ」とも。
80歳だというおじいちゃん、すごいね、日本語が次々に出てくる。
連絡先をいただいたので、
週末にでも早速、連絡してみよっと。
ところで、
これも何かの縁?
土曜日に、戦争のドキュメンタリー番組をたっぷり見たのだ。
ロンドンに引っ越す知人がくださったビデオ。ぽちたまや相棒、月10万円で暮らすなどをたっぷり堪能。他にみのさんの健康番組、たけしの辛口番組、時事放談や、戦争ドキュメンタリーもあった。ドキュメンタリーは見るのがつらくて、後回しにしてたんだけど、主人が見るというから…
「泰緬鉄道を世界遺産に」と申請を続けていらっしゃる元通訳兵の方のドキュメンタリーがあった。日本兵は、その地で何をしたのか?
世界遺産として残し多くの人々に知ってもらいたいという、1万数千人の遺骨の発掘に立ち会われた体験が、元通訳兵の方を動かしているのだ。
・・・私ごときが、こう簡単に書いてはいけないね。
だから、今日出会ったおじいちゃんが「通訳をしてました」というのを聞いて、数倍びっくりしたわ。
しかし…戦争の話は、もっともっと語り継がなくてはいけない。
サイパンのドキュメンタリーを見て、
今ではリゾート地となっているサイパンに、戦時中多くの日本人が住み、
「生きて辱めをうけるよりは死を」…と、多くの日本人が、家族全員で自決したことを知らなかった。その中で、「生きたい」と思い、生き残った方々の証言は重い。そして、サイパンで生き残った人々(捕虜となった人)が多かったにもかかわらず、本土の新聞には「サイパン島玉砕」と華々しく、美化された報道がなされた。そのとき、本当のことが伝えられていたら、沖縄での悲惨な自決は防げた…そんな証言が重い。
そのときに生きていたら、私はどうしていたか?
広島のドキュメンタリーは、途中で「ごめんなさい」
もう、見ることができませでした。
主人は全部見たようです。
翌朝、はれぼったい目をしていた主人。
涙なしでは見れなかったのでしょうね。
小学校3年生のある男の子、A君の話。
彼はインター系の学校に通っている。大の仲良しは韓国人の男の子。
でも、なんかの拍子に「日本人、きらい」と言われるそうだ。
彼は、私の知人のHさんに満州時代の話をきく機会があり、「韓国はそのとき、どうだったの?」と質問。Hさんも子供相手にどう説明したらいいものやら…彼も、70代のHさんの話をどこまで理解できたか。
ここに住んで、いろいろな国の人と友達になって、仲良くすること、とても大切なことなんだよ…そんなHさんの気持ちは十分通じたことだろう。
今日、出会ったおじいちゃんとはどんな話ができるのだろう。