蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子育て回想、つらつら

2019-02-27 | 子育て
わたしは、激昂しても、絶対に言ってはいけない言葉、禁句ルールを自分に課している。
喉から、ほんとうに出かかっていても、言葉を飲み込む。
言ってしまっては、おしまいだからだ。

それは、最愛の人々に対してもだ。
大好きで大切にしている人に対しては、もちろんのことである。

良い感動やプラス感情は、言葉に出して表現する。
わたしは、つい、皮肉や憎まれ口をきいてしまう性格で、若い頃は気にせず口にしていたが、歳を重ねて自重している。

わたしは滅多に怒らない。
子育てをしている時もあまり怒った記憶がない。
周りの人に、「お子さんに怒らない、穏やかなお母さんなのでしょうね」とよく言われた。
なんで、わかるんだろう?

子供を怒る原因がなかった。
見つからなかった。
例えば、電車内でじっとしてない、とか。
電車内でじっとしている子供はかえって不気味である。
子供はちょこまかして、退屈がるものだ。
だから、それを回避するには、子供を電車に乗せない。

「先生、右手を肩から上に挙げると、肩が痛いんです」
と言われたら、「じゃあ肩から下に挙げてくださいね」とアドバイスするようなものか。
(そんな先生が実際にいると、患者さんは減る一方だろうけど)

小さい子供を連れて、あちこち行きたがるのは親の欲求でもある。
幼児を抱えてじっと閉じこもっていると、息が詰まり、外に向けて発散したくなる。
まだ歩くか歩かないぐらいの子供をはるかディズニーランドに連れて行き、延々待ち時間を耐える。
これは、子供をダシにした、親の欲求だと思っている。
まあ、それで、親子、気が晴れるなら、ウィンウィンだ。

子供は未熟で当たり前。親の言うことなんか聞かない。
親の都合で、あれこれさせる。
食べ散らかす、汚す、暴れる、泣く、理不尽な要求を突きつける、、、

なので、食べ散らかしてもよい場所で、好きなようにさせた。
いつまでも、何歳になっても食べ散らかさない。年齢が来たら、ちゃんとする。
いっときの辛抱である。
家中を保育園だと思って、動物園のようにしていた。
毎日、(やんちゃな)動物の世話に追われた。(ペットなど飼う余裕無し)
口の付くものは、食べさせなければいけない。
動物ではない、人間と話したい、と切に思っていたが、動物園の飼育係の叶わぬ望みだった。
末子が3歳になるまでの辛抱だ、と、耐えていた。
(我慢しすぎて病気になって、家族に、特に姑にお世話になったが)

生活を楽しむための調度品等は全て別に保管し、育児用の家、家具、グッズで過ごしたので、汚されても傷つけられても全然平気だった。
やがて、月日は経ち、3歳になる日が来た。
これが、期限予定の見通しがつかない、終わりのない介護なら悲惨だろう。


娘が今している子育ては、わたしとは正反対だ。
一番汚す時期の子供を3人も抱え、新築の住まい。
わたしには考えられないが、娘は娘の子育て方法があるようだ。
孫たちの、電車内でのおとなしいこと。
ありえないぐらい、お利口さん。

だが、わたしが苛立ちカンに障る孫たちのワガママも、すごく上手にかわしている。
はぁ〜、すごい。
わたしは、キレる老人だ。
「背負った子に教えられ」以上である。
皆んな優秀だと感心する。

わたしの子育てにおける支援相棒は、姑だった。
孫たちのために、誠心誠意、尽くしてくれた。
頭が下がる。感謝以外にない。
だが、その分、その代わり、夫が子育てに参加していない。家事はもちろんのこと。
そういう時代である。
が、夫教育を怠ったわたしにも非はある。

娘婿が稀に用事で不在の時、わたしがピンチヒッターとして駆り出される。
しかし、たいしたことも出来ず、頑張りもイマイチである。
お婿さんのマンパワーはスゴイ。
そのお婿さんを操縦する娘の司令官ぶりもスゴイ。
どこをどう見ても、わたしとは正反対の娘であるが、おそらくわたしは、娘にとって、反面教師なのだろう。


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