蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子供の頃

2023-08-30 | 思い出
わたしが幾度となく蝶ブログで書いている、幼い頃。
田舎で暮らした昔日。
街の幼稚園に行くまでの日常。
近所の子供たちと遊んだ。
近くの野山に遊びに行く時には、当時、小学6年だった、皆んなの中では1番年長の女の子の小指をぎゅっと握って、みんなに着いて行った。
わたしは最年少だったと思われる。
この女の子は三人姉妹の長女で、わたしとは歳が離れすぎていて、あまり遊ぶことはなかった。
その下の妹たち(次女、三女)と遊んだが、主に三女のSちゃんは、わたしと(たぶん)同じ歳。
家は、隣の隣。
といっても田舎なので、一軒一軒が広く大きく、蔵や作業所、庭などもあり、さらに牛舎の坂を上がり、結構遠い。
彼女の家の玄関前で、座り込んで地面の土を石で磨いて遊んでいた。
何がしたかったのか、何が楽しいのかよくわからないが、つるつるした黒光する石の感触を覚えている。
家の中に入った記憶はあまりない。
彼女たちが、うちに来た記憶もあまりない。
3人の名前も覚えている。Mちゃん、Yちゃん、Sちゃん。
幼稚園に行く頃以来は、一度も会っていない。軽く60年以上前。
その家の子供たちは女の子だけなので、お婿さんを迎えたかも知れない。

ガキ大将もいた。
家の向かい隣の男の子。Tちゃん。悪ガキ。
家の向かいには3人きょうだいがいた。
長男Yちゃん、次男Mちゃん、末っ子長女Tちゃん。
Yちゃんは小学生ぐらいの時に亡くなった。
皆んなで野原や川に遊びに行ったり、うちの家の外で、馬乗りや大縄跳び、ダルマさんが転んだ、など、元気よく皆んなで遊んだ。
昭和の遊び。
家の中では遊ばない。

わたしより歳下の女の子もいた。
(倉庫などを挟んで)隣の家。
AちゃんとKちゃん姉妹。
むこうの家に遊びに行ったり、うちにも遊びに来て女の子同士よく遊んだ。

全員、62年間ぐらい会っていない。音信不通。風の便りもなし。
といっても家は近所。地続きで、今も家はある(はず)。
1軒、女の子姉妹の家は無くなって、近年、隣りの親戚が(たぶん)土地を合わせて家を新築した。

向かいの家のおじいさんは、晩年、うちの隣の小さな離れ(一間だけ)で一人で住んでいた。
亡くなるまでの間。
小説や映画、昔のモノクロ写真で見るような、いかにも人生終盤のおじいさんだった。
たぶん、母屋からお嫁さんが舅さんに食事を運んでいたのではないだろうか。
その離れはおじいさん亡き後は、うちの土地と合わさった。

遊ぶには5軒の子供たちだけで十分。
一軒にだいたい3人いるから15人。
保育所同期仲間みたいなものだ。
親は介入せず、子供たちだけで遊んでいた。
古き良き時代。
(わたしの父の帰宅時、自動車音が聞こえると、子供たちは、わーっと散り散りばらばら三々五々、逃げ散っていく)

ちなみに、小川を隔た隣りは父の妹の家があり、歳の近いいとこ(女児)も住んでいたが、遊びには一切加わらなかった。
(今、思えば、何でだろう? テリトリーの問題か?)

わたしも3人きょうだいなので、仮に例え外部と接触がなくても、身内できょうだいで遊べる。

じつは、今回の記事で、この子供コミュニティにあえて名を入れていない子供たちがいる。
これはイジメや差別ではない。
これこそ子供は何の関係もない家の事情で、遊ばない、いや、遊ばせない。
家同士が、こじれている。
大人の雰囲気を子供は敏感に察する。
が、親や親の親がこの世を去り、こじれは形を変える。
うるさい人々はあの世。
まあ、その、当時遊ばなかった子供たちと、今、現在、姉は地元の諸々のことで、代が変わった元子供(現在、還暦過ぎ)とビジネスライクにやり取りをしている。
話は代々、昔に遡って、いくら当人が亡くなっていても、ややこしい。
姉に任せっきりで、わたしは報告を聞くのみ。
亡霊の皆さん、後世の人々が仲良くする応援をよろしくお願いします。





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