蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

友達がいない、、、

2020-11-09 | お付き合い
友達がいない、、、という内容の日記を某SNSで読んだ。
社会問題を含む深刻なものではなく、たんに、行動は一人ですーーというものだった。
友達が欲しいけれど、募集するのもナンだし、友達は作るものではなく、出来るものだ、との主張をされていた。

そうかな。
たしかに友達は自由。
義務でもないし、生活の手段でもない。
しかし、お一人様たちがネットワークを駆使し、独居住まいの万が一の時のために友達システムを早々と構築している人々もいる。
それは友達というよりは、互助会のようなものである。
ワーキングママ友のつながりにも似ている。
緊急、もしもの時の子供の預かり合い。
それは、真の意味の友達とは言えないが、まあ友達のうちの一つだろう。

困った時に、もたれ合えるのが友達?
それは家族?
依存し合う?
社会制度が整うと、受け皿やセフティネットが、国レベルで手を差し伸べてくれる。
が、なかなか、隙間や、こぼれ落ちるものもある。

わたしは、真の意味では友達はいない。
募集する気はさらさらない。
この指、止まれ!わたしと一緒に遊びましょう!
なんて、呼びかけない。

しかし、勝手にわたしから一方的に友達認定している人もいる。
支持者、ファンみたいなものか。
一対一の、面と向かってのお付き合いが苦手なので、どうしても一方通行になってしまう。
逆に「ファンです」と言われることも稀にある。
こういう、わたしみたいな人、意外と少なくないと思っている。

一人で行動する方が、意見を調整する必要がなくて便利だ。
が、不便でも一緒に行動することに意義がある。
だとすると、自然に友達が出来るのではなく、努力して作るものではないだろうか。
人に合わさず努力する気もないのに、自然に出来る友達なんかいないように思う。
喜びも悲しみもシェアするなら。
良いとこどりは、友達とは言えないのでは?
もたれ合わない、自立、独立した者同士の友達とは?
信頼は一朝一夕には築けない。
おいしいところだけ共有するのは、友達なんだろうか?

わたしは、基本的に人を信用していない。
裏切られたとしても、信じたのは自分であり、自己責任。
孤独と引き換えに自己愛が強すぎるのだろう。
頑丈な装甲車に乗って運転している。

自分から進んで行かないから、進展はない。
当たり前のことである。

ちなみに、、、
わたしは、独特の雰囲気を持っているらしい。
独自のもの。
そうだろうなあ、、、
出逢った人にはそう言われることがある。
これから先、益々年齢を重ねると、どんなおばあさんになっているのだろう。
童話に出て来る魔法使いのおばあさんみたいなかんじ、、、は、避けたい。