蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

マザコンでテレビっ子

2020-11-04 | 趣味
なんで男性はこんなにテレビ(インターネット配信ドラマ含む)が好きなんだろう?
わたしの周りの男性、限定か?
孫達がせっかく一家で揃って遊びに来ているのに、ケーブルテレビのヘビーローテーション時代劇にかじりつく夫。
生放送ライブの大事な試合や選挙速報だとかならまだしも。

なぜ?なぜ?と必死で理解しようとするが、「理解できない」ということを理解するにとどまる。

それは夫だけかと思いきや、、、趣味分野でペアを組んでいる人物もそう。
大の動画好き。
依存症ではないかと思うぐらい、片時もスマホやテレビやタブレットから離れない。
自分から何も考えずに、ただただ与えられるものを楽しんでいることの、どこが悪い?
いえ、悪くないです。
視聴者やユーザーの存在によって経済は成り立っているのだから。

しかし、、、
孫や、目の前にリアル人がいるのに、そんなに動画が大事なのだろうか。
たまたま、わたしの周りのコア・メンバーはそうだったが、現代人の皆さんはこんなかんじで、これは世の中の縮図なのか?

自分が理解できないからといって、認められないのはおかしい?
相手だって同じように感じていることだろう。
認められないことを認めて、日々、同じ空間で暮らす、行動するのは、ある意味、今後の社会を生きるトレーニングになるかも知れない。

それと、この2人にはまだ共通点がある。
マザコン。
ああ、またもや。
なぜ、わたしが選ぶ人はマザコンばかり?

マザコンではない、もう一世代上の男性は、これはまた頭が古い。
ジェンダーって何?の世界。
わたしは、時代の変わり目の隙間世代なのだろうか。

マザコン男性は、甘い。
わたしは、自分が甘いため、相手が厳しい人だと着いていけない。
なので、結果的に甘い人を選んでしまうのか。
割れ鍋に綴じ蓋。

かといって、知的水準がわたしより下は嫌。
最低でもわたしレベル。
だから最低同士が釣り合うのか。
しかし、ママになるのは嫌だ。
甘えっ子の母親になどなりたくない。
可愛くもなんともない。
それよりもなによりも、甘えっ子と縁がある自分が許せない。
自分も甘えっ子だということを自覚せざるを得ない。
わたしの相方、1人だけならまだしも、2人とも、マザコンでテレビっ子。
これは、自分が変わるしかないのか。
自分が上に引き上がるが、下に引き下げられるか。
あるいは、変わりたくないなら、現状を受け入れて諦めるしかないのか。

というか、よくよく考えると、同じようなタイプばかりを選ぶ原因はわたしにあるのかも知れない。
マザコン、、、これは逆に考えると、自分の考えはなく、人の言うままに支配されるということ。
ママの代わりをわたしがして、デメリットと共にメリットを享受すればよいのでは。

テレビ人間、、、これまた、自分では何も生み出さないが、飽きることなく延々と時間を潰していく名人である。
じつに安易にイージーに束の間の幸せを手に入れる。
羨ましい限りだ。

おまかせ受動テレビに救いを求めざるを得ないほど、それぐらい、日々の生活に心身を磨耗させているのだろう。
もし、入院したり老人施設に入所しても、退屈することなく、毎日を過ごせる。

しかしながら、本当に深刻な病状になると、テレビを見る気にもならない実例をいくつか知っている。
テレビを見るということは、まだ興味や好奇心があり、こころが生きている証拠だ。
こころの病気になりにくいとすると、素晴らしい効果だ。

なんだか否定から肯定へ、この流れ、(若手漫才の)「ぺこぱ」のネタのようだ。

いやいや、テレビ人間を肯定したくない。
だが、認めないと自分の狭量、懐の小ささがバレてしまう。
まあ人の好みなど、なんだっていいのだが、自分と身近に関わる人だとある程度の距離感が保てずどうも気になる。
ぐーんと、こころから離し、お互いが邪魔にならないよう、刺激し合わないよう、透明人間のように接するか、、、。
最も身近な人々なのに、、、?

よくわからなくなってきた。