火曜日に父が倒れました。
突然の母の電話でびっくりして、私はどうしようもありませんでした。
電話を切った後に、かさみんにメールをしました。
”お父さんがあぶないそうです。”
少し時間が経ってから、家に電話をして、「大丈夫?」
「いや~、今はわからん。明日しかわからん」「なんで?」
「お母さんが言っているから」「危ないのに家に帰されたの?」
「とりあえず、急に何かことが起きてからじゃあれなので連絡だけしとこって電話あった」
「危ないのなら急いで返っておいで」「東京やし」
「明日帰れんと?」「明日もアポがある」
「あぶないんやろ?」「明日にならんと解らん」
「私は来週、PTAやし、有価物回収もあるからね」「わかった」
うちの父の命は、PTAより薄い?
そんな会話で、時間ばかりかかる。
父は、肝臓が悪く、意識不明になったことが何度もあり救急車で運ばれています。
今回は、ちょっと様子が違って、もう72ですから。
毎日、かみさんからの小言を聞かされながら、母とも会話。
「今日はどうやった?」
「意識なくなっていたみたい。でも、持ちこたえたよ。だから来んでもいいよ」
「土曜か日曜に行くね」
続いてかみさん。
「どうだった?」「意識はなかったけど回復して少しは大丈夫になった」
「そう、でも変な病院だね。」「なんで?」
「意識がない状態で危険だったら家に帰さんよ」「そうなん」
これから意味不明になり、30分くらい激怒している。(私の話し方に問題があるそうです)
電話を切り、疲れ切って寝ました。
木曜日
「大丈夫?」「今日は落ち着いてきた。でも、予断はゆるさんみたいよ」
「解った」
続いてかみさんに電話。
「なんで直ぐに行かんの?」「土曜日も忙しいから調整しないと今はわからん」
「お客さんの時には急いでいったのに」
「あれは何度も行ったし、状況わかっていたから、今回はまだ大丈夫って言っているし、
しかも年もいっているし、半分は覚悟しているよ」
肝硬変をもってもう数年経つ。こっそりお酒も飲んでいるみたい。
自分の好きなことして死んでいくことに私は賛成している。
日曜日に子供連れて見舞いに行きたいとメールしたら、
何にこだわっているのか?
翌日のかみさんからのメールには、”もう離婚しましょう!私たちの日常生活より、両親が大事”
意味が解らない。疲れる。
現在、かみさんは慰謝料計算中です。
そんなことはほっておいて、金曜日の夜に福岡に戻り、
土曜日に早めに終わらせ、北九州に走り、見舞いに行った。
正月以来だった。相変わらず小さくなった父を見て、
「良くがんばったね。70才超えてよくがんばったよ」
「おー、もう足が動かん。鹿児島のにいさんと78までは生きんとと話をしたけど」
「あと6年じゃない。がんばれ」
「でも、もう駄目かな?」もう食事をしていないみたい。食欲がないのはあまりよくはない。
「昔、銭湯に行って帰りにおんぶしてもらって帰ったね」
「うん」
「今は良く思うよ。よく俺たちのために働いてくれたね」
「・・」
「俺も今半分。もう半分がんばるよ」
「そうやね。半分だ。」
「俺も無茶苦茶働いているから、俺のほうが早く死ぬかもしれんよ」
「バカか、まだ半分。がんばって子供たちを助けなよ」
「解った。妹の子供の幼稚園くらいまで生きとかなよ」
「飯がくえんけね。水だけ飲んでるよ。だめかもよ」
「少し動けるようになったら、お腹も空くよ」
「そうやね。少しは生きんとね」
「そうそう、でも無理して生きんでもいいよ」(笑)
「なに言うの?でも、俺のお父さんも70で死んだから呼んでるんやないか?」
「そうかもね。でもまだ行かんって言い」
「ばかか」
1時間くらい喋って、父の顔にも笑顔が出て、私は会社に戻りました。
製鉄所で3交代して、私たち子供4人と母を養ってくれた。
私は単身赴任中で、死に目には会えないかもしれません。
今回が最後かもしれません。一番近い家族を失うのは2回目ですが、やはり寂しいものがあります。
1人目は弟です。若いときに死にました。
小さくなった父は、もう生きる力が半年も残っていないでしょう。
体重も30K台(私の半分以下)になっている父はわがままで好き勝手やっていましたが、
たまには遊んでくれて、いくつになっても心配してくれて、
本当に大好きな父でした。本当に心の中でありがとうって言いながら病院を後にしました。
母が、少し落ち込んでいて、「ご飯どうする?」
「あんたはどうするの?」どうせ私は一人。「何か食べる?」
「美味しそうなすし屋を見つけたよ」「じゃ食べよ」
店を探して、寿司だったら食べるという母を連れて、
よくよく見てみると、母も小さくなったもんだ。
父のことを喋りながら、お店を見つけました。
「あれ?回転寿司?」「ちゃんとしたおすし屋さんかと思ったのに」
「まぁはいろ」
ここは以外にも美味しかったです。結構高い回転寿司でした。
2人で8皿くらい食べて、「ヒロ君ありがとう。このまま帰ったら何も食べんやったよ」
「うん。大丈夫よ」
母と別れて、両親のことの昔を思い出し、運転をしていました。
でも、もう直ぐいなくなるかもと思い、福岡までの車の中で涙していました。
突然の母の電話でびっくりして、私はどうしようもありませんでした。
電話を切った後に、かさみんにメールをしました。
”お父さんがあぶないそうです。”
少し時間が経ってから、家に電話をして、「大丈夫?」
「いや~、今はわからん。明日しかわからん」「なんで?」
「お母さんが言っているから」「危ないのに家に帰されたの?」
「とりあえず、急に何かことが起きてからじゃあれなので連絡だけしとこって電話あった」
「危ないのなら急いで返っておいで」「東京やし」
「明日帰れんと?」「明日もアポがある」
「あぶないんやろ?」「明日にならんと解らん」
「私は来週、PTAやし、有価物回収もあるからね」「わかった」
うちの父の命は、PTAより薄い?
そんな会話で、時間ばかりかかる。
父は、肝臓が悪く、意識不明になったことが何度もあり救急車で運ばれています。
今回は、ちょっと様子が違って、もう72ですから。
毎日、かみさんからの小言を聞かされながら、母とも会話。
「今日はどうやった?」
「意識なくなっていたみたい。でも、持ちこたえたよ。だから来んでもいいよ」
「土曜か日曜に行くね」
続いてかみさん。
「どうだった?」「意識はなかったけど回復して少しは大丈夫になった」
「そう、でも変な病院だね。」「なんで?」
「意識がない状態で危険だったら家に帰さんよ」「そうなん」
これから意味不明になり、30分くらい激怒している。(私の話し方に問題があるそうです)
電話を切り、疲れ切って寝ました。
木曜日
「大丈夫?」「今日は落ち着いてきた。でも、予断はゆるさんみたいよ」
「解った」
続いてかみさんに電話。
「なんで直ぐに行かんの?」「土曜日も忙しいから調整しないと今はわからん」
「お客さんの時には急いでいったのに」
「あれは何度も行ったし、状況わかっていたから、今回はまだ大丈夫って言っているし、
しかも年もいっているし、半分は覚悟しているよ」
肝硬変をもってもう数年経つ。こっそりお酒も飲んでいるみたい。
自分の好きなことして死んでいくことに私は賛成している。
日曜日に子供連れて見舞いに行きたいとメールしたら、
何にこだわっているのか?
翌日のかみさんからのメールには、”もう離婚しましょう!私たちの日常生活より、両親が大事”
意味が解らない。疲れる。
現在、かみさんは慰謝料計算中です。
そんなことはほっておいて、金曜日の夜に福岡に戻り、
土曜日に早めに終わらせ、北九州に走り、見舞いに行った。
正月以来だった。相変わらず小さくなった父を見て、
「良くがんばったね。70才超えてよくがんばったよ」
「おー、もう足が動かん。鹿児島のにいさんと78までは生きんとと話をしたけど」
「あと6年じゃない。がんばれ」
「でも、もう駄目かな?」もう食事をしていないみたい。食欲がないのはあまりよくはない。
「昔、銭湯に行って帰りにおんぶしてもらって帰ったね」
「うん」
「今は良く思うよ。よく俺たちのために働いてくれたね」
「・・」
「俺も今半分。もう半分がんばるよ」
「そうやね。半分だ。」
「俺も無茶苦茶働いているから、俺のほうが早く死ぬかもしれんよ」
「バカか、まだ半分。がんばって子供たちを助けなよ」
「解った。妹の子供の幼稚園くらいまで生きとかなよ」
「飯がくえんけね。水だけ飲んでるよ。だめかもよ」
「少し動けるようになったら、お腹も空くよ」
「そうやね。少しは生きんとね」
「そうそう、でも無理して生きんでもいいよ」(笑)
「なに言うの?でも、俺のお父さんも70で死んだから呼んでるんやないか?」
「そうかもね。でもまだ行かんって言い」
「ばかか」
1時間くらい喋って、父の顔にも笑顔が出て、私は会社に戻りました。
製鉄所で3交代して、私たち子供4人と母を養ってくれた。
私は単身赴任中で、死に目には会えないかもしれません。
今回が最後かもしれません。一番近い家族を失うのは2回目ですが、やはり寂しいものがあります。
1人目は弟です。若いときに死にました。
小さくなった父は、もう生きる力が半年も残っていないでしょう。
体重も30K台(私の半分以下)になっている父はわがままで好き勝手やっていましたが、
たまには遊んでくれて、いくつになっても心配してくれて、
本当に大好きな父でした。本当に心の中でありがとうって言いながら病院を後にしました。
母が、少し落ち込んでいて、「ご飯どうする?」
「あんたはどうするの?」どうせ私は一人。「何か食べる?」
「美味しそうなすし屋を見つけたよ」「じゃ食べよ」
店を探して、寿司だったら食べるという母を連れて、
よくよく見てみると、母も小さくなったもんだ。
父のことを喋りながら、お店を見つけました。
「あれ?回転寿司?」「ちゃんとしたおすし屋さんかと思ったのに」
「まぁはいろ」
ここは以外にも美味しかったです。結構高い回転寿司でした。
2人で8皿くらい食べて、「ヒロ君ありがとう。このまま帰ったら何も食べんやったよ」
「うん。大丈夫よ」
母と別れて、両親のことの昔を思い出し、運転をしていました。
でも、もう直ぐいなくなるかもと思い、福岡までの車の中で涙していました。

