痛い(州´゜◆゜)>イタタ ★☆★☆日記

私は思う。日々の疑問を共に考えてみよう。

笑って生きよう!と言いながら…

2018-03-31 13:17:48 | 日記
誰でも泣きながら生きるよりは笑って

生きていたいと願っていますね。


悲しみを抱えて生きるよりは喜びの内

に生きていたいと思いますね。


生涯を通して、悲惨のままに生きるこ

ともなく、その中にあるささやかであ

ろうとも確かにあった幸せと感じられ

るものが。


何らかの病になるとき、

何らかの不安定な生活になるとき、

何らかの痛みや辛苦を味わうとき、

何らかの絶望と闇を経験するとき、


誰にでも起こりうる困難さの中で、も

がき苦しみ、たたかい、耐え忍びを繰

り返しながら。


ときには逃げ出し、ときには逃げるこ

ともゆるされず、ただ生きるままに任

せながら……


笑って生きよう!とあなたは言う。

一人では笑えないと答える。

それであっても、笑って生きるように

とあなたは言う。


たとえ笑えなくても、感謝すべきこと

はたくさんあるから。


その感謝すべきことがあれば、それを

わたしの喜びとしよう。


自分に死ななければならない多くの十

字架があっても、キリストと共に死の

う。

そして、キリストの復活と共にわたし

も復活させていただこう。

今はそのことを喜びとしよう。


笑って生きよう!と言いながらあなたは多くの苦しみを担っている。そこにあるのは十字架と御父への信頼なのでしょうね。(*´ー`*)*。十💓・*☆
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わたしたちは受け入れられた存在💓十

2018-03-30 18:29:08 | 日記
人間が生きていて自分が自分自身を受

け入れられないというほど辛く悲しい

ことはないのではないかなと思います

ね。


人間は完璧な人はいない、皆、不完全

だと頭では解っていてもそれを受け入

れられるか受け入れられないかで大き

く人生が変わってしまうでしょうね。


他人の不完全さを極端にゆるせない人

がおられるのも、ゆるせないという不

完全さを持ちあわせているというその

人自身の不完全さでもあるわけです

ね。


お互いの不完全さをいかにして受け入

れ合うことができるのか、永遠のテー

マでもあるわけですね。


なぜ永遠のテーマであるかと言えば、

それがわたしたちに与えられたキリス

トの互いに愛し合うと言う教えに繋

がっているからでしょうか。


ゆるすということは、受け入れるとい

うことだからでしょうね。


罪は罰すべきことではあり、受け入れ

ることではありませんが、それを行っ

た人間に対しては受け入れるというこ

となのでしょうか。


罪を憎んで人を憎まず……


イエスのユダへの眼差しは、最後まで

見捨てない回心への招きではなかった

のでしょうか。


神がお与えくださった人間の自由意思

で善を選ぶことも悪に従うこともでき

ますが、悪にさいなまれた人間を救っ

てくださるのも神ですね。


人間の不完全さが引き起こすいかなる

悪や間違いの中にキリストの十字架の

ゆるしがあることをわたしたちは喜

び、感謝を捧げておりますね。


キリストの十字架、それはだれをも除

外しない神の愛とわたしたちへの救い

の招きの姿。💓十✨


わたしたちがまだ罪人であったとき、

キリストは自ら進んでわたしたちの罪

の身代わりとなり十字架について、わ

たしたちの負うべき罪をあがなってく

ださいましたね。


キリストの十字架は個人個人の救いの

ためであり、故に全人類の救いのため

でしたね。


わたしたち人間は先に神に受け入れら

れた存在であるということ。

そして、それは全人類が受け入れられ

ているということ。


わたしたちは神様の愛する子らでもあるわけですから、この身をもって神に喜んでいただけるよう日々キリストの十字架と共に歩んでいけたらと思っております。十**・.☆**・.*
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さくら、桜、あの青い空に🌸🌸🌸

2018-03-29 20:40:05 | 日記
今年はお天気も良くて、満開の桜が町

全体をわたしたちを優しく包み込んで

いますね。


大木の桜を見上げれば、その向こうに

は青空が。


うすピンクの淡い色の花びら。

柔らかさと儚さと…

寒い冬が長かったからでしょうか。

この暖かさを待ち焦がれていたんです

ね。


まだ散らないでね。

もう少しそのままで、満開のままで。


そう願いながらも、小鳥たちが花をつ

いばんでは下に落としますね。


わたしはその花を集めながら、ガラス

の器の水の上にそっと並べます。


花の命は本当に短いですか?


だからこそ、季節が巡ってきたこの瞬

間がいちばん美しくわたしたちの心に

届くのでしょうか……


わたしたちはそれぞれに輝く時間(と

き)を生きているでしょうか?


皆に平等に与えられた時間(とき)の中

で、わたしたちなりの精一杯を生きて

いるでしょうね。


きっとそういう光り輝く瞬間は誰にで

も訪れ、思い出の一ページとして心に

刻まれているのでしょうね。


長いと思える命もあれば、短いと思え

る命もあるでしょう。

桜は今年も美しく……


けれど、いつかすべてに終わりがあるとしてもわたしたちの霊魂は永遠の命として神のもとに再び呼び集められて行くのでしょう。🌸🌸🌸




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家族になりましょう…**☆**

2018-03-28 21:27:11 | 日記
家族になりましょう

家族をつくりましょう

家族って?

すでに家族があって幸せならばそれは

素敵なことでしょう


家族のなかでは悲しみも苦しみも喜び

もみんなで分かち合えるところであっ

てほしいですね。


厳しい社会のなかで家族といるとホッ

トできるものであってほしいですね。


家族は血縁関係があるなしに関わら

ず、そこに共に生きられるもの。


共に生きていこう

共に生きていきましょう


小さな楽しみを分かち合いながら…

ささやかな幸せを分け合いながら…


一人で抱え込むことなく、どんなこと

も分かち合える家族をつくりましょ

う。


家族と言う名のもとで集まる共同体も

ありますね。*☆**


この共同体は、ある意味では修道会で

あったり、信仰、希望、愛の共同体で

あったりしますね。


神様のもとに集うわたしたちは一つの

家族であることにはかわりありません

ね。


また愛のあるところに主が共におられ、わたしたち人間は一人ひとり誰ひとりとしてもれることなく神様の祝福と恵みを受けている子らなのですね。ヾ(´ー`)ノ**。・☆


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誰かをかばうということは…

2018-03-27 17:04:32 | 日記
自分がしたことじゃないんだけど、ま

たは自分はそれには賛成してはいな

かったんだけど、自分がだれかの責任

を取らなければならなくなったという

ようなことは、案外あるものですね。


誰かをかばうつもりではないけれど、

立場上そうなってしまったということ

もあるのでしょう。


誰かをかばうわけですから、何らかの

苦しみや心の痛みを伴うでしょうね。


隠さなければならない事実と話すべき

事実。

どちらもが事実であったとしても言え

ることと言えないことがあるのでしょ

うね。


影響力のある人、権力をもっている人

の名前があるだけで、まわりの人々は

気もつかいますし、不備がないように

整えるのではないかと思いますね。


それだけ、名前がもつ力というのは存

在すると思いますね。


その力ある名前一つで物やお金や人が

動くとも言えるのでしょうね。


ですから、自分の名前がどう使われる

かは軽んじないで慎重にすべきことな

のでしょうね。


かばう対象の人が、自分より下のもの

であろうと上のものであろうが、偽り

があってはならないでしょうね。


誰かをかばうという行いが、ちがう誰

かを死に追いやったり自己犠牲の衣を

まといながら、ほかのちがう誰かに責

任を覆いかぶしていくようなことが

あってはならないですね。


誰かをかばうことのできる人は、本当

に自己に責任がありましたと相手の濡

れ衣を晴らす位の気持ちを要するかも

しれませんね。


相手を立てて自分をおとしめることは、あくまで真実に基づいてのみ行える行為であってほしいと思いますね。
なぜなら、自分自身も傷つけてはならないと思いますから…😓
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