デブのモデルが水着の宣伝などに出てくる。世も末。

宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)8月26日(金曜日)
        通巻第7440号  

 

(読者の声2)「蜜蜂の踊り」と「直接民主主義」について。
 一人の女王を担ぎ、数百の働き蜂は、言論の自由を行使し、独自に得た貴重な一次報道を「踊り」の言語で伝え、それを人民は見て評価し、それぞれが独自に判断し行動に移す
踊りとは「どの方角に、どの距離に、どの様な量の蜜がある」という情報・報道である。指導者、独裁者、女王蜂が、それを見て全員の行動を指揮するのではなく、各自が自分の知識と経験と能力に基づき、自分の責任で判断し、結果を生み出す。
この仕組みは、自由資本主義・直接民主主義の理想的な現実化の様に見える。NHKや朝日のような曲がった組織に依存せず、個人が個人に対して「正直に」表現するネット情報拡散方式は、蜜蜂の仕組みに近い。

大事な点は、ミツバチは自分で自らの足で、舌で集めた最新の情報を気前よく、タダで拡散することにある。そしてそれを真剣に見る行動力のある視聴者がいる。
 しかし多くの人間は「個人の私有財産、所得」が保障されないと、種族、全体の利益の為には全力を尽くせない。
日本の有識者の動画を見ていると、なかなか良い話をしているが、本題に入ると、「この先は有料になります」と閉じられてしまう。
前金を要求する娼婦の如く。あるいは延々と自分の書籍、ブログの宣伝を恥ずかしげも無くしている。日本人論者の貧困化は、それ程酷いのだろうか。かつて「武士は食わねど高楊枝」を咥えて、満腹している体裁を見せていた。

 近年、米国でも「断食」が知識人、高額所得者の間で流行っていて、デブは下層階級・低知能の印になった。
そこで、例によって弱者を擁護する政治的配慮が働き、信じ難いがデブのモデルが水着の宣伝などに出てくる。世も末。劣化が止まらない。
1960年代前期の映画を見ていると家を出るときは、男は帽子、背広にネクタイが当然であった。見かけなど関係無いと言う文化になったが、私が気に入っている論者たちは、相変わらず古めかしい背広を着ている。服装に思想が現れるらしい。
  (在米のKM生)

 

 

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