大聖者であるお釈迦様でも、恨まれ迫害されることがあった。いわんや私達では大なり小なり人から恨まれることがあっても不思議ではない。
インドはバラモン教の儀礼を行う行者も多かったので、お釈迦様を呪詛する者もいたかもしれない。
しかし、お釈迦様はそういうものの影響を受けなかった。その秘訣は次の物語にあるのではないかと思い、ご紹介する。
あるとき、お釈迦様は、ひとりのバラモンから、さんざんに罵詈雑言をあびせかけられた。
それは自分たちの信者が、自分達から離れてお釈迦様に帰依するようになったからだと言われている。
しかし、何を言われても、お釈迦様は言い返さず、ずっと黙っていた。そこで根負けしたバラモンはなぜお前は黙っているのだとお釈迦様に尋ねた。
今まで黙っていたお釈迦さまは、そのバラモンに向かって、「バラモンよ、君のところにお客がやって来たとき、君がその客に食事を提供する。しかし、そのお客が、その食事を食べなければ、その食事はだれのものになる?」と質問した。
バラモンは「そりゃあ、お客が食事を食べなければ、その食事は用意した主人のものになるよ」と答えた。
そこで、お釈迦様は「その通りだ、バラモンよ。だから私は黙って君の罵詈雑言を受けないのだ。その悪口はそっくりそのまま君のものになるのだ!」とつげたのだった。
概ね呪詛、生霊、恨みにおののく場合は、こちらに罪悪感があることが多い。
したがって凡夫である我々は、なかなかお釈迦様のような訳にはいかないが、そういう時では密教では慈悲の甲冑を着ることになっている。
在家における皆様は、観音様の真言を心落ち着くまで唱えて「全ての生きとし生けるものが安らかであるよう」にと念じるとよいだろう。
観音様の真言は何観音でも構わない。
あるいは「南無大慈大悲観世音菩薩」
と唱えても良いだろう。
もちろん自分の信仰する仏天の真言でも大丈夫。
さらに懺悔によって自分の罪悪感を浄化しておくことは大切である。
白衣観音