とのさま日記なるもの

思いのすべてを書きます

選択肢があることは不安をなくす

2018-08-21 17:04:19 | 死んでもま見えない
選択肢が多いことは面倒くさいなって思っていました

年齢がすすむと余計に面倒くささが全面に立ち塞がり

なるべく悩まずにすむように過ごしていたのです

母が脳梗塞で倒れ自分の意思を伝えられないようになってから母の事では一人娘の私が選択していかねばならなくなったこともあるのです

何をするにも同意書が求められる

選択肢が何個かあって‥……

これをしたら母は元気になるのですか?命が助かるのですか?

そう尋ねても答えはありません

自分以外の人間の生死に関わることをいくら母とは言え簡単には選ぶことなどできません

でも

結局は私が選ぶことになりおまけに同意書に署名捺印しなければならなくて

これって拷問のようでした

なんにも言わない寝たきりの母に

どうしょう?って声をかけても答えません

ただ健康なときに

延命処置はしないこと

痛いことはしないでほしい

その二つを伝えてくれていたので

それだけははっきり伝えました


どうしますか?の問いかけにメソメソして決められない私ですが

人工呼吸はどうされますか?の確認では
顔をあげてはっきり、母の意思を伝えました


人の命をいくら娘だといっても選ぶことなど本当に辛いことです

今は、亡くなってしまったのでその選択したことがどうだったのか誰にも尋ね返すことも出来ません


8月に入り、初盆を迎えた今

人は選択肢が多いほど救われるんだなって思いました

意識があり何らかの形で意志が伝えられる間

少しでも多い選択肢は心の不安や辛さを軽くしてくれるのです

半世紀を過ぎた人生

私には何にも無いように思えるけど

若い人ほどないけど

まだまだ人生に関しての選択肢はあります


この一つしかない、選べない、これしかない‼️

そう決めつける前に

良く良く考えたら何個かあるんですよ

人間はその為に努力もしてきているから

必ずあるのです

これでおしまいだ~~とは思わなくてよいのです

思いっきり可能性を考えてみるといっぱいあります

贅沢さえ言わなければ、健康であれば

いくらでもあるのです

寝たきりの母でも嫌なときは嫌そうな顔をしました

母にとってはそれが意思表示

少しだけの選択肢の表現


私は人の生死の選択もしたのですから
ありがたいことに健康な私には沢山の選択肢があるのです

これで私の人生もおしまいか‥……

嫌なことをしていかねばならない

本意でないことをせねばならない

もう私は終わりだ‥……なんて思わなくてよいのです

そう思えたので

何故か心が少しだけ軽くなっています

人に決められるのではなく

私の事は私が決める


嫌なことも

本意でないことも


私はしない


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