自分のモノサシ

~日々のあれこれを感じたままに~

Jimmyさんはご逝去されました。

2023-01-13 | 日々のこと

 

 

13年と少し、Shinoda Band として

サックスとボーカルのユニットでお世話になった

Jimmyさん、篠田政之氏がご逝去されました。

 

 

8日の朝、奥さまからご連絡をいただき、

全部終わってから公表したいというご意向でした。

本日、お悔やみ欄に掲載されました。

 

新聞を見た…と、私の元にもお客さまからお問い合わせがきて

奥さまにご相談をしてご了承をいただきましたので

この場でも…

Shinoda Band の片方として、お知らせをさせていただきます。

 

 

初めてのJimmyさんとのステージは

2009年の 偶然 私の誕生日 12月8日、ホテルロイトンでした。

それから本当にたくさんの会場で

たくさんたくさん ライブをさせていただきました。

 

飲食店やホテルや施設や学校やお祭り会場……

麻生の◯さんでは8年もの間、98回も定例で。

 

定例では、選曲の段階からお互いの考えを出しては

ぶつかり合いながら形をつくってゆきました。

お越しくださるお客様にずっと長く楽しんでいただけるように

いつも工夫を話し合いながら音を出していました。

 

後になってからその当時を振り返って

私たちはまるで "戦友" だったと……

今でも感じています。

 

 

最後のお仕事は お祭り会場。

2019年 9月の 中の島神社と烈々布神社 でした。

たくさんの方にShinoda Bandを聴いていただいて嬉しかった〜。

常連のお客様にも来ていただいて Jimmyさん、本当に喜んでいらっしゃいました。

 

 

次に予定されていたライブからは出演を断念されて闘病生活へ。

 

その頃からほとんど毎日、短いメールを交わすようになりました。

辛い時は辛いと話してもらって。

調子がいい時は音楽の話や日常の話を。

 

「お元気ですか?」と聞くこともできない

「頑張って!」などと言うこともできない

でも、Jimmyさんがそこにいらっしゃるのを確認したかったんです。

そして孤独を感じてほしくなかった…。

 

 

最後のメールは、去年のクリスマス。

その後からは、私が送ったメールに既読はつくけれど

お返事がなくなりました。

 

8日の朝の電話の発信元は「篠田政之」の表示

あ。奥さまかな。ってすぐに思ってしまいました。

 

 

たくさんのライブや

いつも奥さまや夫と4人でご飯に行ったお店や

うちでのリハのこと…

過ごしてきた数だけ、感謝の気持ちが溢れます。

 

篠田さん。お疲れさまでございました。

本当に本当にありがとうございました。

 

 

小さな子供に出会ったときに自然に作られる

慈しみ深い優しい笑顔に 

私はいつも感動していました。

 

Jimmy さんの音の軸にあるものはこれだ!と。

 

もう一度 聴きたいです。

 

 

Shinoda Band を可愛がってくださった皆さま

どうもありがとうございました。

皆さまが支えてくださったお陰で

私はこんなに長い間、 Jimmy さんとご一緒させていただけました。

 

 

「ミキティはずっと歌っていかなきゃダメだよ」

Jimmyさんに言われました。

 

私の歌を受け入れていただける限り、そういう空間で、

頑張りますね。Jimmyさん。

 

 

言葉がまとまらない…。

読みづらいですねきっと。ごめんなさい。

ちゃんとお知らせできたのでしょうか……

 

お伝えしたいことを書き続けたら

分厚い本ができそうです。

 

あとは

そのうち

話せる機会があったら……

 

 

今は、ありがとうだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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