常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪国の変人

2022年01月15日 | 日記
大雪のニュースがテレビを賑わせている。家の前に積る雪を片付けている人を目がけて雪が降り続く。3時間も経つと、片付けた道は、元通りに雪が降り積る。こちらでも、大きなダンプカーとすれ違うと、大抵が雪捨てのトラックだ。生活圏に雪がたまると、どこかへ捨てなければ、不自由になってしまう。雪を移動するだけの、殆ど価値を生まない作業に、大きな税金をかけて片付けるのが現実である。そのせいか、雪国の人は我慢強い人が多いらしい。同時にびっくりするような変人が時として出てくる。

越後塩沢に生れ、『北越雪譜』を書いた鈴木牧之の生涯を見ると、やはり雪国の変人と言ってよいだろう。牧之の父牧水は、質屋を営み、縮み布の仲買で財をなした。隠居してからは俳諧に遊び牧水と号した。父の跡を継いだ牧之も俳諧をよくし、父の号の一字を継いでいる。田舎ではあるが、仲買の商いでは江戸に上り、著名な文人、絵師などとの付き合いがあった。馬琴や山東京伝、式亭三馬、谷文晁、北斎など錚々たる顔ぶれだ。豪商で金にあかせて名士と交わったのではなく、国にあって小まめに手紙を書いた。書いたのは、『北越雪譜』や『秋山紀行』ばかりではない。70歳になって中風を患い、2階の自室にこもりながら書いたのは7万字に及ぶ遺書がある。娘の婿として家に入った養子勘右衛門への小言や苦言が大半の遺書である。つましくして家財を増やした自らの暮らしぶりを事細かく述べ、婿に見習うように諭したものだ。

牧之は子どもころから耳ダレを起こし、耳の中のできものをとろうとして自己流の薬を用いて失敗、ほぼ耳の不自由な生涯であった。江戸の人を驚かすような雪国の話の蒐集に精を出したように、牧之はとにかく几帳面。部屋の片づけもとことん自分流を貫いた。結婚してもあまりの繊細で几帳面な性格のためか、長続きせず6度も、子を産んだ妻と離婚している。妻に逃げ出されたというべきだろう。ただ一人だけうまの合う妻がいた。うたと言い、25歳で3度目の妻として嫁いできた。牧之は29歳になっていた。この妻とは23年平穏に暮らし、家業も発展させ、『北越雪譜』の原稿を書いたのも、この間である。このうたが急死したのは、近所の人の病気見舞いに行ってうつったらしいから、今日のコロナのような感染症であったかも知れない。

高田宏の『雪日本心日本』の「雪譜作者鈴木牧之」の項に、牧之が子孫のために書き残した「夜職草」の一文が紹介されている。

余がうまれつき内外の取乱したるを甚だ嫌いにて、折々閨ならば箪笥、戸棚、鍼筥、継箱、葛籠、何によらず母妻の手道具迄、散々に取乱したるを片端より片附、手箒にて塵掃棄候得ば、都の箱類、曳出しの類まで、央になるよう片付け、座敷、惣二階、台処、土蔵に至迄右に順じ取片付候。」

一家の主がこれほどこと細かであれば、嫁いだ嫁も嫌気がさすのもむべなるかな。降る雪がこんな性格を作り出したとは言えまいが、北の雪国で蒐められた山国の奇事『遠野物語』の話にもどこか共通したものがあるような気がする
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朝の光

2022年01月14日 | 日記
雪がしんしんと降っているのを眺めながら朝食を終えると、朝の光が増し、雲が切れて青空が広がった。朝の光に誘われて朝散歩。さっきまで降っていた雪の晴れ間を狙って愛犬を散歩させている人に出会う。新雪のなかを走る犬も嬉しそうに走っていた。朝のテレビで大谷翔平のインタビューが放映されていた。話題は睡眠の質に及んでいた。一流アスリートも睡眠の質を高めるためにさまざまな器具を用い、枕を特注して努力していることを知った。自分のような高齢者こそ睡眠に着目しなければならない。なぜなら睡眠障害は老化の促進に直結し、認知症につながるからだ。

毎日の晩酌も睡眠にはよくない結果をもたらす。スマートウォッチの睡眠管理を見ても、晩酌しているとどうしても睡眠が浅くなる。そのために夜中に目を覚ますことが多くなる。アルコールの利尿作用もそれに拍車をかけている。晩酌を止めてから10日目だが、夜目覚めることが少なくなった。今朝の目覚めは5時半、6時間と少しの睡眠だがよく寝たという満足感がある。

精神医の樺沢先生は睡眠前にやるべきことをあげている。寝る前にはネガティブなことを考えないこと。その日あった楽しかったこと、満足したことを思い浮かべて幸福な気持ちで眠りに入ると、睡眠の質が深まる。そのために毎日、「ポジティブ3行日記」書くことを推奨している。自分には新年から再開した習慣に、ワンノートのデジタル日記がある。そこに、毎日のよかったことを3行にまとめて書くことにしている。

人間は人工の照明がない時代は、太陽が昇ると目覚め、陽が沈むと眠る習慣であった。鳥などと同じく、体内時計が覚醒と睡眠へ導いた。夜の時間にも活動できる照明は文明の賜物であるが、本能である体内時計の機能を失わせた。朝の光を浴びることは、人間の本能回復にもつながっていく。今日の自殺者の数は感染症や癌による死者を上回る。新型コロナウィルスの流行にばかり目を奪われないないで、人間本来の免疫力を高めること、睡眠の質を高めることがあらゆる病気に打ち勝つ基礎になることを再確認したい。

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北越雪譜

2022年01月13日 | 日記
雪が降り続く。昨日から降る雪は、北陸が狙い打ちされているらしい。これから夜半にかけての積雪は、新潟と北陸にかけて80㌢と予想されている。こちらの地方でも、雪空が続いて、青空をしばらく見ていないような気がする。かった鈴木牧之の書いた『北越雪譜』の世界が、いまその様子を示すかのようだ。線状降水帯いう現象が雨の季節に起きるが、雪雲が同じ地域にかかり続けるのは線状降雪帯と呼ぶのであろうか。

雪国には深い雪のなかで一冬を過ごすことになるが、そんななかでも子どもたちは遊んだ。『北越雪譜』にその遊びの一端が語られている。

「まず雪を高く堀り揚げおきたる上などを童どもうち寄りて、手あそびの木鋤にて平になしてふみつけ、さて土塀を作るようによほどの囲みをつくりなし、その間ひにも雪にて壁めく所をつくり、ここに入り口を作り、ここに入り口をひらきて隣の家となし、すべての囲みにも入り口をひらく。この内に宮めかす所を作り、まへに階をまうけ宮の内に神の御体ともみゆるようにつくりすゑ、これを天神さまと称し、筵などをしきつめ物を煮べき所もつくる。」

こんな雪の宮で、鍋で煮たものを食べ、神にささげ、ままごとのような遊びに打ち興じた。子どもたちの遊びであるから、これを取り仕切るあそび大将が必ずいた。牧之も子どものころはこの大将をつとめたと回想している。秋田などの雪国のも「かまくら」という雪の家を作り、その中で家族で飲み食いした風習は今もなお残っている。
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冬の花火

2022年01月11日 | 日記
昨日の夜、夕食の席でドンドンという音が聞こえてきた。「花火?」と言いながら妻が窓の外を見た。駅の方角で上がる花火が見えた。たちまち、その音は連続音となって花火が連続して打ち上げられる。そう言えば、毎年この時期に冬の花火があることを思い出した。ネットを見ると、花火のライブ中継もある。テレビから流れるのは、暗いニュースのみだが、こんな催しがせめてもの癒しになる。写真はネットの県民会館さんのページから借用させていただきました。

昭和21年、太宰治が書いた戯曲がある。『冬の花火』昭和20年に空襲の続く東京から津軽に疎開した太宰には、雑誌社から小説の依頼がどんどん来ていた。しかし、その依頼には耳を貸さず、打ち込んでいたのは戯曲をかくことであった。太宰の『冬の花火』は、きのう霞城公園で上がったような打ち上げ花火ではなく、夏に子どもたちが遊ぶ線香花火である。敗戦という現実に、夫を戦争で失い、子どもを連れて津軽に帰った寡婦の話だ。子どもの玩具として、女の母が子どものために買った花火だ。雪のなかの線香花火。浴衣を着て、夏の夜に家族で楽しむからこそ線香花火。

戯曲の幕前にには悲劇が起こる。狂乱状態から寝床で病になった母親の前で、東京に残してきた二度目の夫への長い手紙。女は母にその手紙を読み上げる。火鉢にはかんかんと火が起こっている。至急電報がきて、女は手紙を破ってて火鉢に投げ入れる。部屋を赤く染める炎、それは冬の花火。母も女も、家ともども焼き払う冬の花火。そして戯曲の幕は下りる。
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初市

2022年01月10日 | 日記
久しぶりの晴れ。朝の気温は-3.4℃と冷え込んだ。昨日の溶けかかったザクザクの雪道は固く凍結した。瀧山の山頂に朝日が出て、眩しいような日光を浴びた。晩酌を止めてから1週間が経つ。朝散歩も始めて、生活にメリハリが出てきた。朝は寒いし、凍結した道は危険だから散歩は止そうという、マイナス思考がなくなり、凍った道を歩くことで注意力が増えてきた。体内時計がリセットされたのか、朝の目覚めも定時になってきた。便通も朝の決った時間に気持ちよく終えることができる。何もかもがいいことづくめだ。

1月の10日は、山形市の十日町で立つ市の初めで初市である。手元に大きめの写真集がある。国書刊行会『ふるさと思い出写真集山形』で、モノクロ写真で古い街並みや行事が掲載されている。初市と題してページをまたぐ大きな写真がある。大粒の雪のなかで、市にならぶ釜の蓋を手に取る婦人の姿が写っている。杵や梯子、鍋の蓋などが露店に無造作に並べられ、買う人が列をなしている。初飴が縁起物で、初市で買った飴を知人に配る風習があった。この飴を舐めると風を引かないというのが売りである。スマホの待ち受けに、初市と大書されて、会場は文翔館、10時30分~4時とある。出店24、出品は初あめ、ダンゴ木、野菜、木工品、打刃物等とある。コロナの感染拡大で、市の規模も旧県庁という小規模なものになったらしい。初市も足を運ばなくなってから随分と長い年が過ぎた。

もうひとつ晩酌を止めた効がある。最近衰えを感じた視力が戻ったらしく、読書の喜びが復活した。この正月取り出したのは、松本哉『永井荷風の東京空間』。面白さに引き込まれてつい夜更かしとなってしまう。戦時中の健康法を喧伝する病院長を茶化してこんな日記を書いている。
「病院長なりと称する人、元日より三日の間房州館山に赴き心身鍛錬のため未明に海水を浴び禊をなしたりと声高に語るを聞く。語調ははなはだ高慢なり。寒中の水泳もし精神修養に効果ありとせば、夏日暖炉に対して熱湯を飲むもまた然るべし。」
この本を読みながら期待したのは、kさんがこれから進める浅草探訪ブログが、この本の記事と重なって、令和の時代の荷風の俤はどうなっているかに触れられることである。
コメント (2)
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