晴耕雨読

耕すのは土だけではない。
心のなかこそ酸素を補給し、ゆたかな栄養で満たさなければならない。

七日町

2020年02月25日 | 日記
久しぶりで街の中心街七日町へ出かけた。先月ニュースになったデパート大沼はしっかりとシャッターが降ろされていた。もうこの街にはデパートが一軒もなくなってしまった。保存された旧県庁が、春を前にして懐かしい姿で保存されている。三々五々、見学の人たちが散策していた。大沼と旧県庁との真ん中あたりに、後藤又兵衛旅館があった。もう十年以上も前に営業を止め、その跡も残されていないが、この旅館には色々な思い出がある。名前がそもそも不思議だ。遠藤周作の小説『おバカさん』にもこの旅館が登場する。小説のなかでは、荒木又右え衛門という名に変えられてていたが。

「荒木又右衛門」という奇妙な名をつけた宿屋は山形の繁華街七日町にある。
「そりぁもう、山形じゃ一流の宿屋ですぜ、お客さん」
車のなかで運転手はさかんに提灯をもったが、 (遠藤周作『おバカさん』)

私は学校を出て、広告業についたが、この辺りの店を一軒一軒訪問して、まるで御用聞きのように歩くのが、毎日の日課であった。出張で来た取引先の営業が泊ったのが、この後藤又兵衛であった。飲み屋街でさんざん酒を飲んで、旅館に着くと、その人の部屋でまた酒盛りになった。仕事と酒盛りが区分けのない不思議な世界、それが当時の業界の習いであった。

内田百閒の『阿房列車』にも、この宿屋が登場する。宿の名は書いてないが、豊臣時代のような名前の大きな宿とある。そこの仲居さんと筆者のやりとりが面白い。明日の天気が知りたいので、

婆に夕刊を持って来い、と頼んだ。夕刊ですか。さうだ。夕刊はもうありません。なぜ。もう遅いですから。それでは仕方がない。いいよ。又座敷を出かけてから、後ろ向きで云った。「山形の新聞ならあるますけど。」

内田百閒が山形に来たのは昭和26年である。当時は、新聞で東京には夕刊があったが、地方の新聞で夕刊を発刊するような余地はなかった

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