常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪乞い

2020年01月15日 | 日記
久しぶりに雪になった。余りの少雪で、困ったスキー場で雨乞いならぬ雪乞いの神事が行われた、とテレビのニュースで話していた。どんな神事か知る由もないが、その霊験か、雨が雪に変わった。地面を見ると、雪でなく雨が少し前まで降ったいたらしく水たまりができている。天気予報では、次第に寒気が強まり、午後から夜にかけてまとまった雪になるらしい。雪が少ないことは、車を走らせるなど、生活は便利だが、春になって雪解け水がなく、農業にも影響がでるらしい。

雪不足は、雪を売りにした観光地やスキー場などに影響を及ぼす。夏の雨不足は、米や農作物に直接影響として、飢饉という大きな社会問題を起こした。歴史をひも解けば、飢饉による死者は、街中に溢れ、大惨事になったこともしばしばである。それだけに雨乞いは、切実な神事であった。雨呼山と、雨を降らせる名がつけられている例もある。神事は、山上で火を焚き出る煙を雲に見立て、水を撒いて雨を模倣し、太鼓の乱打で雷を演じるという。これを司るのは、修験道の修行を積んだ行者である。

雨乞いの霊験、そんなことを信じない人がほとんどだ。自分でも、それを信じるという気にはなれそうもない。だが、晴れを願った山登りで予報を覆して、思わぬ晴天に恵まれ、見たことのない絶景を目にすることがある。長く山登りを続けて、心底そいう体験を念じることでそれが実現することがある、という気がこのごろしてきた。正月の読書で、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいる。いま、第3部のクライマックスを迎えようとしている。村上は、この小説を書く取材で訪れたノモンハンで体験した超常現象を語っている。

村上はノモンハンの古戦場を訪れ、慰霊の意味をこめて、迫撃銃弾の破片をホテルの部屋に持ち帰った。部屋でホテルの部屋でその破片を見て、そのあまりの生々しに気味の悪さを感じた。そして真夜中、ベッドで寝ていると、部屋が大揺れに揺れ、ガタガタと音を立てた。地震だと思って、真っ暗な中を這って廊下に出た。部屋の外は、ピタッと静まり、地震の形跡も全くない。そして、いま書いている「ねじまき鳥」のなかでノモンハンとコミットしたために起きた現象ではないか、と述べている。これは、心理学者の河合隼雄との対談で述べているものだ。河合はそうした現象を体験者がそのまま語っても、信用されないことが多い。それを伝える方法として、物語がある村上の小説もそんな風に読むべきだ、と語っている。
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