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唱元 苦行ばかりが行じゃない

2008-02-12 | 無能唱元・唯心円成会
苦行ばかりが行じゃない
「出家の目的」
 お釈迦さまは、何ひとつ不自由のなかった城を捨てて、すなわち出家されて、何年もの間、苦行を積まれたといわれています。
 これは当時のインドの坊さん、つまり修行者は皆そのようにしていたからです。断食をしたり、滝にうたれたり、呼吸を一杯に吸って耐えたり、また、呼吸をかすかにして、ほとんど息を止めたりするなどの、およそ超人的な苦行をつづけていた。お釈迦さまこのような修行をされたのです、すっかりやせおとろえてしまった、といわれております。
そして「どうも、私の求める答えは、苦行から得られるものではなさそうだ」と氣が付かれ、菩提樹の下にすわり、瞑想に入ったのです。
 そのまま座り続けて、一週間目の明け方、空に輝く明星を見られた時、ハッと悟られ、それまでの疑問が一氣に氷解したのだ、と伝えられております。
 この時、お釈迦さまは、どんなことを悟られたのでしょうか?
 その前に、お釈迦さまは、いったい何を疑問とされていたのか、それを知る必要があります。
 その疑問とは「人間の苦しみは、どうして生ずるのか?」そしてまた「その苦しみを、どうやったら解決できるのか?」ということでした。
 たとえば、人は欲しないのに、老い、そして死にます。また、病気になって苦しみます。こういう人々の姿を見るうちに、お釈迦さまは、なんとかこの苦しみを救う手段はないものか?という菩提心を起こさせたのです。
 そして、この問題を解決するため、出家され、苦行の世界に入られました。
しかし、その苦行も解決にはならず、ついに瞑想という行によってその答えを得たのです。
 「何を悟ったのか?」
 お釈迦さまの得られた心理は深淵なもので、私たち凡人には、なかなかうかがい知ることはできなのだ、という人がいます。
 それももっともですが、ここは一つ大胆に、そして単純に、お釈迦さまの得た、その悟りを分析してみたいと思います。
 お釈迦さまの発見されたこと、それは「二元対立によって、存在は表現されている」ということではないでしょうか?
「二元」それは「陽」と「陰」つまり、プラスとマイナスのことです。すなわち、宇宙のすべてはの存在は、この二つが対立して現れる故に、はじめて存在し得るのです。
 「病気」があるから「健康」があるのです。「死」があるから「生」があるのです。
 これを逆にいってみましょう。「病気がなければ健康はなく」「死がなければ生もないのです」
 次のようなたとえ話で説明すれば、わかりやすくなるかもしれません。
 生まれた時から闇の中に住んでいて、一度も光を見たことがない人は、実は「光を知らないだけでなく、闇も知らない」のだ、と・・・・すなわち、
光なきところに闇はなく、闇なきよころにも光なく、二者の分別と対立があってこそ、そこに光と闇がある、ということです。
 苦しみがあるから、楽しみがあり、悲しみがある故喜びがあるのです。
「二元対立の原理」
 老いていく故に、この一瞬一瞬のときがなんと貴いことか。死は必ずくる故に、生のなんと尊いことか。 
 すべては変わりうつろいゆく故に、今、生きてあり、見、聞き、味わっている大自然と人生の恵みのなんと素晴らしいことか!
 お釈迦さまの悟りとは、ある意味では、悲観主義であった思想が楽観主義へ変わったものとも考えられましょう。
 いや、さらにもう一歩突っ込んで考えるならば、悲観と楽観の二元対立をはるか高い所から均等に見下ろし、そのいずれにとらわれ支配されることなく、必要に応じて自分に気分さえ自由自在にコントロールできるようになった、ともいえるのではないでしょうか?
 さらに考えるならば、苦というも、楽というも、悲しみというも喜びというも、それらの対立する二つの感情を生み出すものが、私たちの外部にある客観的事実というもの自体ではなく、実に私たちの内部にある主観的虚構性の中に構築される観念であることを悟られたのではないでしょうか?
 そして、この主観的虚構性をうまく支配し、苦を楽に変え、この方法で人々の悩みを解消する智恵をもって「般若の智恵」と呼んだと思うのです。

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世の中は 氣の毒な 人だらけだ あまり深く 考えない 方がいい
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 年を重ねることは、苦を感じさせず、苦も楽とするなり・・
今生きているから やな事 苦しい事 楽しい事 も感じられる
 死んでは 感じられない 今感じ 楽しむ事なり・・

ブッダ最後の旅

8日指揮:・ノリントンシュトゥットガルト放送・ベート/ピアノ協奏4番・ブラームス/交響曲第1

2008-02-10 | 外来 演奏会・指揮者

             ミューザ川崎2FLA6-10・7千円妥当な額

 二曲とも、面白い演奏でした指揮:ロジャー・ノリントン節の独壇場かな・・
実に面白い音波動でした・・ピアノ4番各楽章の主張が明確ですね弦の歌わせ方、ティンパニのアタック感等面白いですね・・好きな二楽章がピアノソロ、ピアニッシモが美しい
惹きこまれます・・小菅 優さん20年後40代で度のように変化していくのであろうか
美しい旋律の時に、何と携帯・着信音が・・皆様注意しましょう。

ブラ1番・・ティンパニのアタック感、オーボエの優雅な響き、ソロヴァイオリンの優美な響きと・・美しいブラ1と想います・・総じて横糸の弦、木管の歌わせ方が面白いですね・・其れに織り成す縦糸が・・終着点?の主張が無いのかな??・・関心すれど感動には至らなかった・・
 BSで神尾さんが面白い事を話してました、曲の美味しい所でパン食い競争の様にその場に立ち寄り過ぎては音楽が進まないと・・縦糸の終着点へ・・

後ビックリが・・プログラムが、1,500円とは・・招待客・オマケが大勢??高いの一言、主催者は何を考えているのであろう・・・

8日 東芝グランドコンサート2008 主催フジTV・後援・サンケイグループ
出 演 指揮:ロジャー・ノリントン
ピアノ:小菅 優
管弦楽:シュトゥットガルト放送交響楽団

サリヴァン/歌劇「近衛騎兵隊」序曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調
ブラームス/交響曲第1番 ハ短調

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小菅 優
 現在ヨーロッパで、高度なテクニックと美しい音色、若々しい感性と深い楽曲理解で最も注目を浴びている若手ピアニストの一人である。特に、『ダイナミックな音楽表現』(ハノーファー紙)や『天使の翼の先端が頬に触れた瞬間を感じさせるピアニシモ』(フランクフルト紙)などの批評を得て、ヨーロッパの聴衆から熱狂的な支持を得ている。2000年、ドイツ最大の音楽批評誌「フォノ・フォルム」よりショパンの練習曲全曲録音に5つ星が与えられたほか、2002年に第13回新日鉄音楽賞 、2004年にアメリカ・ワシントン賞、2006年に第8回ホテルオークラ音楽賞、2007年に第17回出光音楽賞を受賞している。
  1983年東京生まれ。東京音楽大学付属音楽教室を経て、1993年よりヨーロッパ在住。9歳よりリサイタルを開き、オーケストラと共演している。

YU小菅 HP
ノリントン




サントリー公演のベートーヴェン3番が実に良い出来ですね・・1楽章の明確な旋律と呼吸観が素晴らしい・・

3日 新国立 サロメ

2008-02-04 | 新国立オペラ・・

サロメ 3日初日 新国立4回公演1回目・3F1-49・6,300円・妥当な額
         6日・9日・11日は中一日公演は聴ける状態では無いのでは??・・

 最近は怖いもの観たさの新国立何回目かな??・・
 全体は弛緩?・・サロメの踊り後、終幕にかけ聴き応えありですね、初日でもあり特にサロメ歌手のペース配分が良くないですね、ゲネプロですでにお疲れと感じましたが?

 男声の水口、ヴォルフガング・シュミット、ジョン・ヴェーグナーが声質が好みで、充実した歌唱では・・

新国を観て、ドレスデン・サロメの演出、踊りが無いのもOKかな

【指 揮】トーマス・レスナー
【演 出】アウグスト・エファーディング
【美術・衣裳】ヨルク・ツィンマーマン
【再演演出】三浦 安浩
【舞台監督】大澤 裕 【芸術監督】若杉 弘
ものがたり
紀元三十年頃のエルサレム、ヘロデ王の宮殿。領主の寵愛を一身に受ける娘サロメは、庭の古井戸の中に幽閉されている預言者ヨハナーンに興味を持ち、衛兵隊長ナラボートに連れ出すよう命ずる。ヨハナーンは、サロメにキスを求められるが、拒否して古井戸に戻る。一方、ヘロデ王は宴の席でサロメに踊りを求める。サロメは裸身にまとったベールを一枚ずつ脱ぐ官能的な「七つのベールの踊り」を踊る。踊り終えてサロメが要求した褒美とはヨハナーンの首であった。

キャスト
【サロメ】ナターリア・ウシャコワ
【ヘロデ】ヴォルフガング・シュミット
【ヘロディアス】小山 由美
【ヨハナーン】ジョン・ヴェーグナー
【ナラボート】水口 聡
【ヘロディアスの小姓】山下 牧子
【5人のユダヤ人 1】中嶋 克彦
【5人のユダヤ人 2】布施 雅也
【5人のユダヤ人 3】松浦 健
【5人のユダヤ人 4】小貫 岩夫
【5人のユダヤ人 5】大澤 建
【2人のナザレ人 1】青戸 知
【2人のナザレ人 2】青柳 素晴
【2人の兵士 1】大塚 博章
【2人の兵士 2】斉木 健詞
【カッパドキア人】藤山 仁志
【奴隷】鈴木 愛美
【管弦楽】東京交響楽団

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《火の危機》を発表後、この作品と対になる一幕もののオペラを構想したことに始まるといわれる。物語はもともと『新約聖書』の一挿話だが、オスカー・ワイルドの戯曲になる頃には、預言者の生首に少女が接吻するという世紀末的退廃芸術にまで変容している。音楽としては、自身の交響詩により進化した極彩色による濃厚な官能表現が見事に生きている。
前奏なしの4場構成。第4場の「サロメの踊り(7つのヴェールの踊り)」が著名で単独の演奏や録音も存在する。ただし、劇の流れからするとこの部分はやや浮いており、前後の緊張感あふれる音楽・歌唱を弛緩させているという評価も少なからず存在する。この「欠陥」は次作の《エレクトラ》でほぼ克服されている。

初演
1905年12月9日 ドレスデン宮廷歌劇場
指揮 エルンスト・フォン・シューフ
演出 ヴィルムヘルム・ヴィンク
日本初演は1962年4月24日、フェスティバルホール(大阪)において、マンフレート・グルリット指揮、東京フィルハーモニー交響楽団他によって行われた。

編成
105名~108名必要
ピッコロ 1、フルート 3、オーボエ 2、イングリッシュホルン 1、ヘッケルフォン 1、E♭クラリネット 1、B♭管クラリネット 2、A管クラリネット 2、バスクラリネット 1、ファゴット 3、コントラファゴット 1、ホルン 6、トランペット 4、トロンボーン 4、バスチューバ 1、ティンパニ 2、タムタム 1、シンバル 1、大太鼓 1、小太鼓 1、タンブリン 1、トライアングル 1、木琴 1、カスタネット 1、グロッケンシュピール 1、(打楽器で6人~7人必要)、チェレスタ 1、ハープ2、第1ヴァイオリン 16、第2ヴァイオリン 16、ヴィオラ10~12、チェロ 10、コントラバス 8、ハルモニウム、オルガン

R.シュトラウス

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 ホテル・・オペラで遅くなり帰宅出来ない時に,利用・・何ヶ月に一度の利用ですが,わがまま聞いてくれて,最近はマイルーム・同じ部屋を利用させてもらってます。
 朝の朝食も落着いた場で・・1泊8700円程

ホテル・ヴィラフォンテーヌ日本橋
ホテル
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2日 マリインスキー・オペラ   イーゴリ公

2008-02-04 | ・メータ ・ゲルギエフ ・飯守
2日 イーゴリ公        NHKホール 3F・R20-14・1万円・妥当な額

 3階、最後席、補助席と同じ、PAが強いかな、バス、テノール、合唱と良く聴こえます・・イーゴリー公を観るのは二度目です、やはりマリインスキー・オペラは合唱と歌手人が素晴らしいですね、舞台が広い面、バレエ、合唱も壮大で、分厚い、歴史絵巻を観る様です・・今回3演目を観ましたが、指揮:ワレリー・ゲルギエフを中心に歌手陣、合唱、オケの充実振りには感動ものでした・・

イーゴリ公 (Br) セルゲイ・ムルザーエフ
ヤロスラーヴナ (その妻/S) ラリーサ・ゴゴレフスカヤ
ウラジーミル (息子/T) エフゲニー・アキーモフ
ガリツキー公 (B) アレクセイ・タノヴィツキー
コンチャーク汗 (B) セルゲイ・アレクサーシキン
コンチャコヴナ (その娘/MS) ナターリア・エフスタフィーエワ
ポロヴェッツ人の娘 (MS) タチヤーナ・パヴロフスカヤ

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2月のオペラ・演奏会予定
2月 2日 マリインスキー・オペラ イーゴリ公 NHK
2月 3日 新国立 サロメ 初台
2月 8日 ノリトン シュトゥッガルト 川崎
2月14日 ハーディング 東フィル 東京オペラシティ
2月15日     〃   〃   サントリー
2月17日     〃   〃   渋谷
2月23日 飯守指揮 ワルキューレ 上野・文化会館
2月24日   〃    〃      〃

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 12月に4日間連続演奏会とは、大変な企画ですね・・ 
2日(火)、3日(水)、4日(木)、5日(金)
ロンドン交響楽団≪プロコフィエフ・ツィクルス≫
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
◎カジモト・イープラス 0570-06-9960

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 アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(AlexanderPorfir'eviBorodin,  1833年11月12日 - 1887年2月27日)はロシアの作曲家、化学者、医師。ロシア音楽の作曲に打込んだロシア5人組の一人である。
生涯
 サンクトペテルブルクにて、グルジア皇室の皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリの非嫡出子として生まれる。ゲデヴァニシヴィリはボロディンを実子として戸籍登録せず、農奴の一人の名を使った。しかしながらボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻し、軍医として働いた。作曲は1863年にミリイ・バラキレフと出会うまで正式に学んだことがなかった。
 1869年にバラキレフの指揮によって《交響曲第1番》が上演され、同年ボロディンは《交響曲第2番》に着手する。この新作交響曲は、初演時には失敗したが、1880年にフランツ・リストがヴァイマルでドイツ初演の手筈を整え、ボロディンの名をロシアの外に広めた
 やはり1869年には、歌劇《イーゴリ公》に着手、これはボロディンの最も重要な作品と看做されており、しばしば単独で演奏される。おそらく最も有名なボロディン作品となっている「だったん人の踊り(韃靼人の踊り)」と「だったん人の行進(韃靼人の行進)」は、《イーゴリ公》が出典である。ボロディンは本職や公務に忙殺されて、生前この作品を完成できなかったため、没後にニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフにより補筆と改訂が進められた。
 1887年に急死。謝肉祭の週間に、数人の友人を呼んで上機嫌に歌って踊って楽しんでいたが、突然ひどく青ざめて卒倒したのである(動脈瘤の破裂だった)。サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に葬られている。
 化学者としては、ボロディン反応(ハロゲン化アルキルの合成法、ハンスディーカー反応の別名)に名を残している。また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見したとされる。

イーゴリ公

ボロディン

歌手のコメント
マリインスキー開演
ムソログスキー
プロコフィエフプロコフィエフ日本滞在日記

キャスト・マリインスキー・オペラ