日頃の何氣ない風景 ・音楽鑑賞・株投資、感じた事を

音楽鑑賞の感想雑文と、相場から経済情勢を
御礼
7年間 総閲覧数2,907,866  

2日・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団 プロコフィエフ・チクルス

2008-12-04 | ・メータ ・ゲルギエフ ・飯守
サントリーホール               2F・P3-23・8,000円・超安い
タケダ グローバル コンサート>

 初物好きの私ですが、良かったです、オケの実力を再認識しました。
たちあがる弦群の響き、合奏力、切れ味鋭いし、それに絡む木管の奏者・・実に巧いですね・・対向配列でバスは左端でヴァイオリンの奥です・・
 曲想は底辺に潜む心は、ロマンティシストな一面が垣間見た感じが、旋律が闇美で美しいですね・・夢多き性格かな・・亡命へ日本から米国へ欧州へ・・帰国へ

ワディム・レーピン(Vn)
        使用楽器・1736年製グァルネリ・デル・ジェス ”Von Szerdahely”
 技量が高いし音色が綺麗ですね・・細かい刻み、の旋律で弓,指使いが絶妙ですね・・作曲時はロシアー日本ーアメリカーフランスへ・・此処でヴァイオリン協奏曲第1番は初演・・ 
 第6番は大編成で席前はタムタム、小太鼓、大太鼓、右下にピアノが・
 帰国後の作曲で1944年ー5年世界二次大戦最中ですね・・音楽からは政治的な,反体制的な,躁鬱的な感じはうけませんが・・ショスタコーヴィチに近い感じかな・・

 入りが悪いのは残念ですね7割程かな・・前後ベルリンフィルもあり外来はチケットが高額ですし・・オケ・指揮者が好くても,曲で氣が向かない方々も??・・

ワレリー・ゲルギエフ指揮 ロンドン交響楽団
≪プロコフィエフ・チクルス≫
曲目 プロコフィエフ
:交響曲第1番 ニ長調 op.25 「古典交響曲」1917-初演1918年
:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 op.19・1916-7・初演1923年パリ
:交響曲第6番 変ホ短調 op.111 ・194ー7・初演1944年
出演 ワディム・レーピン(Vn)
アンコール
  パガニーニ :ベニスの謝肉祭
  プロコフィエフ
  :『ロメオとジュリエット』組曲第1番 op.64bisから「タイボルトの死」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1917年(26歳)ロシアが革命の嵐に包まれる中、祖国を離れることを考え始める。
亡命と日本滞在(1918年)
1918年(27歳)「古典交響曲」の初演を果たした直後、プロコフィエフはアメリカへの亡命を決意した。教育人民委員アナトーリ・ルナチャルスキー(1875-1933)は、「君は音楽の革命家だ。我々は生活の革命家なのだ。手を取り合うのは当然ではないか。それでも行くというのならば邪魔はしないが...」と説得に努めたが、彼の亡命の意志は固かった。5月7日、シベリア鉄道にてモスクワを発つ。31日、敦賀港に上陸し、6月1日、東京に到着。

招待券でワインもご馳走になり、私にとっては素敵な前夜祭に・・ゲルさんの話で純真さを失わない、心を持っているプロコフィエフ・・

///////////////////////////////////////////////

宮内庁は3日、天皇陛下に胸部のご変調などの症状が見られることから、3日と4日のご公務などの日程をすべて取りやめると発表した。これに伴い、皇后さまも両日の日程をすべてお取りやめになる。
 陛下は2日午前、皇后さまとともに東京都障害者総合スポーツセンター(北区)を訪問、障害者がスポーツに取り組む様子などを視察されていた。出迎えた障害者らに笑顔で手を振られるなど、お元気そうな様子だった。また、同日夜には皇后さまとご一緒にサントリーホール(東京都港区)でコンサートを鑑賞、皇居に戻られたのは午後10時前だった。
サントリーホール
LSO
プロコフィエフ日本滞在日記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
音楽誌「グラモフォン」が発表した主な順位は
日本に居ながら・・今年は1,3,4位と、シカゴは来年に聴く予定
1位 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(オランダ)
2位 ベルリンフィル・ハーモニー管弦楽団(ドイツ)
3位 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団(オーストリア)
4位 ロンドン交響楽団(イギリス)
5位 シカゴ交響楽団(アメリカ)
 上位でも指揮者,曲目によっては・・変動が??好みにもよりますね。