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12日 ボロディンイーゴリ公 ・レニングラード国立歌劇場管弦楽団・合唱団

2007-12-13 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・
                
 初見です・・特にニ幕が素晴らしい、バレエあり、重唱あり、合唱も素晴らしい
一幕から,合唱が良い,女声,男声に聴き応えがありますね、声楽人もバス、バスバリトンの低音声域が素晴らしい・・王妃・メゾアルトの押し出しある声域も好みですね・・
 指揮者,歌劇場は毎年この時期日本へ出稼ぎ?・・寸前まで得チケが出てましたね
 
 季節物は美味い,今では大根,里芋,果物ではみかん等・・その土地柄で取れたものは,味が有り,形は悪いが美味い物が・・其れと同じで、オペラもロシア物はロシア系に限りますね、コストパフォーマンスが良い・・十分楽しめました。

               オーチャード3F・L1-4 11,000円・安い
アレクサンドル・ボロディン:
「イーゴリ公」(全2幕5場 原語上演・日本語字幕付)
演出:S.ガウダシンスキー
主席指揮:A.アニハーノフ
レニングラード国立歌劇場管弦楽団・合唱団

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 アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(AlexanderPorfir'eviBorodin,  1833年11月12日 - 1887年2月27日)はロシアの作曲家、化学者、医師。ロシア音楽の作曲に打込んだロシア5人組の一人である。
生涯
 サンクトペテルブルクにて、グルジア皇室の皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリの非嫡出子として生まれる。ゲデヴァニシヴィリはボロディンを実子として戸籍登録せず、農奴の一人の名を使った。しかしながらボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻し、軍医として働いた。作曲は1863年にミリイ・バラキレフと出会うまで正式に学んだことがなかった。
 1869年にバラキレフの指揮によって《交響曲第1番》が上演され、同年ボロディンは《交響曲第2番》に着手する。この新作交響曲は、初演時には失敗したが、1880年にフランツ・リストがヴァイマルでドイツ初演の手筈を整え、ボロディンの名をロシアの外に広めた
 やはり1869年には、歌劇《イーゴリ公》に着手、これはボロディンの最も重要な作品と看做されており、しばしば単独で演奏される。おそらく最も有名なボロディン作品となっている「だったん人の踊り(韃靼人の踊り)」と「だったん人の行進(韃靼人の行進)」は、《イーゴリ公》が出典である。ボロディンは本職や公務に忙殺されて、生前この作品を完成できなかったため、没後にニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフにより補筆と改訂が進められた。
 1887年に急死。謝肉祭の週間に、数人の友人を呼んで上機嫌に歌って踊って楽しんでいたが、突然ひどく青ざめて卒倒したのである(動脈瘤の破裂だった)。サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に葬られている。
 化学者としては、ボロディン反応(ハロゲン化アルキルの合成法、ハンスディーカー反応の別名)に名を残している。また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見したとされる。

イーゴリ公
マリインスキー イーゴリ公が・・今回見逃がした方は,如何ですか?・・
ボロディン