本日は祖母の3回忌。
和尚さんの法話の中に出て来た話。
「死ぬのが怖いという人がいます。
なぜ怖いのかと聞くと、どこに行くのかわからないからと答えたのです。
肉体は焼かれてしまい無くなってしまうのはわかるが、自分はどうなるのだろうと思うと不安になるようです。」
とお話をしてくれた。
私は「えっ」と思った。
死んでも自分は自分でいるのだろうか?
私は死ぬのが怖くない。
死んだその先は「無」であると思うし、もし何か世界があるとしたら、そこには私の前から旅立っていった、多くの人たちがいると思う。それを怖いというのだろうか。
「法事は亡くなった方が、あちらの世界で迷わないようにと行うものではありません。」
そう、生きている私たちが、生きることを考える。そんな時間だと思います。
和尚さんの法話の中に出て来た話。
「死ぬのが怖いという人がいます。
なぜ怖いのかと聞くと、どこに行くのかわからないからと答えたのです。
肉体は焼かれてしまい無くなってしまうのはわかるが、自分はどうなるのだろうと思うと不安になるようです。」
とお話をしてくれた。
私は「えっ」と思った。
死んでも自分は自分でいるのだろうか?
私は死ぬのが怖くない。
死んだその先は「無」であると思うし、もし何か世界があるとしたら、そこには私の前から旅立っていった、多くの人たちがいると思う。それを怖いというのだろうか。
「法事は亡くなった方が、あちらの世界で迷わないようにと行うものではありません。」
そう、生きている私たちが、生きることを考える。そんな時間だと思います。