どういう世界に行きたいか
バシャールは、『選択肢は無限にあります』というのだから。
行きたい世界を、望む世界を言えば、書いておけば良いのだよね。
そしたら、望む世界に行ける、と。
『自己責任』と人に対して、言うのは良くないと思う。
お互い助け合っても、良いと思う。
なぜ、お互いの助け合いを否定して、『これは私のものだから、他人には、一つたりとも、渡さない』という人達が大勢いるのだろうか、と思う。
日本人、日本の金持ちは、大人しく、税金を払っているだけで、善行だよね、と思う。
健康保険税も、金持ちの方が高いのに、大人しく払っているのだから。それだけで、十分な善行だと思う。
医者の悪口をいうのは良くないよね。
アメリカでは、金持ちでないと、病院に行けないのだから。
貧乏人や一般庶民の患者を大人しく、診ているだけで、日本の医者は良い人達であると思う、ということで。
アメリカでは、大学の費用がとても高くなって、一般庶民の人は、行けないぐらいになっている。
その点、日本は、普通の家庭の人が行けるぐらいの価格なのだから。この制度を作っている、維持している、日本の官僚は偉大な人達である、ということで。
『あって、当たり前』ではないよね。
“みんな”が使えるありがたさについて、考えないといけないと思う。
個別、個別になって、他人の事なんて、知った事ではない、というのは、正しい事ではないと思う。
子供は、親のおもちゃではないし、親の所有物ではない。
というよりも、父親と母親の平均が、子供ではない、と。
(続き)
『神との対話』の神の、『悪い宇宙人が、地球に攻めてこない理由』として、『あなた方は守られている』というのがあるが。
私達が“守られている”と感じるようになるのは、いつなのだろうか、と思う。
何もかも、自分で、責任を取る必要はないのに、と。
他人の意見を取り入れて、聞けば、良い。他人の手助けを受け入れれば良い。それが、本当の自立なのに。
大艦巨砲主義に載っていたコメントとして。
『日本は、弱者に優しい国だぞ』というのがあったが。
いわゆる、弱者と自認する人達が、日本は、弱者に優しい国であると、理解するのは、いつなのだろうか、と思う。
地球の文明は、幼稚園レベルだとして。
進化した宇宙人は、可愛いと思っている事が、分かるのは、いつなのだろうか、と思う。
(続き)
大勢の人達が、『成功しか認めない』というのだけれども。
「失敗する権利もある」と思う。
なぜ、失敗する権利を認めないのだろうか、と思う。
失敗する権利があるのに。
思いつく事を、全てやる権利があると思う。
『成功でないといけない』というのではなくて。
『最終的に、残るのは、事務次官、一人だけだ』という。
競争に勝ち残った、たった一人が偉いのだ、というのではダメだと思う。
勝利が、全ての人にあるやり方ではないとダメだと思う。
昔は、『3当5落』と言って、『3時間しか寝なかった人は、大学に受かって、5時間寝た人は、大学に落ちる』とか言われていたのだけれども。
今は、全入時代といって、大学に行きたいと望む人は、みんな、大学に行ける。
だけど、地球上では、食べたくても、食べられない人がいる。
何で、豊かさを全ての人が得られる社会ではないのだろうか、と思う。
全ての人が、望む事が出来る世の中になれば良いのに、と思う。
たった一人の勝者、ごく少数の勝者を偉大な人という世の中ではなくて。
全ての人が望む事が出来る世の中になれば良いのに、と思う。
(続き)
何でもかんでも、自分でやって、自分一人で、責任を取らないといけないと思わなくなるのは、いつなのだろう。
本当は、人の手助けを借りれば良いのに。
私達は、守られているって気づくのは、いつなのだろう。
本当は、みんな、誰かに守られているのに。
『泣く子と地頭には勝てない』と歴史の授業で習ったが。
『地頭に勝てない』と教えるふりをしながら、『泣く子に勝てない』事を教えているのかと、最近思う。
泣く子に勝てないのだよね。それが、日本人の優しさなのだけれども。
『家族と同居しているのですか。偉いですね』と言われる日が来てもおかしくないと思う。
個別、一人で生活する事が偉いということではなくて。
人を敵対的に考える必要はないと思う。
本当は、お互い助け合って生きているのに。
一人で暮らすから、苦労する。
家族と一緒に暮らせば良いのに。
自分一人で家を借りるから、苦労する。
親の持ち家に住めば良いのに。
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バシャールは、『選択肢は無限にあります』というのだから。
行きたい世界を、望む世界を言えば、書いておけば良いのだよね。
そしたら、望む世界に行ける、と。
『自己責任』と人に対して、言うのは良くないと思う。
お互い助け合っても、良いと思う。
なぜ、お互いの助け合いを否定して、『これは私のものだから、他人には、一つたりとも、渡さない』という人達が大勢いるのだろうか、と思う。
日本人、日本の金持ちは、大人しく、税金を払っているだけで、善行だよね、と思う。
健康保険税も、金持ちの方が高いのに、大人しく払っているのだから。それだけで、十分な善行だと思う。
医者の悪口をいうのは良くないよね。
アメリカでは、金持ちでないと、病院に行けないのだから。
貧乏人や一般庶民の患者を大人しく、診ているだけで、日本の医者は良い人達であると思う、ということで。
アメリカでは、大学の費用がとても高くなって、一般庶民の人は、行けないぐらいになっている。
その点、日本は、普通の家庭の人が行けるぐらいの価格なのだから。この制度を作っている、維持している、日本の官僚は偉大な人達である、ということで。
『あって、当たり前』ではないよね。
“みんな”が使えるありがたさについて、考えないといけないと思う。
個別、個別になって、他人の事なんて、知った事ではない、というのは、正しい事ではないと思う。
子供は、親のおもちゃではないし、親の所有物ではない。
というよりも、父親と母親の平均が、子供ではない、と。
(続き)
『神との対話』の神の、『悪い宇宙人が、地球に攻めてこない理由』として、『あなた方は守られている』というのがあるが。
私達が“守られている”と感じるようになるのは、いつなのだろうか、と思う。
何もかも、自分で、責任を取る必要はないのに、と。
他人の意見を取り入れて、聞けば、良い。他人の手助けを受け入れれば良い。それが、本当の自立なのに。
大艦巨砲主義に載っていたコメントとして。
『日本は、弱者に優しい国だぞ』というのがあったが。
いわゆる、弱者と自認する人達が、日本は、弱者に優しい国であると、理解するのは、いつなのだろうか、と思う。
地球の文明は、幼稚園レベルだとして。
進化した宇宙人は、可愛いと思っている事が、分かるのは、いつなのだろうか、と思う。
(続き)
大勢の人達が、『成功しか認めない』というのだけれども。
「失敗する権利もある」と思う。
なぜ、失敗する権利を認めないのだろうか、と思う。
失敗する権利があるのに。
思いつく事を、全てやる権利があると思う。
『成功でないといけない』というのではなくて。
『最終的に、残るのは、事務次官、一人だけだ』という。
競争に勝ち残った、たった一人が偉いのだ、というのではダメだと思う。
勝利が、全ての人にあるやり方ではないとダメだと思う。
昔は、『3当5落』と言って、『3時間しか寝なかった人は、大学に受かって、5時間寝た人は、大学に落ちる』とか言われていたのだけれども。
今は、全入時代といって、大学に行きたいと望む人は、みんな、大学に行ける。
だけど、地球上では、食べたくても、食べられない人がいる。
何で、豊かさを全ての人が得られる社会ではないのだろうか、と思う。
全ての人が、望む事が出来る世の中になれば良いのに、と思う。
たった一人の勝者、ごく少数の勝者を偉大な人という世の中ではなくて。
全ての人が望む事が出来る世の中になれば良いのに、と思う。
(続き)
何でもかんでも、自分でやって、自分一人で、責任を取らないといけないと思わなくなるのは、いつなのだろう。
本当は、人の手助けを借りれば良いのに。
私達は、守られているって気づくのは、いつなのだろう。
本当は、みんな、誰かに守られているのに。
『泣く子と地頭には勝てない』と歴史の授業で習ったが。
『地頭に勝てない』と教えるふりをしながら、『泣く子に勝てない』事を教えているのかと、最近思う。
泣く子に勝てないのだよね。それが、日本人の優しさなのだけれども。
『家族と同居しているのですか。偉いですね』と言われる日が来てもおかしくないと思う。
個別、一人で生活する事が偉いということではなくて。
人を敵対的に考える必要はないと思う。
本当は、お互い助け合って生きているのに。
一人で暮らすから、苦労する。
家族と一緒に暮らせば良いのに。
自分一人で家を借りるから、苦労する。
親の持ち家に住めば良いのに。
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