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ワクワクというより

2018-03-17 09:54:10 | Weblog
 ワクワクというより、『本当の自分を知り、本当の自分になるチャンス』だと思う。

 今日(3月15日)2ちゃんねるまとめのまとめで、『大学3年生ワイ、就職したい、業界が、決められず、むせび泣く』というのを読んだが。
 別に、「決められなくても良いじゃない」と思う。
 別に、介護の仕事をしても良いし、介護が嫌なら、鉄道会社で、働いても良いし。
 何か、立派に面接を潜り抜けて、世間が言う所の、立派な会社で働かないといけない、みたいなのがあるが。そんなものが、本当に必要なのか、と。
 まあ、人口の5割ほどは、中小企業で働いて。大企業の、5割以上は、非正規雇用だと思うが。だから、大学生が思うほど、みんな、立派な企業で働いて、立派な正社員な訳ではないと思うが。
 まあ、男性は、正社員になりやすいが、女性は、非正規雇用の仕事が見つかりやすいという問題はあるが。

 どんなに立派とされる仕事についていても、自分が喜びを感じられないであれば、意味がないよね。
 無理やり働くのは良くない。
 それより、ゆったり生きて、支出の少ない人生を生きた方が良いかも知れない。

 別に人生に、『失敗した』と思っても、人生は、続くのだから。
 自殺がダメなのは、失敗に価値があるからだと思うが。

 『ワクワク』する事は、ちょっと疲れる時もある。
 だけど。結局の所は、『本当の自分になる事』が、価値だと分かれば、もっと、ゆったりと生きられるかも知れない。自分自身の感情に嘘をつくのではなくて。

 仕事を、『一生懸命頑張らないといけない』という訳ではないと思う。
 仕事は、適当に、ニコニコ笑って仕事をして、ちょっと、ぼんやりとして生きるのも、良いかも知れない。

 「病気に価値があるのではないか」と思う。
 過労死や、長時間労働、長時間サービス残業の自慢(!)を聞くたびに思うが。
 女性が、『楽で、高収入の仕事につきたい』という主張をすることに対して、否定的な男性が多いようだけれども。何で、『楽で、高収入の仕事につきたい』と思ってはいけないのか、と思う。あんまり、仕事を頑張りばかり要求するのは、どうかと思う。仕事はそこそこで、幸せを感じて生きる方が良いのではないかと思う。能力以上の事をするのではなくて。能力の6割か7割ぐらいの仕事をした方が、幸せに生きられるかも知れないのに。

 ちょっと、ずるをしても良いよね、と思う。
 ずるというのは、「自分の気持ちに正直になる」と言う事だが。
 つまり、『どこかに、自分にとって、楽な仕事はないだろうか』と探す事だが。

 どっかに、“自分にとって”の、楽な仕事があると思う。
 それは、他人にとっては、楽な仕事には思えなかったとしても。

 『意志ある所に道は通ず』と言う。
 どこかに、“自分にとっての”楽な仕事があるはずだ、と思えば、“自分にとっての”楽な仕事はあると思う。他人からしたら、大変そうな仕事に思えたとしても。

(続き)
 『自分の目的に叶っている時、幸せです』と言う。
 動物実験する仕事は、動物実験しても、『動物が可愛そう』と思わない人達がすれば良いのであって。『動物が可愛そう』と思う人達は、動物実験をする仕事についてはいけないと思う。

 みんなが、望む仕事をすれば良いのであって。自分の良心が痛むような、仕事については、いけないと思う。まずは、「自分自身に正直になろう」と言う事だと思う。

 他者が敵対的に働くという事はありえないのに。

 ワクワクというよりも、「自分自身に対する正直さ」で、4次元密度に行くか、3次元密度に留まるかが分かれていくのではないかと思う。
 どうせ、「地上の天国化」だから。それは、自分の思考が、他者から、読まれるという事であり、“読まれても”平気な人達だけが、4次元密度、「地上の天国化」の世界に行く。
 思考を、読まれては困る人、つまり、自分自身に嘘を付いている人達は、3次元密度に、つまり、今までの世界に残る事になる、と。

(続き)
 小室哲哉さんの話があったが。
 要支援なら、ともかくとして、要介護状態なら、施設に入れた方が良かったと思う。
 トイレを自力で行けなくて、おむつを介護者が替えないといけないような人を家で介護するのは、介護者がしんどい。そして、介護者が、しんどい介護はされる側もしんどい。
 そういう人達は、施設に入れて、土日だけ連れて帰るとか、たびたび会いに行って、月1回か、盆正月だけ連れて帰るとかの方が、良いと思う。
 介護者が不幸を感じるような介護は良くないと思う。

 何で、自分が微笑んでいるだけで、世界に善を与えていると信じられないのかなと思う。
 苦労には、価値がないのに。

 頑張って、頑張って、走り抜けて、どうするのですか。
 宇宙は永遠なのに。

(続き)
 何か、『苦労しないとダメ』とか。そういう考えがあると思う。
 「お金で、解決出来る事は、お金で、解決したら良いのに」。
 で、お金で、解決出来る事を、お金で、解決する為に、「お金を、貯める事は、重要である」ということで。

 何か、金持ちに対する、嫉妬みたいなものがあるよね。
 『私は、私達一般庶民は、これだけ、苦労をしているのだから、金持ちの人達も、セレブの人達も、それだけの、苦労をしないといけない』みたいな。
 
 女優、芸能人が、子どもを、保育園に預けていたら、文句を言う人達がいるらしい。
 「変な話だなあ」と思う。
 「ただの、貧乏人の嫉妬ではないか」と。
 金持ちは、たくさん、税金を納めているのだから。保育所に預ける権利があるよね。
 何で、税金もろくに払っていない、貧乏人と同じ苦労をしないといけないのか、と思う。
 自分の能力を発揮する事は、十分な、豊かさなのに。
 結局それは、人の持っている、豊かさに、ケチをつけているのと、一緒だが。
 『人は、平等でないといけない』という。
 本当は、平等ではないのに。

(続き)
 現在の資本主義システムとして、『何でも、かんでも、得意な人』は、実は、あまり求められていない。それよりも、何か、一つか二つ得意な事があれば、生活していける。
 何で、自分の個性を無視するのでしょうね。
 昔は、それが、正しい事だったのかも知れないけれども。

 競争システムは、有効。それによって、自分にとって、得意な事と、不得意な事が分かるから。で、不得意な事は、放っておいて、得意な事を、頑張れば、良い、だけ。

 『才能、才能』って、言っても、芸能人になる、才能だけが、社会で、生活していくに必要な訳ではないが。自分の才能をいかせば、良いだけで。

 自分にとって不得意な事は、『金で、解決』。それが、資本主義のシステムだから。
 自分の能力で出来ない事を、自分で全部、やろうとする必要はないと思う。
 「出来ない事は、金で、解決する、出来る」のが、資本主義社会の豊かさだから。

 「自分の能力をいかせば、良いだけではないのか」。
 『社会の言う通りにしなければ』と思う、考えるのではなくて。
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