暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

ぐぐれ

2012-07-08 10:19:12 | Weblog

 まあ、2ちゃんねるでは、『ぐぐれ』というけれども。

 

 大阪人権博物館が、大阪市長の橋本さんが、大阪人権博物館の展示を、『子どもが自分の将来像を描ける教育施設としての展示にして欲しい』と言った所。その展示の内容が、『大工さんになるには? めくってみよう』回答『工務店の求人に応募する』だったそうで。それに対して、2ちゃんねるの人は『ぐぐれの方が、ましではないか』と書いているが。

 まあ、ぐぐれの方が、ましなのでしょうね。というか、“ぐぐれ”(インターネットで検索しろ)の方が、情報量が多い。

 

 読売新聞が変な人生相談を載せている。いや、人生相談自体は、どこでもあるのかも知れないが。回答が下らない。どう考えても、ネット住民から見れば。“Yahoo!知恵袋”や!“教えてgoo”の方が、回答として、面白いし。情報量が多い。Yahoo!知恵袋や、教えてgooなら、大体、一つの質問について、回答が平均して、3つか5つぐらいつくから。それに対して、読売新聞の人生相談の回答者は、一つである。しかも、面白くないし。はっきりいって、愛が感じられない。あれなら、yahoo!知恵袋や、教えてgooの方が、愛があると思う。もっとも、この二つは、ちゃんと、監視人がいる、質問場だけれども。結局、新聞がネットに負けているということだろうなと思う。結局、新聞より、ネットの方が、情報量が多いのではないか。そんな気がするのだけれども。

 

 いまどき、調べ物をするのに、図書館に行く人はあまりいない。ネットの方が、早いし、情報量が多いから。

 

 障害者になる事は、不幸な事ではないと思う。障害者にならないと、分からない視点もあるので。

 ありが不幸で。象が幸福と言う事はないと思う。子どもの視点は低い。でも、低い視点で世界を見る事、高い視点で世界を見ること。その両方の視点から世界を見ること。その事に価値があるのではないかと思う。

 

 まあ、ある人は“抽象度を上げる”という言い方をしているが。“すべてを含む集合”を実現する事。それが、人生・生命の目的ではないか、と。だから。今、ありを体験しているからと言って、ネガティブ(否定的)な人生である、と考える必要はないと思う。加害者と被害者。その両方を経験することに、人生の価値があるということで。王様だけの経験では世界のすべてを体験したとは言えないし、兵士だけの人生ではすべてを体験したとは言えない。王様、兵士、農民、女性、子ども、どんな経験にも、それなりの、視点を得られるという人生を生きる価値があると思う。

 

 ある電機機器メーカーが、大幅赤字のため、1万人規模のリストラ(人員削減)をしようとしている。それに対して、リストラの対象となった、中堅の研究者の人が、『リストラは不当だ』と言って裁判を起こしている、という内容の記事であった。

 

 しかし、リストラしないと、この企業は、数年以内ぐらいに、倒産すると思う。でも、リストラされる側からすれば、今更、他の研究者としての仕事に就ける訳ではないから。『リストラは不当だ』とか言って、裁判をするのは、その人達の行いとしては正しい。

 

 会社の経営者にとって、“正しい事”と、リストラされる側の人達にとっての“正しい事”が一致しない。

 

 “階層度を上げること”というが。この二つの立場を、統合する、正義はない。まあ、その会社が黒字になれば、問題は解決するが。まあ、それが出来れば、矛盾は生じない訳だけれども。

 その記事によれば。『その研究者は、リストラの対象になるまでは、社内で高い評価を受けていた』とのことであるから。『悪い事をしたから、悪い結果になったのだ』と言う事は言えないと思う。でも、それでも、“リストラ”が必要な場合である。この矛盾の中で、『どちらが正義である』とか言う事は言えないと思う。「その立場においては、どちらも正しい」としか言えないと思う。

 

 この二つを統合する正義はない。

 もちろん、『経済成長すればすべては上手くいく』という主張がある事は知っている。この会社の例で言えば、『この会社が永遠に発展し続ければ』別にリストラはいらない、という正義である。

 

 大企業に就職する事にはそれなりの意義があるようである。

 ある自営業者の立場で意見を言う人は言う。『給料の切り下げは、どんなに小さな手当であっても、裁判所は切り下げを認めない。だから、給料を上げたいと思っても、ボーナスを増額する事しかやってはいけない。余計な手当をつけるような事をするな』と言う。

 だから。“大企業に勤める事”はそれなりの利益がある。大企業は、昔の高い給料のまま、引き下げる事が難しい状態にあるのだからして。その大企業に勤める事は、労働者にとって利益があると思う。

 そして、中小企業に勤める事には、それなりの不利益があると思う。例え、儲かっていても、給料の引き上げをなかなかしてくれない状況に置かれているのだからして。

 

 でも。『未来の事は分かりません』という。『日本航空は倒産するまでの10年間大幅赤字決算にも関わらず、女子大生の就職したい企業ベスト10に入っていました』と。

 

 一部のエリートを除き、就職活動をする時に、就職希望先の決算を見て、就職活動をする事はほとんどの人がしないと言って良いと思う。だから、大抵、ほとんどすべての人がその企業が赤字決算か黒字決算か知らずに就職活動をする。そして、赤字決算企業の会社は、いつか必ず、倒産する、ということで。大企業に勤めていたとしても、倒産間際の企業からのリストラ(退職)を逃れられる訳ではない、と。

 

 “大企業に勤めている自分”が、重要なアイデンティティ(自己同一性、自分は何者であるかを示すもの)になっている人達がいるみたいなのだよね。

 日本航空(JAL)が倒産して、リストラにあった後、『自分がリストラにあった事を人、家族に言えなくて、普通に出社するふりをした後、どこかの公園で暇つぶしをしている人』とかがいるようであるということで。

 でも、普通の人から見れば、日本航空が倒産した事ぐらい誰でも知っている訳で。別にその会社をリストラされたからと言って、恥でも何でもないと思う。隠す方が不自然だと思う。でも、“日本航空という大企業に勤めている自分”が重要なアイデンティティになっている、いた人にとっては、“日本航空を首になった自分”では、自分の尊厳が守られないと感じているのだと思う。

 

 堺屋太一さんの意見によれば。“経済の成長が前提”の時期は、人類の歴史から見れば、短い期間である、という。

 “労働者不足”という時期は、永遠の真理ではないであろうと思う。

 私達は、“労働者過剰”という時期、“経済の成長を見込めない”時期という状況下における、正しい倫理とは何かと言う事について、考えていく必要があるように思う。

 

 資本主義+民主主義という体制が生き残ったのは。ただ、“変化”を受け入れる事が容易な体制であっただけの話である。まだ、我々の“資本主義+民主主義”という先進国体制も、“経済成長”“労働者不足”を前提とする倫理観の中で動いている。

 「その状況における、最善と思われる選択を」。それが正しい思考だと思う。

 結局、世界は変わるのだ。その事実は拒否出来ないと思う。

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