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比較

2017-10-21 14:54:42 | Weblog
 比較

 『日本オリジナリティ』でインターネットで調べていたら。
 『アメリカの会社では、ググれカスとは言われない。質問をしたら、教えてくれる』という話が載っていたが。
 ググれカスというのは、普通の言論で言えば、『ネットで検索したら』という事だけれども。
 まあ、自分が知っている事だったら、『ググれカス』『ネットで検索したら』とは言わないよね。自分が知らない、良く分かっていない事だから、『ググれカス』『ネットで検索したら』という訳で。

 日本は比較優位論に基づいた、会社経営をしていない。アメリカ、欧米は、比較優位論に基づいた会社経営をしている。だから、知らない人は、知っている人に質問をしたら、答えが返ってくる。日本は、比較優位論に基づいた会社経営をしていないから。つまり、みんな同質が前提だから。ある人がある疑問を持ったとしても、それに答えられる賢い人はいない、と。

 同質であったら、自分が、それを知っているという事が分からない。その人達にとっては、それは、当たり前の事だから。

 『神との対話』に載っている話として。
 『ある所に、光があった。その光は、光の中では小さいものであった。ある時、その光が自分を知りたがったので、神は、「闇の中に行きなさい」と言った。そして、その小さな光は闇の中に行った。その光は言った。「神よ。なぜ、私を見捨てたのですか」。神は言う。「あなた方が、神の恩寵を失った事など、一度もないよ」』と。

 知らない人がいる事によって、自分が知っている事が分かる訳で。
 同質であれば、自分が、何者であるかについて、定義出来ない。

(続き)
 企業内保育所というのは、一つの回答だよね。
 日本は、『みんな平等』を実現しようとするが。
 シンガポールでは、高学歴の女性が子供を産むと優遇される、と。
 実際は、高学歴の人、女性ほど、出生率は低いが。

 『日本の出生率は欧米に比べて低い』と言われているが。
 日系アメリカ人の、物理学者の説明によれば、『日本の出生率は低いと言われているが。アメリカの、アメリカ生まれの人の出生率は、日本並み』と。つまり、移民の人の出生率が高い為に、アメリカの出生率が、日本よりも高くなっているだけである、と。
 今は、貧乏人の子沢山が、真実だから。
 
 アメリカでは、移民の人が、アメリカ在住権を持つ為には、子供を産む必要があるから。
 医療保険も、『子供がいない無職の大人が入れる医療保険はない』と言われているから。
 移民の人達にとっては、子供を産む事は、自分の生活を向上させる事になるから。

 テレビで、赤ん坊を背負って、接客をする、レストランが、紹介されていた。
 『飛行機に、赤ん坊を乗せるな』と主張する男性がいる。
 だけど。自分も、泣く子供であったはずなのに。
 同質を実現しようとするのは、危険だよね、と思う。

 高齢者を施設に入れて、幼児を保育所に入れたら、安心と。
 で、障がい者を施設に入れたら、安心と。
 “普通の大人”でない人達を施設に入れて、普通の大人から、目に見えない所に入れて、隠したら、安心と。
 それは、違うのではないかと思う。

 弱さを認める事。
 がんを理由に、仕事を辞めないで済むような社会を作る事。
 病人でも働けるような世の中にすること。
 
 『男性は働いて、女性は家庭を守る』というのも。
 私の、幼稚園の時の、出席を見たら、いっぱい休んでいるのだけれども。
 会社を休まない人達だけで、会社を維持すれば良い、という考えなのだよね。
 今の日本の考えというのは。
 休む人を受け入れられない、と。

 『総合職、一般職』というよりも、「あまり会社を休まない人、いっぱい会社を休む人」という分類にした方が良いと思うのだけれども。
 で、今の日本の会社というのは、いっぱい会社を休む人を受け入れられない、と。
 
(続き)
 ええっと。
 『神との対話』の本の中で、神は、『自分で考えて、自分で判断するって。お前は何様のつもりなのだと言われるかも知れない。そう、何様だという質問に答える事になる』と言っているが。それは、そう簡単な問題ではない。自分が何を信じているかさえも(?)簡単には、分からないのだから。

 結局の所、自分が、何の話を書いているのかさえも(?)分からなくなってくる。
 で。
 他者に言う事を正しいと信じた方が簡単だ。自分が正しいと信じられるから。
 でも、自分で考えて自分で判断していると、自分の意見、考えが正しいのかについて、「分からない」ということで。

 女性の社会進出問題について、言われるが。
 マスコミ的に、正しいとされている考えが、正しいのかについて、判断が出来ない。疑っている訳だけれども。
 でも、その疑問は、ある訳で。
 社会的に私の疑問が、正しいと認められるかは、別として。

 『正しさ』『正しい、正しい』『正しさを追い求める事』が、果たして『正しい』事なのか。
 その疑問がある。
 障がい者を閉じ込め、介護が必要な高齢者を閉じ込め、乳幼児を閉じ込め、乳幼児を持つ母親を、家庭に閉じ込める。その事が、正しい事なのか。
 でも、それをやってきた、目指してきたのが、今までの社会のあり方な訳で。

 弱さを認められない。
 完全な人間だけしか認められない。
 それで良いの?と思う。

 正義が胡散臭いのは、正しい人しか認めないからで。
 本当は、過ちを含まないといけないのに。
 神は全てを含む集合だから、悪魔も含まないと神にはならないのに。
 「失敗を認める社会を」と思う。
 『成功しか受け入れらないのだ』というのではなくて、と。

(続き)
 良く分からないけれども。
 「世界の不完全さを愛せたら」と思う。
 『完全ではないから、愛せないのだ』というのではなくて。
 
(続き)
 『どこにでも存在するものは、存在を認識出来ない』と、物理学の研究でも言われているが。
 存在しないものがある事によって、存在する事が分かる、と。
 だから、否定的に見えるものを、歓迎しないと。
 出来ない人がいる事によって、自分にそれが出来る事が分かるのだから。
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