神との対話を読んでいて気になっていた問題ではあるが。「キリスト教を信じない人は地獄に落ちます」というのは、重大な問題だと思う。私がキリスト教が嫌いになったのは、この問題が原因であるが。しかし、同じことはイスラム教も言っている。「アラーを信じないものは、地獄に落ちる」と。でも、仏教にした所で、上座仏教(小乗仏教ともいう)は、「出家しないと教えは分からない。だから、出家できない女性とかの人達は下等な存在である」と教えています。それを否定した(完全にかは知らないが)大乗仏教である、という訳で。
で、結局、世界において、宗教に興味を持つ人の疑問の大半は、「神は我々に何を望んでいるのか」ということなのである。『神との対話』が言うように、この「神は我々に何を望んでいるのか」ということから、解放されるということは、重大な問題であるのだが。しかし、この神は、結論だけで、なぜ、それが重大な問題なのかについては、語っていない。
「神は我々に何も望んでいない」と言えば、神学の大半がひっくり返るというが。しかし、問題はそういうことではない。問題は、なぜ、「神は何を望んでいるのか」ということを宗教的人間は気にするのかということである。問題は、「神は何も望んでいない」。問題は、「人間のために、神がいるのであり、神のために人間がいるのではない」と言うことである。これを会社経営に置き換えてみると、「人間のために、会社があるのであり、資本家の利益のために、会社があるのではない」ということである。
論理的な意見からいえば、「トップ(一番上)中のトップ」と言えば、神のことあろう。で、世界の宗教者達は、「神が何を望んでいるか」に思考のエネルギーを使う。でも、そんなことは問題ではないのだ。人生の目的とは、上の人の命令をいかに忠実に実行出来るかという能力ではなく、自分達個々の人間の幸福なのだから。
日本人は、アメリカの軍人勧誘の仕事の「仕組みを作った人」を非難するであろう。まあ、仕組みそのものは公正だとしても。そういう仕組みを放っておく人達のこと、そういうシステムの上でしか、成り立たない、アメリカ人のトップの在り方について、非難するであろう。それは当然のことであろう、と思うが。
問題は、個々人の幸福なのだ。それを追及するのが、多くの人間が存在する意味なのだ。これが日本人的発想なのであるが。一神教の人達は理解していないような気がする。だから。神が何を望んでいるかに気を取られて、「本当は自分達が何を望んでいるのか」ということを、置き去りにするのである。それが最大の問題なのであるが。
「自分達自身が望んでいることを実行しなさい」 それが、『神との対話』の最も重要なメッセージであるような気がするが。しかし、一神教の人達はいまだに、「神が我々に望むこと」に気を取られている。で、それが、スピリチュアルな面における、人類の進歩を妨げている、と、『神との対話』の神は言います。一神教の教徒達が、どこまでそれを理解したかは知らないが。
一応、書くことが尽きたような感じなので。また、これについては、面白い文章が思いつくまで、また考えてみます。
35歳のオレが21歳の子と生セクースできたぜ!!
おまヌこに濃いーの中 出 しちゃったけど全然OKだったよ(笑)
しかも6万円ももらっちゃったし・・・最近の子ってホント大胆だな!!(゜∀゜*)