人間と神様の倫理観が違うと考えるから、おかしくなるのでしょう、と思う。
「人の為になる事をやったら、幸運が来る」というのを、私は「人の為になる事をやったら、良い神様がその人のやる事を応援してくれるから」と解釈しているが。
「意地悪な人に対しては、みんな意地悪。良い人に対しては、みんな親切」と。
なぜ、それが、他の存在に関して違うと考えるのだろうか、と思う。
みんな「意地悪な人に対しては、意地悪で、良い人に対しては親切」なのに。
なぜ、そういう考えに例外が働くと考えるのだろうか、と思う。
『はてな、浜田』で検索されるツイッターを書いている人がブログで。
『私にお金を貸してくれたら、自営業出来るのに』とか書いているが。
「あなたにお金を貸しても、結局、自営業は上手くいかなくて、お金貸す前よりも、不幸になる可能性が高いではないか」と。
結局、『お金を貸して』「お金を貸す前より、上手く行く人に対しては、人はお金を貸したがるが、お金を貸して、『お金なんて、貸さなければ良かった』となると分かっている人には、誰もお金なんて貸したくない」と。
でも、本当は、『お金を貸してくれれば、私は幸せになるのに』は間違いだと思う。
お金を貸して、お金を貸した価値がある人と、お金を貸して、『お金なんて貸さなければ良かった』という人がいる、と。
その違いは何だろうか、と。
結局、『働く能力の問題』だよね。
働いて、幸せになる人と、全然働けない人がいる、と。
この人も、せっかく採用されても、すぐに辞めているから。
結局、上司とかに怒りを感じてしまうらしい、と。
仕事自体も上手くいていなくて、解雇とかも多い、と。
「私が、泣きながら仕事しないといけない状態なら、とっくの前に、仕事出来ないような状態になっていると思う」。
ストレスは感じにくいが、ストレスには弱いから。
ふーん、って。
たかが、飲食店の仕事でも、毎日、泣きながら仕事をしている人がいる、と。
だけど、もっと、収入の高い仕事でも、楽しんで仕事をしている人がいる、と。
単に、『働く能力の問題』だと思うが。
自分の8割の能力を使って、幸せに仕事出来たら良いと思う。
だけど、自分の100%の能力を使って仕事をしても、仕事が辛い人がいる。
多分、それはその人の能力の問題だと思う。
世の中には、『泣きながら仕事をしても』他人からしたら、失敗ばかりしている人もいれば。
楽しんで仕事をしていても、周りからしたら、素晴らしい仕事をしている人がいる。
結局、『働く能力の問題』と。
会社の人から見て、『仕事になっていなくても』給料がもらえるのなら、得だと思う。
で、そういう状態を望んでいる人がいる、と。
『食べていかないといけないから』。
(続き)
別に親と仲が悪い事は良い事ではないし。
親の悪口を言う事は別に良い事ではないし。
で、夫の悪口を言う事も良い事ではないし。
家族の悪口を言う事も良い事ではないし。
身内の悪口を言う事も良い事ではない。
それなのになぜ、身内の悪口を言って、『私は正しい』と言う人達がいるのだろうか、と思う。
病院の入院の保証人なんて、身内しか書けないのに。『友達では病院の入院の保証人は書けない』のに。
(続き)
『立場の弱い人から、首になっていく』と言えば、聞こえは良いけど。
「働く能力のない人から首になっていく」と。
働く立場の人の希望と、会社の側の希望は違うのだ、と。
それを『みんなが納得する答えがあるはずだ』と考えるから、おかしくなるのだと思う。
『みんなが納得する解答はない』と認識する必要があると思う。
「所詮世の中妥協だ」と考える必要はあると思う。
会社側にとっての、派遣のメリットは、『雇いやすさと、解雇のしやすさ』しかないと思う。
実際、同じ時給のアルバイトや正社員よりも、会社が払うお金は高いのだから。
好景気の良い所。「無能でも仕事がある所」。
まあ、だから、『格差が目立たない』と。
差は、給料の差だけだから。
だけど、不景気だと、まず、雇われるか、無職かという格差になる、と。
日本のバブル経済の頃でも、新聞とかテレビは『問題だ、問題だ』と騒いでいたけれども。
「フランスは正しいのですかね」。
結局、『解雇禁止』にすると人が雇えなくなる。
「ドイツは正しいのですかね」。
小学校の時の成績で、大学に行くコースか、職業高校に行くかのルートが分れる、と。
でも、パン職人の職業高校に行って、一生パンを作る仕事が出来るのか、という話だと思う。
世の中は変化していっているのに。
「ドイツは変化に弱い所がある」と思う。
『ベンツは素晴らしい』と言って、20年前ぐらいの技術を使って、『デザインは昔のまま』と言って、自慢している。
大学を卒業して最初に就いた仕事で、「分野が狭い」と言ったら、『つぶしがきかないと言うのだよ』と言われたが。
『専門学校に行く』というのも悪いアイデアではないと思うが。
だけど、その専門学校で習った分野の仕事をするには良いけど。他の分野の仕事をする時には、評価されない、と。
「選択肢はいっぱいある方が良いよね」と思うけど。
『職業訓練校』と言えば、聞こえは良いけど。
それ以外の仕事につくのが、難しくなる、と。
日本の企業って、アメリカなら、解雇する所を、配置転換するでしょう。
で、配置転換した後、数年ぐらいは、雇用されている人にとっての、学習期間、と。
『アメリカでは、大学の専門分野の仕事をする事が良い事だとされ』と。
で、新聞記者として入社した人は、経営者になりたいなら、また大学に行って、経営学の勉強をしないといけない、と。
日本では、普通に入社した人でも、経営陣の人になれる、と。
「アメリカって、結局、最先端の部分だけが強いだけじゃないですか」と。
後がダメ、と。
アメリカの大学は素晴らしい、多分、トップレベルに関しては。
でも、「普通の人がダメ」。
堺屋太一さんは、『日本は小学校が素晴らしくて、大学はダメだと言われているが。教育の意味は、大学を素晴らしくする事ではないか』と書いていたが。
私はそれは違うと思う。
「小学校が素晴らしくて、大学がダメであることによって、平等的な社会が実現する」と思う。
まあ、「アメリカは最初の発明は素晴らしいが、改良は日本が素晴らしい」のだけど。
「日本の欠点ばかり言うのは良くない」と。
アメリカにはアメリカの利点があって、日本にも日本の利点があるのだから。
日本人はすぐに、『このままでは日本はつぶれる』と言うが。
「多分、つぶれないと思うよ」と思う。
日本には日本の利点があるのだから。
それを言わないのはおかしいと思う。
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「人の為になる事をやったら、幸運が来る」というのを、私は「人の為になる事をやったら、良い神様がその人のやる事を応援してくれるから」と解釈しているが。
「意地悪な人に対しては、みんな意地悪。良い人に対しては、みんな親切」と。
なぜ、それが、他の存在に関して違うと考えるのだろうか、と思う。
みんな「意地悪な人に対しては、意地悪で、良い人に対しては親切」なのに。
なぜ、そういう考えに例外が働くと考えるのだろうか、と思う。
『はてな、浜田』で検索されるツイッターを書いている人がブログで。
『私にお金を貸してくれたら、自営業出来るのに』とか書いているが。
「あなたにお金を貸しても、結局、自営業は上手くいかなくて、お金貸す前よりも、不幸になる可能性が高いではないか」と。
結局、『お金を貸して』「お金を貸す前より、上手く行く人に対しては、人はお金を貸したがるが、お金を貸して、『お金なんて、貸さなければ良かった』となると分かっている人には、誰もお金なんて貸したくない」と。
でも、本当は、『お金を貸してくれれば、私は幸せになるのに』は間違いだと思う。
お金を貸して、お金を貸した価値がある人と、お金を貸して、『お金なんて貸さなければ良かった』という人がいる、と。
その違いは何だろうか、と。
結局、『働く能力の問題』だよね。
働いて、幸せになる人と、全然働けない人がいる、と。
この人も、せっかく採用されても、すぐに辞めているから。
結局、上司とかに怒りを感じてしまうらしい、と。
仕事自体も上手くいていなくて、解雇とかも多い、と。
「私が、泣きながら仕事しないといけない状態なら、とっくの前に、仕事出来ないような状態になっていると思う」。
ストレスは感じにくいが、ストレスには弱いから。
ふーん、って。
たかが、飲食店の仕事でも、毎日、泣きながら仕事をしている人がいる、と。
だけど、もっと、収入の高い仕事でも、楽しんで仕事をしている人がいる、と。
単に、『働く能力の問題』だと思うが。
自分の8割の能力を使って、幸せに仕事出来たら良いと思う。
だけど、自分の100%の能力を使って仕事をしても、仕事が辛い人がいる。
多分、それはその人の能力の問題だと思う。
世の中には、『泣きながら仕事をしても』他人からしたら、失敗ばかりしている人もいれば。
楽しんで仕事をしていても、周りからしたら、素晴らしい仕事をしている人がいる。
結局、『働く能力の問題』と。
会社の人から見て、『仕事になっていなくても』給料がもらえるのなら、得だと思う。
で、そういう状態を望んでいる人がいる、と。
『食べていかないといけないから』。
(続き)
別に親と仲が悪い事は良い事ではないし。
親の悪口を言う事は別に良い事ではないし。
で、夫の悪口を言う事も良い事ではないし。
家族の悪口を言う事も良い事ではないし。
身内の悪口を言う事も良い事ではない。
それなのになぜ、身内の悪口を言って、『私は正しい』と言う人達がいるのだろうか、と思う。
病院の入院の保証人なんて、身内しか書けないのに。『友達では病院の入院の保証人は書けない』のに。
(続き)
『立場の弱い人から、首になっていく』と言えば、聞こえは良いけど。
「働く能力のない人から首になっていく」と。
働く立場の人の希望と、会社の側の希望は違うのだ、と。
それを『みんなが納得する答えがあるはずだ』と考えるから、おかしくなるのだと思う。
『みんなが納得する解答はない』と認識する必要があると思う。
「所詮世の中妥協だ」と考える必要はあると思う。
会社側にとっての、派遣のメリットは、『雇いやすさと、解雇のしやすさ』しかないと思う。
実際、同じ時給のアルバイトや正社員よりも、会社が払うお金は高いのだから。
好景気の良い所。「無能でも仕事がある所」。
まあ、だから、『格差が目立たない』と。
差は、給料の差だけだから。
だけど、不景気だと、まず、雇われるか、無職かという格差になる、と。
日本のバブル経済の頃でも、新聞とかテレビは『問題だ、問題だ』と騒いでいたけれども。
「フランスは正しいのですかね」。
結局、『解雇禁止』にすると人が雇えなくなる。
「ドイツは正しいのですかね」。
小学校の時の成績で、大学に行くコースか、職業高校に行くかのルートが分れる、と。
でも、パン職人の職業高校に行って、一生パンを作る仕事が出来るのか、という話だと思う。
世の中は変化していっているのに。
「ドイツは変化に弱い所がある」と思う。
『ベンツは素晴らしい』と言って、20年前ぐらいの技術を使って、『デザインは昔のまま』と言って、自慢している。
大学を卒業して最初に就いた仕事で、「分野が狭い」と言ったら、『つぶしがきかないと言うのだよ』と言われたが。
『専門学校に行く』というのも悪いアイデアではないと思うが。
だけど、その専門学校で習った分野の仕事をするには良いけど。他の分野の仕事をする時には、評価されない、と。
「選択肢はいっぱいある方が良いよね」と思うけど。
『職業訓練校』と言えば、聞こえは良いけど。
それ以外の仕事につくのが、難しくなる、と。
日本の企業って、アメリカなら、解雇する所を、配置転換するでしょう。
で、配置転換した後、数年ぐらいは、雇用されている人にとっての、学習期間、と。
『アメリカでは、大学の専門分野の仕事をする事が良い事だとされ』と。
で、新聞記者として入社した人は、経営者になりたいなら、また大学に行って、経営学の勉強をしないといけない、と。
日本では、普通に入社した人でも、経営陣の人になれる、と。
「アメリカって、結局、最先端の部分だけが強いだけじゃないですか」と。
後がダメ、と。
アメリカの大学は素晴らしい、多分、トップレベルに関しては。
でも、「普通の人がダメ」。
堺屋太一さんは、『日本は小学校が素晴らしくて、大学はダメだと言われているが。教育の意味は、大学を素晴らしくする事ではないか』と書いていたが。
私はそれは違うと思う。
「小学校が素晴らしくて、大学がダメであることによって、平等的な社会が実現する」と思う。
まあ、「アメリカは最初の発明は素晴らしいが、改良は日本が素晴らしい」のだけど。
「日本の欠点ばかり言うのは良くない」と。
アメリカにはアメリカの利点があって、日本にも日本の利点があるのだから。
日本人はすぐに、『このままでは日本はつぶれる』と言うが。
「多分、つぶれないと思うよ」と思う。
日本には日本の利点があるのだから。
それを言わないのはおかしいと思う。
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