ポジティブとは「選択肢がいっぱいあるよ」と言う事。
ネガティブとは、『これを信じないといけない』と言う事。『これでないといけない』『選択肢を認めない』と言う事、と思う。
愛知トリエンナーレね。
詳しい展示内容は知らないが。
どうも、昭和天皇の写真を焼いて、その灰を踏みつける映像を見せていた、と。
で、それを『芸術だ』と言う。
いや、100歩ほど譲って、それを『芸術』と認めるとして。
「公費、日本人の税金使ってやるな」と思う。
個人が勝手にやる分には良いけど。
でも、個人が勝手にやったとして、文句言う人はいる。
その「文句言う人の権利も認めないとね」と思う。
『自分達の言う事を信じないといけない』というのは、ダメと思う。
「単に選択肢の一つと言うだけに過ぎないのに」。
『私達の言う事を信じないといけない』というのではなくて。
だけど。偉そうな事を言っていても、欧米人の白人というのは、自分の子どもに、『しつけ』と称して、鞭を打っていた人達なのだから。
北朝鮮でも、他の共産主義国家でも、ポルポトでも、ヤマギシ会でも、子どもに対して、肉体的に苦痛を与える事をして、『これが、教育だ』と言っていたのだから。
でも、何で、そんな事をする必要があるのだろう。
日本社会では、死者の冒とくは、良い事とされないが。
「自分がされて嫌な事を、人にする事を、善だと言う人達がいる」と。
それが、『正義だ』と左翼とか、共産主義国家は言う。
もちろん、彼らは『自分達は傷ついている』と思っているから、そうするのだろうけど。
でも、なぜ、それに『傷つく』のだろうか、と思う。
『金持ち父さん、貧乏父さん』が、1行ほど役に立ったとして、『神との対話』は10行ほど、役に立ったよ、と思う。
別に、『これが絶対正義だ』という訳ではないのに。
別に、色々な情報を使って良いよね、と思う。
『この情報源は絶対的に善で、後は邪道だ』と言うのではなくて。
神の道に到達するのに、一つの道しかないと言う事はない。
「富士5合目も、5か所ぐらいあるのだから」。
でも、『これが絶対なのだ。これ以外認めない』と言う人達がいる。
「なぜなのだろうか」と思う。
別に、「批判する人達の権利も認めようよ」と思う。
『みんな自分の信じている事を言う権利を持っています』。
でも、『制約のゲーム』をしている、と思う。
『豊かさは限られているから、奪い合わないといけない』みたいな。
『日本人が持っている動物的感性を持っている人達』と、アフリカのその日本人が持ってきた飴を大袋ごと奪い合っている人達の事を指して言う。
でも、「そんな動物的感性なんていらない」と思う。
「望めばいくらでも、飴を得られるなら、奪い合わないだろう」と。
『待っていたら、くれる』と信じているなら、奪い合う事はないだろう、と。
日本人の持っている豊かというのは、とても大事なものなのに。
『動物園にいる動物はかわいそう』と言っている人達がいるらしいが。
だけど、「野生の動物より、動物園にいる動物の方が、平均寿命は長い」と。
人間に育てられたパンダを野生に放つと、野生のパンダに殺されてしまうらしい、と。
人間に育てられたパンダの方は、『他のパンダと仲良くしたい』と思っていたとしても、野生のパンダの方は、人間に育てられたパンダを殺してしまうらしい。
「殺し合いをしなくて、すみますように」。
何で、「奪い合いのゲームをしないといけないのだろう」と。
『これしか食べるものがないから』と言う。
でも、「本当は、選択肢は色々あるよ」と思う。
だけど、「選択肢が色々ある事を知らない人達がいる」。
で、『これでないとダメなのだ』と言っている。
昭和天皇は、権力者だから、侮辱しても良い、と。
私達は、弱者で被害者だから、侮辱は受け入れられないけど、と。
自分達には、豊かさが得られていないから、と。
『被害者』で『弱者』である理由はないのだけど。
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ネガティブとは、『これを信じないといけない』と言う事。『これでないといけない』『選択肢を認めない』と言う事、と思う。
愛知トリエンナーレね。
詳しい展示内容は知らないが。
どうも、昭和天皇の写真を焼いて、その灰を踏みつける映像を見せていた、と。
で、それを『芸術だ』と言う。
いや、100歩ほど譲って、それを『芸術』と認めるとして。
「公費、日本人の税金使ってやるな」と思う。
個人が勝手にやる分には良いけど。
でも、個人が勝手にやったとして、文句言う人はいる。
その「文句言う人の権利も認めないとね」と思う。
『自分達の言う事を信じないといけない』というのは、ダメと思う。
「単に選択肢の一つと言うだけに過ぎないのに」。
『私達の言う事を信じないといけない』というのではなくて。
だけど。偉そうな事を言っていても、欧米人の白人というのは、自分の子どもに、『しつけ』と称して、鞭を打っていた人達なのだから。
北朝鮮でも、他の共産主義国家でも、ポルポトでも、ヤマギシ会でも、子どもに対して、肉体的に苦痛を与える事をして、『これが、教育だ』と言っていたのだから。
でも、何で、そんな事をする必要があるのだろう。
日本社会では、死者の冒とくは、良い事とされないが。
「自分がされて嫌な事を、人にする事を、善だと言う人達がいる」と。
それが、『正義だ』と左翼とか、共産主義国家は言う。
もちろん、彼らは『自分達は傷ついている』と思っているから、そうするのだろうけど。
でも、なぜ、それに『傷つく』のだろうか、と思う。
『金持ち父さん、貧乏父さん』が、1行ほど役に立ったとして、『神との対話』は10行ほど、役に立ったよ、と思う。
別に、『これが絶対正義だ』という訳ではないのに。
別に、色々な情報を使って良いよね、と思う。
『この情報源は絶対的に善で、後は邪道だ』と言うのではなくて。
神の道に到達するのに、一つの道しかないと言う事はない。
「富士5合目も、5か所ぐらいあるのだから」。
でも、『これが絶対なのだ。これ以外認めない』と言う人達がいる。
「なぜなのだろうか」と思う。
別に、「批判する人達の権利も認めようよ」と思う。
『みんな自分の信じている事を言う権利を持っています』。
でも、『制約のゲーム』をしている、と思う。
『豊かさは限られているから、奪い合わないといけない』みたいな。
『日本人が持っている動物的感性を持っている人達』と、アフリカのその日本人が持ってきた飴を大袋ごと奪い合っている人達の事を指して言う。
でも、「そんな動物的感性なんていらない」と思う。
「望めばいくらでも、飴を得られるなら、奪い合わないだろう」と。
『待っていたら、くれる』と信じているなら、奪い合う事はないだろう、と。
日本人の持っている豊かというのは、とても大事なものなのに。
『動物園にいる動物はかわいそう』と言っている人達がいるらしいが。
だけど、「野生の動物より、動物園にいる動物の方が、平均寿命は長い」と。
人間に育てられたパンダを野生に放つと、野生のパンダに殺されてしまうらしい、と。
人間に育てられたパンダの方は、『他のパンダと仲良くしたい』と思っていたとしても、野生のパンダの方は、人間に育てられたパンダを殺してしまうらしい。
「殺し合いをしなくて、すみますように」。
何で、「奪い合いのゲームをしないといけないのだろう」と。
『これしか食べるものがないから』と言う。
でも、「本当は、選択肢は色々あるよ」と思う。
だけど、「選択肢が色々ある事を知らない人達がいる」。
で、『これでないとダメなのだ』と言っている。
昭和天皇は、権力者だから、侮辱しても良い、と。
私達は、弱者で被害者だから、侮辱は受け入れられないけど、と。
自分達には、豊かさが得られていないから、と。
『被害者』で『弱者』である理由はないのだけど。
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