「もう、頑張るのは、いらない」と思う。
精神障害者の、べてるの家は、『降りて行く生き方』と言っているが。「もう、頑張るのは、嫌だ」と言いたい。
堺屋太一さんの言っている事を私なりに言えば。「経済成長が望めない時代になった。だから。経済成長=給料の増加の為に頑張ろうという考えは止めにしたい」と言いたい。
堺屋太一さんは、“物量の増加が望めない時代”という書き方をしているが。まあ、20年ほど前に書かれた本だし。今風に言えば。「経済成長が望めない時代になった」という言い方で良いと思う。
『勉強を放棄する若者』とかいうのが、話題になっているらしいけれども。正直言って、「努力すること自体を放棄したい」と言いたい。
『努力すれば、幸せになれる』時代はそうすれば良い。でも、努力しても、幸せになれる時代ではなくなっている。
『“普通の人”では、食べていけなくなる』と脅すエリートの人達がいる。でも、“普通の人”が、努力しても意味がない時代になったのであれば。普通の人に対して、“努力すること”を押し付けるべきではない。
橋下さんのやった教育改革のうち、私立高校に対する授業料無償化制度については、評価したいと思う。でも、『小中学校に留年の制度の導入』は間違っていると思う。だってそしたら、知的障害者とか、学習障害の人とか、どう頑張っても、勉強が出来ない人達が、どうすることも出来なくて、困ってしまうから、ということで。
“競争原理の導入”は、生産者側の導入だけで十分である。消費者側に対する導入はいらないと思う。
『今の経済指標は、1980年代の頃と同じである』と言って、『ダメな日本になってしまった』という人達がいる。でも、本当は1980年代に戻さなければならない。昔は、1980年頃までは、公務員の給料は民間よりも低かった。どう考えても、その時代に戻さなければならないのに、公務員だけ給料を減らす改革が遅れている。そこが問題の原因であると思う。
未来予測主義者も、『今よりも、良い未来が来ますよ』というし。政治改革論者も、『今よりも、経済成長する素晴らしい未来を実現します』と主張する。でも、正直言って、「今よりも、経済成長して、給料が増加するという未来はいらない」と。私はそう思うのだけれども。
その点において、政治改革論者は、根本的に間違っていると思う。
国民が望んでいるのは、公務員の給料を半減させることであり、それは、GDP縮小計画なのである、ということで。