暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

望まれている所に

2012-05-19 11:06:44 | Weblog

 『望まれている所に』

 

 『自分の望む事をしなさい』というが。不細工な人が、俳優になろうとしても、多分、不幸な目に合うだけだと思う。不細工芸人として、売り出すのであれば、別だけれども。

 『やりたい事をやりなさい』というが。本当は、『やりたい事』をやるよりも、望まれている所、仕事で言えば、職場の人に、『あなたに働いて欲しい』と言われている所、結婚相手で言えば、『あなたと一緒に生活したい』と言ってくれる人と、結婚するのが、人間の幸福というものではないだろうか、ということで。

 自分の意思の中で、『やりたい』と思っている事をするのも、意味があるのかも知れないが。『やりたい事』をやれなかった、実現出来なかったと言って、あきらめる事はないと思う。人に、『あなたにやって欲しい』と言われる事をやるのも、幸福なのだからして。

 いくら、『やりたい事』があったとしても、その『やりたい事』をやる事について、人から、『あなたは必要ない。能力不足である』と言われる事を、やろうとすると、苦しいだけだと思う。そういう場合は、周りの人から、『あなたにいて欲しい』と言われる事をするのが、人間にとっての、幸福だと思うのだけれども。

 

 結婚だって。自分が相手に対して、条件をあげても。相手にも都合があるのだし。自分が条件をあげるように、相手にも条件を付ける権利があると思う。

 『大企業に就職したい』と言っても、相手が、『あなたの能力では不足している』いうなら、あきらめるしかない。

 “あきらめ”は重要である。人間“やりたい事”をやるよりも、“望まれている所”に行く方が幸福だと思うのだけれども。もちろん、“やりたい事”をやれれば、それに勝る幸福はないのだろうけれども。“望まれている所に行く事”も、幸福の一形態だと思う。

 

 婚活をしている、40歳近くの女性で、『婚活で会う、男性は、困った男性ばかりである』と書いている人がいます。でも、『困った男性ばかりに会うということは、私もそう見られているのかな、と悲しく思った』というのが、正しいと思う。自分が感じる出来事というのは、すべて、自己意識の反映だからして。“不幸”を感じているなら、多分、自分の感じている“意識”が、おかしいのである。自分が不幸を感じているなら、自分の意識を変える必要がある。自分が、不幸を感じている時にただ、周囲の状況だけが変化することを期待しても、多分、期待通りに行かないと思う。自分の意識を変化させないと。

 

 周りの人間が、『馬鹿ばっかり』と思ったとしたら。多分、自分が『馬鹿な人間』なのである。そこの所に気がつかないと。ただ、周囲の状況が『自分の周りは賢い人ばかり』になる事を期待しても、上手くはいかないと思う。

 

 すべてのキーワードは自己にある。自分の置かれた状況が納得出来ない時に、『周囲の状況がダメだからだ』というせいにしても、意味がない。『なぜ、周囲の状況に納得いかないのに。自分はこの場所にいるのか。なぜなら、それは、自分はそういう選択しか出来ない人間だからである』という事に気がつかなければならないと思う。ただ、自分の不幸を嘆いているばかりでは何も変わらない。『今の自分はそれに値する人間なのだ』という事に気がつかないと。

 

 しかし、婚活にしても、何にしても。“不幸な気分”のまま、何かを成し遂げられると考えている人がいる。『妊娠活動』とかいう本を本屋で、見つけたが。ちょっと立ち読みしてみたけれども。『妊娠するのに、辛い思いをしなければならない』みたいな内容の本だった。本来、性行為というのは、最大の快楽とも言われている行為なのに。なぜ、辛い思いをしてしなければならないのか。多分、こういう発想では妊娠出来ないし。出来たとしても。『子育てがこんなに辛いものとは思わなかった』というだけの事であろう。なんで、快楽より、不幸な自分を選ぶのか。それが理解しがたい点だと思う。

 

 本来、どんな行為でも、祝福に出来るはずだと思う。“辛い思い”をするのは、“辛い思い”をしてしまう、自分に原因がある。

 “嫌だ”と感じてしまうのであれば。“しなければ良い”。でも、“苦労しなければ”幸福が得られないと信じている人達がいる。そういう発想こそが悪の原因なのに。

 

 「楽しみのうちに人生を生きる事が、人間の生まれてきた意味である」と彼らに対して、言ったら、彼らはどう思うのだろうかと思う。『楽しい事だけをしなさい。そしたら、自分が生きている意味を体現することになるから』と言っている人がいる。「“不幸な自分”を選択することに何の意味もない」と私は思う。

 

 大抵の人間が、私の目からすれば、「下らない事で悩んでいるなあ」と思う。多分、その人達が不幸になる原因は、『社会的正義に自分の行動を合わさなければならない』と考えているからだと思う。「妊娠出来なければ出来ないで、良いじゃない。それもまた、一つの人生である」というのは、その本の作者と読者の女性は信じていないのであろう。人の価値観に合わせる事は、人生の目的ではないはずなのに。多分、“人の価値観に合わせる事”が、自分の中で、常識化して、それに合わせられない自分を責める自分が、自分の中にいるのだろうね。それが、世界を不幸にさせている原因だと気がつかずに。

 

 “孤独”は、幸福になる必要要件ではないが。“孤独を恐れない”考えは、幸福になるのに必要な要件であると思う。“孤立”を恐れて、他人の顔色ばかりうかがって生きるのは、ばかばかしい。でも、多くの人はそういう“ばかばかしい”人生を生きているということで。

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