∞開運ひとりごと♪~強運人生一本道∞ ☆(・∀・)!

人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
ブログには気づきがある。
私という世界でたった一つの物語

悪の世

2013-05-29 | 日記



罪を犯した犯人が強い怒りと憎しみを持っているように、警察の人もまた強い怒り

と憎しみがある。犯人と違う点は正義を重んじるところ、ルールに則っているとこ

ろです。悪人を取り締まる反対の存在としての警察。この世にある悪ってのはルー

ルに従えない人間のことであると思う。しかし、映画にもよくあるように警察でさ

えも悪を犯す。ルールを取り締まるものがルールを破る。


ストックホルム症候群。ウィキペディアによるとこのように書いてある。

恐怖で支配された状況においては、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力

・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応が原因と

説明される。

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人はこのように支配されると相手の色に染まるようになる。犯人と人質の関係では

なく、日常的にこのような関係になって、相手を支配したがるような行動になる家

庭や環境が多く存在している。このような関係はどこにでも存在する。相手を望む

ままに動かしたいという欲求は誰の心にもあるからだ。しかし、自分のこどもをこ

のように無意識に陥れてしまう場合が多くしてある。支配から自由というものはな

い。あるのは孤独だ。そしてその環境は怒りに満ちている。犠牲者は支配者が亡く

なって後に気付くかもしれない。わからないままに人を支配してしまうことはある



悪魔の心のささやきもこれに似たようなところがあるような気がした。例えば相手

の心を支配するいちばんの特効薬は「恐怖心」だ。そしてマイナスの意識。強烈な

劣等感を植え付けることに成功すればずうっと悩み苦しみ、怒り、叫び続けるだろ

う。そして、自由を奪われ悪魔のささやきのままに実行してしまうことだろう。こ

れを防ぐために愛の心を咲かせるしかない。自分で愛の種を撒くしかない。それし

か自分を縛る鎖から解放されることはないのだ。自由を奪った人間に怒りを向ける

のではなく、ただ自分に愛の種を撒けばよい。


悪人の特徴としては縄張りを持ち、人を支配したがる特徴があります。
自分のコマのように扱う人間を探していることでしょう。
そのほとんどが「エゴ」で生きている
知的な悪人は「愛の仮面」をつけているかもしれません。
他人への思いやりも自分のためのものなので、基本的に自分のことしか考えません。

長年に渡り夫婦生活で知的に弱い女性がおだやかで家庭的な旦那や父親に支配され

、子供は男性側の支配を受け、弱い女性を攻撃する。人は支配を受けるとパニック

になる。長年に渡り良くない影響を受け続けるならばその家庭は崩壊する。雰囲気

の中に人の心の潜在的なものが現れてしまう。恐怖の中で過ごしたならば人の心は

劣等感と萎縮した消極的人間が形成される。

神様の世界の中でも悪が善に移行した神様がいる。その神様は悪の手口を知ってい

るから、どんなパターンも理解できるし、対処もできる。強力な悪人を味方にすれ

ば強力な守りの力となる。悪人だからといって消してしまえばいいというわけでは

ないのだ。神様は悪人さえも生かしている。悪人の心をつかみ善へと連れていこう

とさえしているかもしれない。人は悪を裁くことはできないのだろう。



★ずっと昔に書いた日記を処分していました。
日記の内容といえば、ほとんどがマイナスのことばかりです。
感謝日記という日記と日常にあったことを書く普通のアク抜き日記の両方をおすす

めします。

日記といえば毎日、今日あった出来事を1ページに書いて、後はシュレッダーにて

処理する毎日を送れば気分もリフレッシュされることでしょう。

ある人に聞いたのですが、嫌なことを書きまくり、シュレッダーで処理することを

すれば気分を変えることができるということを聞きました。
やってみてください。

私の場合はシュレッダーがないので、嫌なことを書いて燃やすかハサミで細かく切

り刻んでゴミ袋へ

満月の日がそういう嫌な心の浄化にふさわしい時だそうです。


悪というものは誰の心の中にでも存在する。この地球に生まれてきたのは修行のためだということを知っている人はほとんどかもしれない。

なぜ生まれてくるときに過去世の記憶を消して生まれてくるのか。

罪悪感や劣等感に優越感など余計なものを深く持たせないためだろう。
余計なものが邪魔になり、今世の本当の目的を達することができないからだ。

修行というものは改めなければならない悪的な「エゴ」の解決

恐らくすべての過去世を含めて、人を殺したことがない。過ちを犯したことのない人間は一人もいないだろう。この世では善人でも過去世を含めれば誰もが悪人であることは間違いない。人を殺めるというのは戦争の時代もあったわけだから、当然のことだ。


最初からこの世には悪人しかいない。どんなに素晴らしい人も元悪人だ。

そこで「悪」という悪い表現を持つことをよくないことなので、悪という表現をしないようにすると、「未熟者」ということになります。

発達障害においても未熟という表現が適用されますが、魂を根本から教育させるためには発達障害を持つ人ほど難しい問題はない。

初めからこの世には悪人ではなく未熟者(愚か者)で溢れているわけです。
そうでない人もいるかもしれませんが、その人も初めは未熟者でした。何度も経験して熟成したわけです。


そういうことをいっている私もADDがあるので、結局大ばか者であり、大うつけものなわけで、未熟極まる魂であるわけですが、人間は皆、「未熟者」で熟成するために修行しているんだということを覚えておくと楽になるかもしれません。


「浄化」というのはこのエゴ的な心を切り捨て、円熟に育て上げるためのもの


いま、わたしたちに起きているのはこのようなことなのでしょう。




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