ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第88号 義経伝説 船魂神社

2007年01月28日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市元町7番2号

 

創建は保延元(1135)年に観音堂を建てたのが始まりといわれ、道内一歴史が古く、義経伝説ゆかりの神社でもある。
古書には「船魂大明神、本地観世音菩薩」と書かれている。

元町の教会通りを公会堂方向へ進み、チャーミーグリーン坂(八幡坂)、西高校を過ぎ一本目の十字路を左折(函館山に向う)すると鳥居と本殿が見える。
不思議なことに、ここ元町には世界の宗教が集まっているが、違和感を感じさせない調和ある街並みになっている。
これが、函館の大きな魅力だとも思う。

津軽海峡は、海流の激しいところで海難事故が多かった。
そこで、海上安全を願って神社を祀った。
社殿は、1745年、1848年、明治40年、昭和2年と建てられたが、現在の社は昭和37年の鉄筋コンクリート造で、境内面積は約1,800㎡。
鳥居の寄進者名には、市内の海運業者の名が刻まれており、船と港湾作業に従事する方々の安全を祈願していて、まるで北海道の金毘羅様といった感じがする。

義経が蝦夷地に渡り、さらに大陸に渡って「ジンギスハン」になったという壮大なロマン伝説を具現化するためには、「津軽海峡を渡った説」は必需。
義経が1190年、津軽海峡渡海の際、海が荒れたが船魂明神の加護で無事を得ることができた。
上陸後お礼のためにこの神社に参拝、喉の渇きを癒すため水を探すと、子供が現れ岩上に湧く水を教えてくれた。これが、明神様の水だったという説で、この岩が「童子岩」として境内にある。
こうして、北海道に残る17の義経伝説は、スタートを切るのである。

                    ミカエル


 


 

 



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5 コメント

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義経 (土田歳子)
2007-01-31 22:44:43
この時代は全く詳しくないのですが、義経は少し興味深いです。

新選組の原田左之介にも、似たような伝説がありましたよね、確か…。

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原田の伝説? (ミカエル)
2007-02-01 19:47:30
土田 様
伝説と言えるかどうか?思いつくのは、
1.創立期からの隊士の中で、唯一京で所帯を持った。日本の将来よりも自分や家族の幸せを求めた?
2.近藤らと袂を分かち、永倉新八らとともに会津に向うが、やがて一人で江戸に戻り、上野・彰義隊に入り重傷を負い死亡した。
このあたりの心の動きがつかめない?
これが、ナゾとなり伝説になっているかも知れませんね。 ミカエル
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えっと… (土田歳子)
2007-02-01 21:44:39
死亡した時期とかが不明確じゃないですか。

で、実は死んでなくて大陸に渡って馬賊の統領になったという…かなりまゆつばモノの話なんですけど…。

まあ、伝説という程言われてはいないんでしょうが。

すいません、何か…。



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ご無礼をお許し下され。 (ミカエル)
2007-02-01 22:30:14
土田様
ご免なさい。
マユツバでなく、確かにその説を唱えた人物がいました。新撰組研究家「清水隆氏」ですね。
満州に渡って馬賊になった生存説。
初めて知りました。
私は、彼の墓があり、没日も慶応4年5月17日ともあり、これを信じ続けていました。
これは伝説でなく、実話かも知れません。
追求しない方がよいかも・・・と思います。
勉強不足で、土田様を傷つけてしまいましたね。
申し訳ありません。 ミカエル
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いえいえ (土田歳子)
2007-02-01 23:40:03
傷ついてなんかいませんよ(^O^)

返って私の方こそ勉強になりました。

まゆつばではなかったんですね。

ちゃんとした学説(?)だったとは…。

う~ん、義経も左之介も、ロマンですねぇー☆

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