所在地=函館市元町7番2号
創建は保延元(1135)年に観音堂を建てたのが始まりといわれ、道内一歴史が古く、義経伝説ゆかりの神社でもある。
古書には「船魂大明神、本地観世音菩薩」と書かれている。
元町の教会通りを公会堂方向へ進み、チャーミーグリーン坂(八幡坂)、西高校を過ぎ一本目の十字路を左折(函館山に向う)すると鳥居と本殿が見える。
不思議なことに、ここ元町には世界の宗教が集まっているが、違和感を感じさせない調和ある街並みになっている。
これが、函館の大きな魅力だとも思う。
津軽海峡は、海流の激しいところで海難事故が多かった。
そこで、海上安全を願って神社を祀った。
社殿は、1745年、1848年、明治40年、昭和2年と建てられたが、現在の社は昭和37年の鉄筋コンクリート造で、境内面積は約1,800㎡。
鳥居の寄進者名には、市内の海運業者の名が刻まれており、船と港湾作業に従事する方々の安全を祈願していて、まるで北海道の金毘羅様といった感じがする。
義経が蝦夷地に渡り、さらに大陸に渡って「ジンギスハン」になったという壮大なロマン伝説を具現化するためには、「津軽海峡を渡った説」は必需。
義経が1190年、津軽海峡渡海の際、海が荒れたが船魂明神の加護で無事を得ることができた。
上陸後お礼のためにこの神社に参拝、喉の渇きを癒すため水を探すと、子供が現れ岩上に湧く水を教えてくれた。これが、明神様の水だったという説で、この岩が「童子岩」として境内にある。
こうして、北海道に残る17の義経伝説は、スタートを切るのである。
ミカエル
新選組の原田左之介にも、似たような伝説がありましたよね、確か…。
伝説と言えるかどうか?思いつくのは、
1.創立期からの隊士の中で、唯一京で所帯を持った。日本の将来よりも自分や家族の幸せを求めた?
2.近藤らと袂を分かち、永倉新八らとともに会津に向うが、やがて一人で江戸に戻り、上野・彰義隊に入り重傷を負い死亡した。
このあたりの心の動きがつかめない?
これが、ナゾとなり伝説になっているかも知れませんね。 ミカエル
で、実は死んでなくて大陸に渡って馬賊の統領になったという…かなりまゆつばモノの話なんですけど…。
まあ、伝説という程言われてはいないんでしょうが。
すいません、何か…。
ご免なさい。
マユツバでなく、確かにその説を唱えた人物がいました。新撰組研究家「清水隆氏」ですね。
満州に渡って馬賊になった生存説。
初めて知りました。
私は、彼の墓があり、没日も慶応4年5月17日ともあり、これを信じ続けていました。
これは伝説でなく、実話かも知れません。
追求しない方がよいかも・・・と思います。
勉強不足で、土田様を傷つけてしまいましたね。
申し訳ありません。 ミカエル
返って私の方こそ勉強になりました。
まゆつばではなかったんですね。
ちゃんとした学説(?)だったとは…。
う~ん、義経も左之介も、ロマンですねぇー☆