約20年前の現職時代のころ、「忙中閑あり」に合わせて旅行を計画した。
行き先は、福島県会津若松市。
どんな理由でその地を選んだのか?よく覚えていないが、強いていえば「白虎隊」だったのかも知れない。
姉夫婦も誘い、総勢4名。
交通公社に依頼してそれなりのクラスに。
寝台車が福島駅到着をアナウンスし、早朝のホームに降り立った。
初秋で顔には冷気があたり、ひんやりさが感じられた。
駅を出て、近くの大衆食堂に腰を下ろし、朝定食を。味噌汁に旅の味を覚えた。
駅前から、9時発の会津行き観光バスに乗り込んだ。
大型バスなのに乗客は我らを含めてたった5名。
これではガイドさんが可哀そう。
途中、名所・旧跡で下車。丁寧な説明に大満足。
お昼は5人でドライブインへ。
豪華であろう夕食膳を創造し、軽い麺類で抑えた。
宿は会津の奥座敷「東山温泉」。藩の湯治場として賑わいをみせたという。
夕食、朝食とも、食べきれないほどの豪華さとボリューム。
いつもの格安団体旅行の食事とは雲泥の差。
でも、食べ残しが多くて、勿体無かった。(タッパを持参すべきだったかな?)
翌朝はハイヤーがホテル玄関までお迎え。
お見送りを受けて、出発。
①お城(鶴ヶ城)
天守閣までのぼれる。市内が一望でき、お殿様気分。
戊辰戦争では、明治政府軍の砲撃標的に。ズタズタになりながらも、倒壊は免れた。
強固な造りがうかがえた。
城壁には非常時を考慮し、乾物魚を塗りこんだそうな。
広い敷地には、驚いた。
政府軍との戦いで負傷した藩士を収容し、婦女子は治療手当てにあたった。
②家老屋敷
マネキン像の婦女子は鉢巻をし、白装束姿。
政府軍兵士による暴行を避けるために自決をしたという。
驚いたのはトイレの構造。便槽のかわりにトロッコ荷台。用が済むと使用人がレールの上を押して下げ、処分した。
藩の大方針として「火」の徹底した取り扱い。火災を恐れたのである。
そのために「かまど火」以外は一箇所のみ。
広いお屋敷であっても、「火鉢」が一つとは、さぞかし寒かったであろう。
③白虎隊
隊士が自決した飯盛山へは、麓から簡易リフトで上る。
おみやげ屋がずらり並び、呼び込みに熱心。資料館は観覧価値が十分ある。
ただ一人の生き残った隊士「飯沼貞吉」は、逓信省の通信技師として業務に精励。
誤情報による悲劇を、悔やんでいたのであろうか?
④ラーメン
このころ「喜多方ラーメン」が頭角を出してきた。
「きたかたし」は、会津から近い。
お店の選定は、タクシードライバーさんに一任。公道らしき広い道から、水田が広がる地区へ。
ポツンポツンと建つ民家。ラーメンの、のぼりの家へ。
あっさり味。なぜか新漬けがたくさん。どちらも美味しかった。
夕方、JR会津駅へ。帰途に1ついた。
会津旅行の思い出がだんだん薄くなってきている。
年をとったのだから、仕方がないのか?
現在行くとしたら、もっと時間をかけ丁寧に見て歩きたい。
方言や伝統料理も口にしたい。民芸品も見てみたい。
「八重の桜」の場面が、浮かび上がって来るかも。
ミカエル
行き先は、福島県会津若松市。
どんな理由でその地を選んだのか?よく覚えていないが、強いていえば「白虎隊」だったのかも知れない。
姉夫婦も誘い、総勢4名。
交通公社に依頼してそれなりのクラスに。
寝台車が福島駅到着をアナウンスし、早朝のホームに降り立った。
初秋で顔には冷気があたり、ひんやりさが感じられた。
駅を出て、近くの大衆食堂に腰を下ろし、朝定食を。味噌汁に旅の味を覚えた。
駅前から、9時発の会津行き観光バスに乗り込んだ。
大型バスなのに乗客は我らを含めてたった5名。
これではガイドさんが可哀そう。
途中、名所・旧跡で下車。丁寧な説明に大満足。
お昼は5人でドライブインへ。
豪華であろう夕食膳を創造し、軽い麺類で抑えた。
宿は会津の奥座敷「東山温泉」。藩の湯治場として賑わいをみせたという。
夕食、朝食とも、食べきれないほどの豪華さとボリューム。
いつもの格安団体旅行の食事とは雲泥の差。
でも、食べ残しが多くて、勿体無かった。(タッパを持参すべきだったかな?)
翌朝はハイヤーがホテル玄関までお迎え。
お見送りを受けて、出発。
①お城(鶴ヶ城)
天守閣までのぼれる。市内が一望でき、お殿様気分。
戊辰戦争では、明治政府軍の砲撃標的に。ズタズタになりながらも、倒壊は免れた。
強固な造りがうかがえた。
城壁には非常時を考慮し、乾物魚を塗りこんだそうな。
広い敷地には、驚いた。
政府軍との戦いで負傷した藩士を収容し、婦女子は治療手当てにあたった。
②家老屋敷
マネキン像の婦女子は鉢巻をし、白装束姿。
政府軍兵士による暴行を避けるために自決をしたという。
驚いたのはトイレの構造。便槽のかわりにトロッコ荷台。用が済むと使用人がレールの上を押して下げ、処分した。
藩の大方針として「火」の徹底した取り扱い。火災を恐れたのである。
そのために「かまど火」以外は一箇所のみ。
広いお屋敷であっても、「火鉢」が一つとは、さぞかし寒かったであろう。
③白虎隊
隊士が自決した飯盛山へは、麓から簡易リフトで上る。
おみやげ屋がずらり並び、呼び込みに熱心。資料館は観覧価値が十分ある。
ただ一人の生き残った隊士「飯沼貞吉」は、逓信省の通信技師として業務に精励。
誤情報による悲劇を、悔やんでいたのであろうか?
④ラーメン
このころ「喜多方ラーメン」が頭角を出してきた。
「きたかたし」は、会津から近い。
お店の選定は、タクシードライバーさんに一任。公道らしき広い道から、水田が広がる地区へ。
ポツンポツンと建つ民家。ラーメンの、のぼりの家へ。
あっさり味。なぜか新漬けがたくさん。どちらも美味しかった。
夕方、JR会津駅へ。帰途に1ついた。
会津旅行の思い出がだんだん薄くなってきている。
年をとったのだから、仕方がないのか?
現在行くとしたら、もっと時間をかけ丁寧に見て歩きたい。
方言や伝統料理も口にしたい。民芸品も見てみたい。
「八重の桜」の場面が、浮かび上がって来るかも。
ミカエル
隣町・七飯在住です。
私もこの番組、楽しみに見ております。
新島襄の奥さんが主人公になるなんて意外ですね。
1月に市民会館で行われたセミナーに参加。
八重さんの人物像を知りました。
新島襄さんの動きに期待しています。
会津には一度だけ行きました。
ようこそおいで下さいました。
市民会館でのセミナーには、二人で参加。八重の人物像がわかり有意義でした。
これから箱館と新島襄がどのように描かれるのか?興味深いですね。
ご訪問、有難うございます。
ミカエル