ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第71号 京都所司代のお座所になった「山上大神宮」

2006年12月19日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市船見町15番1号(やまのうえだいじんぐうと読む)

 

第58号でご紹介した旧ロシア領事館前の急勾配坂道を上ると鳥居があり、さらに36の石段を上ると境内に着く。正面に本殿(写真左)、左に社務所(写真右)がある。
本殿のすぐ後ろは函館山の杉林が広がり、境内面積約5,000㎡、氏子世帯数は約
2,200世帯である。

この神宮は、約600年前に亀田赤川に伊勢神宮のご神霊をいただいて祀ったのが創まりで、1,655年に住吉町に移り箱館神明宮と称した。
1682年に現函館西消防署弥生出張所付近をえて、現在地に遷座したのは明治35(1902)年で、この地の町名(山上町)をとって改称した。
現社殿が建替完成したのは、昭和7年である。

幕末から明治にかけて特筆すべき事柄が二つある。
1.第8代宮司・澤辺琢磨(旧姓名=山本数馬)は、土佐藩士・坂本龍馬、武市半平太(たけち・龍馬と遠縁)とは姻戚関係にあった。

2.箱館戦争(明治元年~2年)の時、京都所司代であった旧桑名藩主・松平定敬(さだあき)がお座所として使用した。
定敬は23歳、京都守護職・会津藩主・松平容保(かたもり)の実弟。
激動の波に押し寄せられ箱館戦争に僅かの家臣とともに参戦したが、榎本の指揮下になるのを拒否、この神宮に滞在した。
しかし、桑名から駆けつけた藩重臣の説得もあって、箱館総攻撃前の4月13日、アメリカ船で横浜へ移動、翌5月兵火に遭いこの神宮は焼失した。

そのほか、ここの神官2名が改宗し、東京神田・ニコライ堂の司祭になったのは興味深い。

ここの神宮に伺ったのは15日。
アポなしであったが親切に説明をしていただき、そして史料もいただいた。
とても有難かった。感謝、感謝。
今朝の函館はうっすらと雪化粧をしたが・・・融けてしまう?。
クリスマスも間近。大雪は困るけれどホワイト色の街並みになって欲しいと願う。

                    ミカエル