梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

福祉予算と生活保護

2015-01-28 08:29:45 | 雑記

福祉関連予算が削られる、正確に言えば他の予算が増えた割に殆ど増えない、消費税の上昇割合より低い、「自助を求める」と言うが自助が不可能だから生活保護に頼るしかない、
年金も減らされる、介護保険料も上がる、「年金支出、介護関連、福祉の目処が立たない」から消費税を上げる」と言うのが政府の言い分だったと記憶するが税金は上がるがこの関連予算は軒並み下がる、マニフェストの意味は日本では昔からの「選挙公約」と変わらない、誇大広告どころか不当表示だ、「効果が無いのに薬効を誤解させる表示」処か薬効その物を謳い売れてしまえば知った事ではないと言うのが日本の政治家だ、政治家が全てどうかはわからないが戦後の殆どを自民党が担って来てその間に「政治家の公約は守られた事はない」と言う認識を植え付けた、「そんなことはない、努力したが到達できなかった」とか「解釈の違いが有った」とか色んな事を言ったがそれでも有権者の声には対応してきたが現政権はそんな事は完全無視の体だ、生活保護を受けるのにはかなり勇気がいる、本当に生活が困窮していても孤独死する人も居る、窓口まで言っても受け付けて貰えない人も居ると言う、窓口では未だ「面倒を見てやる」と言う意識が有るらしい、そこに座って居るのが自分の親だったら、或いは子だったら、自分だったらと言う思いが出来ない、そしてそうしているのが国であり政治だ、1億2千万のなかの僅か517人、上級官僚と言われる連中をいれても千人に満たない連中に国は牛耳られているがこの連中が過去にわたりその近辺に生活保護を受給しなければ生きられない家庭は有るまい、しかしその人数は彼らの数100倍存在する、その事を理解させるのは針の穴に像を通す程難しい、となれば彼等も一度体験してもらう必要があるだろう、今学校では体験授業と言う物がある、一度貧乏を体験してもらいたい物だ、貧しいと言うのは状況ではない、本人にとっては社会で有り世界そのものなのだ、確かに不正受給の問題は有るがその殆どは不可抗力でそうなっている、貧富の差は大きくなり割合も極端になって来ている、貧しい家庭に生まれれば競争社会の能力を育てられる環境は与えられない、不自由な肢体や能力を持って生を受けるのは自己責任とは程遠い、しかし経済は数字である彼らに生活を享受する事は難しいと言うより不可能だ、獣なら弱肉強食だが社会的動物である人間として「不幸にして」その境遇になった人々に手お差し伸べるのは「人間の条件」だろう、教育を機関に委ねるのは高度の知識には必要だが「生きる条件」位は親から子になすべきだろう、
政治家にうまれ、官僚に生まれた家系にこそこの教育をなすべきだと思う



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