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学ぼうとする姿勢が学びを阻害する⁉~長岡ゼミ合宿に参加してきた

2019-09-14 17:42:12 | オトナの学び


5月にゼミにお邪魔してグラレコのワークショップをやった。そのとき、ゼミ合宿をそろそろ決めないと、今年は金沢に行く、という話が繰り広げられていて「行きたーい!」とつぶやいたら、ぜひぜひー!と社交辞令半分のお返事いただいたので、図々しく合流してきた。


ゼミのみんなは金沢から移動、わたしは小松空港から移動しての加賀、山代温泉。
ゼミ1期生の小杉さんが、この春からこの町に住んでいて、山代コドンというコミュニティカフェの運営をしながら、まちおこしっぽいことに携わっている。そのお話しを聞く、というのがゼミのメインテーマ。


(ここが山代コドン)


小杉さんは、Next Commons Labという団体に属していて、ここは、行政から委託を受けていわゆる町おこしを行うコーディネーター。その町を舞台に何かビジネスを興そう、興せる起業家や町の人を繋いで活性化していく役目、でもある。
小杉さんと、同じNext Commons Labでデザイナーとして加賀茶の再興を手掛ける直地さん、お二人のお話を聞いた。


お二人のお話を通じて、地域創生や町おこしに対する一般的な価値観が覆った。
人口が減っていく今、どんな人が住んでいて、どんな産業があって、どんな推移なのか…そうしたデータ先行で打ち手を考えるいわゆるマーケティング的な考えから入りがちだけど、専門家として自分のスキルやコンテンツでまち、まちの産物、まちの人に関わる。まちは、このまちでなくてもいい。自分の価値が発揮できるのであれば、この地にこだわらない、ってスタンスがとっても心地よかった。これはあくまでもわたしの受け取り方だけど。


小杉さんは、前職の時に感じていた違和感を置き去りにせず、この町に来てもその違和感を抱えながら、やってみたいと思ったことを自分のできることから始めている。小杉さんの役割は「まちおこし」なのかもしれないけれど、いわゆるまちおこしっぽくない。
それは、まち(場所)起点ではなく、小杉さんが自分の中の問題意識を具現化しているからなんだろうな。


地方創生とかまちおこしの文脈では、長岡ゼミのチューターのくりちゃんとTwitterでやりとりして、わたし自身もあれこれいろいろ考えた。このへんはあらためて言語化したいんだけど、今回は長岡ゼミに参加して、あぁ、やっぱりここはわたしにとって知的刺激溢れる場だなぁ、と実感したので、そのことについて少しだけ書いておこうと思う。


長岡ゼミでは恒例ですが、ゼミの最初にチェックインを行う。何を話してもいい、今感じていること、思っていることを素直に話す。「がんばります」は要らない。順番も決めない。正解も優劣もない。先生もコメントを入れたり、入れなかったり。


このチェックインでの問い。
「春学期に学んだことは?」


この問いに対して、みんなの答えがステキだった。
プレゼンの仕方、グラレコ、〇〇さんの話を聞いた、カフェゼミを開いた…といったコンテンツではなく、みんながマインドや態度を話していた。それがよかった、とってもよかった。


振り返りをしなさい、と言われると「要約」になりがち。だから学んだ“コンテンツ”を思い出して、それを羅列してしまいがち。体験したことから何を学んだか?は振り返り、内省が必要で、それは口で言うほど簡単じゃない。毎回のゼミの後のツイート、それもただ振り返るんじゃなくて、ほかの人と共有して「共に振り返ること」ができるようなツイートをしてきていることもあるだろうし、場に貢献する、ってことを叩きこまれているからなんだと思う。


この場に貢献するってこと。
知識がない、経験がないから意見が言えないのではない。場に貢献しようとする気持ち、つまり学ぶとは場に貢献することで、質問でも感想でもなんでもいいから自分の考えを場に出して、創発(双発)させるってことが大事なんだってこと。自分が知識を吸収して、自分が成長しようとするのは学びではないってこと。場に貢献することは、後から振り返ってみたときに、自分の成長になっているかもしれないけれど、“成長”をはじめから意図して振る舞うってわけじゃない。


この学ぼうとする(吸収しようとする)姿勢が学びを阻害するって長岡先生のお話しは、胸に突き刺さった。アイタタタ((+_+))



場に貢献するためには、勇気も必要。特に自分には知識もない、経験もないと思っていたら、なかなか発信、発言はできない。その殻を破るために必要なのが「試行錯誤」であり、試行錯誤ができる場。それって、ワークショップや最近よく言われる「安心安全な場」「心理的安全」ってことなんだろうけど、ここではもうちょっと突っ込んだ解釈があるように思う。


安心・安全な場ってワークショップのしつらえ(アイスブレイクやります、レイアウトや空間を整えます、リラックスできる環境をつくります、みたいな…)のことではない。「ワークショップとは非日常である」という原点なんだと思う。
ワークショップが学びのためのツールや仕掛けであるとする。学びとは、これまでの自分とは違う何か新しいものを身につけることでもあるわけで、その状態はフツウのことをやっていたのでは到達できない。だから非日常に身を置いて、「できる」「できそう」という感覚を身につけてトライするってことが大事なんだと思う。非日常というのは何もキラキラした世界のことではない。いつもと違う場所、いつもと違う人といつもと違う話をする、そういうべたでひと手間かけた空間、時間、場のことを言うのではないだろうか。


長岡先生とお話をすると、原点回帰というか、忘れていたことや隅に追いやっていたことを思い出す。
なぜわたしが「ワークショップ」にはまったのか、いろいろな場でワークショップをやってきたのか?それは、学ぶためのツールだったから、にほかならない。楽しいから、みんなにも体験してもらいたいから、という思いから出発していたけれど、それは楽しい学びの存在を知ってほしい、って思いでもあった。


ワークショップという言葉や手法が市民権を得て、今やいろいろなところで展開されている。ええ?と思うような場もある、少なからずある。玉石混合。
出来栄えはどうでもいい(極論すぎw)。何のためにやるのか、なぜワークショップなのか?を考えて実施しているだろうか?プログラムデザインとか、仕掛けといった小手先に逃げていないか?と自問自答しながら、もういちどワークショップができることを深く考えてみたい。


ひとつの話を聞いて、それを基にあれこれ考えたり、振り返ったり、自問自答したりできる長岡ゼミは、わたしにとって最高に知的刺激溢れる場なのです。定期的に浴びないとダメかも。いや、そろそろ自家発電しなさいって。いい加減オトナなんだし。


図々しくも合流させてくれた先生、ゼミのみなさん、くりちゃん、小杉さん、直地さん、本当にありがとうございました。また来年も合流したいな。グラレコもさせてもらいたいな。そうなるようにあれこれがんばろう。



※※※※※※※※※


本当に夢のような時間だった。
10年前に、亡くなった部下の男の子のお墓参りに富山経由で金沢、山中温泉を訪れた。できたばかりの20周年誌を持って。ご両親と妹さんと思い出話をして、「いい会社に勤められて幸せだったと思う」と言っていただいて、それがわたしが働く上での指針になった。初心を思い出して背筋が伸びる、北陸はそんなまちなんだな。
また行けるかな。また行きたいな。


小松空港上空より

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