「今年の花見は自粛だな」
手塚が、八部咲きに花を咲かせた桜を見上げながら呟く。
武蔵野図書館の正門脇に植えられた、樹齢見事なソメイヨシノ。
毎年、春の訪れを利用客や館員、隊員たちに正確に伝えてくれる。
「花を愛でるのを自粛する必要はないわ。宴会や馬鹿騒ぎを自粛、ってことでしょ」
的を射た突込みをするのはもちろん柴崎。制服の紺に、舞い散る桜の花びらが映える。
手塚は苦笑した。
「そうか。そうだな」
「花に見とれるのは誰にも止められないわ。花盗人に罪はなし、ってね」
柴崎が手塚と同じ角度にあごを持ち上げると、視界が一面薄ピンクに染まる。
手塚は花びらが風に乗るのを目で追う振りをして柴崎を見やった。
確かに、見とれてしまうな。いやでも。
美しい花は、人の心をたやすく奪う。
柴崎は手塚の視線には気づかず、桜を見上げたまま、
「あんたが行く先の、桜の見ごろはいつ?」
と訊いた。
「ん。話では、四月下旬って聞いている」
北国の春は遅い。
「長い駐留になるのね」
「たぶん。海水のせいで、書庫が全部やられた。復旧には予想以上に時間がかかるだろう」
「……」
「だからこそ、行かなくちゃな」
本を、届ける。
こんなときだからこそ、現地の人たちに書物を。
図書館を再生させる。
そして、できるなら、少しでも人々を笑顔に。
手塚は小脇に抱えたヘルメットを持ち直した。迷彩色。実戦用だ。
今日は戦闘服というものものしいいでたち。軍靴のかかとをあわせ、柴崎に敬礼する。
「手塚一士、行って参ります」
澄んだまなざしを柴崎に向けた。
柴崎もヒールのかかとをあわせ、敬礼を返す。
まっすぐに手塚を見返した。
「お勤め、ご苦労様です」
しばらく、視線が絡み合う。
言葉が互いの唇をついて出ようとし、そのたびに虚しく飲み込まれた。
今、何を言っても本当に言いたいこととはかけ離れてしまいそうで。
結局二人は沈黙に身を置いた。
二人の間を、桜の花が風に揺られゆっくりと滑り落ちていく。
自分の肩にとまった一枚を、柴崎が人差し指と親指で大切そうに摘まんだ。
「……すべすべね、桜の花って」
手塚も敬礼を解く。
「そうだな」
柴崎はおもむろにその花びらを手塚の胸ポケットに押し込んだ。押し込んだ上からぽん、とはたく。
「柴崎」
「お守りよ。萎れさせないでよ」
左胸を押さえられたまま、手塚は困った顔を見せた。
「無茶言うな」
「じゃああんたの行った先で桜が咲いたら送って。郵便は、動いてるんでしょ」
はがきをちょうだい。花びらを貼ってね。
それで相殺、と笑ってみせる。
手塚も笑った。
「なんつうお守りだよ」
「いいじゃない。さくらだより。待ってるから」
あんたの帰りも待ってる。
付け足しのように小声で呟いたが、それはちょうど吹き抜けた風が浚い、
「え?」
手塚が小首を傾げる。
どうやら耳には届かなかったらしい。柴崎は肩をすくめた。
「行ったら、そろそろ出陣式でしょ」
「うん」
手塚は踵を返しかけ、ふと目に付いたものに手を伸ばした。
柴崎の頭、髪の毛にくっついた桜の花びらひとひら。
風をはらむたおやかな黒髪に触れ、それを指先で摘み取る。
柴崎は手塚の指が髪の間をすべるのを感じ、まばたきを忘れた。
視界が桜吹雪で埋められる。
呼吸が苦しくなる。
手塚は摘まんだ花びらを柴崎の目の前にかざすようにし、
「これも、もらっとく」
お守りな、そう言って微笑んだ。また胸ポケットに仕舞う。
柴崎は、なんだか泣いてしまいそうだった。
だから彼女にしては珍しく、気の利いたせりふを返すこともできず、突っ立っていた。
「じゃあ」
「ん」
元気で、も、行って来ますも、いってらっしゃいもない、素っ気無い別れ。
手塚はもう後ろを振り返ることはなかったし、柴崎も彼に手を振ることもなかった。
手塚がずっと左の胸ポケットを握り締めていることを、背後の柴崎が知る由もなかった。
大股で歩み去っていく手塚の後姿を、ただ静かに見守った。
どうか、無事で――
桜の花びらが、名残惜しげに彼の背中をいつまでも追っていった。
(fin,)
図書戦ファンのみなさま、手柴ファンのみなさま。お待たせしました。
今の私に書けるものを献上します。こういう時だからこそ、私に力をくれるのは手塚と柴崎だということを再認識しました。ありがとう。大好きな二人です。みなさんにも少しでも力を。
R指定のCJ二次創作、有川作品二次創作を掲載している部屋は
こちら「夜の部屋」へ
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こちらをご覧ください。
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手塚が、八部咲きに花を咲かせた桜を見上げながら呟く。
武蔵野図書館の正門脇に植えられた、樹齢見事なソメイヨシノ。
毎年、春の訪れを利用客や館員、隊員たちに正確に伝えてくれる。
「花を愛でるのを自粛する必要はないわ。宴会や馬鹿騒ぎを自粛、ってことでしょ」
的を射た突込みをするのはもちろん柴崎。制服の紺に、舞い散る桜の花びらが映える。
手塚は苦笑した。
「そうか。そうだな」
「花に見とれるのは誰にも止められないわ。花盗人に罪はなし、ってね」
柴崎が手塚と同じ角度にあごを持ち上げると、視界が一面薄ピンクに染まる。
手塚は花びらが風に乗るのを目で追う振りをして柴崎を見やった。
確かに、見とれてしまうな。いやでも。
美しい花は、人の心をたやすく奪う。
柴崎は手塚の視線には気づかず、桜を見上げたまま、
「あんたが行く先の、桜の見ごろはいつ?」
と訊いた。
「ん。話では、四月下旬って聞いている」
北国の春は遅い。
「長い駐留になるのね」
「たぶん。海水のせいで、書庫が全部やられた。復旧には予想以上に時間がかかるだろう」
「……」
「だからこそ、行かなくちゃな」
本を、届ける。
こんなときだからこそ、現地の人たちに書物を。
図書館を再生させる。
そして、できるなら、少しでも人々を笑顔に。
手塚は小脇に抱えたヘルメットを持ち直した。迷彩色。実戦用だ。
今日は戦闘服というものものしいいでたち。軍靴のかかとをあわせ、柴崎に敬礼する。
「手塚一士、行って参ります」
澄んだまなざしを柴崎に向けた。
柴崎もヒールのかかとをあわせ、敬礼を返す。
まっすぐに手塚を見返した。
「お勤め、ご苦労様です」
しばらく、視線が絡み合う。
言葉が互いの唇をついて出ようとし、そのたびに虚しく飲み込まれた。
今、何を言っても本当に言いたいこととはかけ離れてしまいそうで。
結局二人は沈黙に身を置いた。
二人の間を、桜の花が風に揺られゆっくりと滑り落ちていく。
自分の肩にとまった一枚を、柴崎が人差し指と親指で大切そうに摘まんだ。
「……すべすべね、桜の花って」
手塚も敬礼を解く。
「そうだな」
柴崎はおもむろにその花びらを手塚の胸ポケットに押し込んだ。押し込んだ上からぽん、とはたく。
「柴崎」
「お守りよ。萎れさせないでよ」
左胸を押さえられたまま、手塚は困った顔を見せた。
「無茶言うな」
「じゃああんたの行った先で桜が咲いたら送って。郵便は、動いてるんでしょ」
はがきをちょうだい。花びらを貼ってね。
それで相殺、と笑ってみせる。
手塚も笑った。
「なんつうお守りだよ」
「いいじゃない。さくらだより。待ってるから」
あんたの帰りも待ってる。
付け足しのように小声で呟いたが、それはちょうど吹き抜けた風が浚い、
「え?」
手塚が小首を傾げる。
どうやら耳には届かなかったらしい。柴崎は肩をすくめた。
「行ったら、そろそろ出陣式でしょ」
「うん」
手塚は踵を返しかけ、ふと目に付いたものに手を伸ばした。
柴崎の頭、髪の毛にくっついた桜の花びらひとひら。
風をはらむたおやかな黒髪に触れ、それを指先で摘み取る。
柴崎は手塚の指が髪の間をすべるのを感じ、まばたきを忘れた。
視界が桜吹雪で埋められる。
呼吸が苦しくなる。
手塚は摘まんだ花びらを柴崎の目の前にかざすようにし、
「これも、もらっとく」
お守りな、そう言って微笑んだ。また胸ポケットに仕舞う。
柴崎は、なんだか泣いてしまいそうだった。
だから彼女にしては珍しく、気の利いたせりふを返すこともできず、突っ立っていた。
「じゃあ」
「ん」
元気で、も、行って来ますも、いってらっしゃいもない、素っ気無い別れ。
手塚はもう後ろを振り返ることはなかったし、柴崎も彼に手を振ることもなかった。
手塚がずっと左の胸ポケットを握り締めていることを、背後の柴崎が知る由もなかった。
大股で歩み去っていく手塚の後姿を、ただ静かに見守った。
どうか、無事で――
桜の花びらが、名残惜しげに彼の背中をいつまでも追っていった。
(fin,)
図書戦ファンのみなさま、手柴ファンのみなさま。お待たせしました。
今の私に書けるものを献上します。こういう時だからこそ、私に力をくれるのは手塚と柴崎だということを再認識しました。ありがとう。大好きな二人です。みなさんにも少しでも力を。
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初めまして
管理人あだちです。コメントいただいていましたのに、お礼がすっかり遅くなって申し訳ありません。
手柴の新作はないのですが、そのうち書き始めるかもしれません。体調次第ではありますが。
よろしければ今後ともよろしくお願いします。
コメントするのは初めてなので少し緊張です(。・ω・。)ゞ
えっと手柴大好きで、調べ回ってたらここにたどり着いたと言うわけですが、すごいですね!ここ!
はい。すみません、勝手にもりあがって(;・ω・)
これからも期待しています(*≧∀≦*)
閉塞的な毎日の中、桜と青空を見上げる心は忘れないでいたいですね。こちらは開花はまだ先ですが……
通販はまだ見通しが立たないです。すみません。
>たくねこさん
堂郁より、このCPのほうが桜の下が似合うと思いつつ書きました。みなさんの心に、つかの間桜の花が咲いてくださったなら幸いです。
ありがとうございました。
安達さんの手柴はやっぱりいいですね♪
まだまだ大変な日々が続きますが、負けないで下さいね。
通販が再開する日も楽しみにまってます!!