憲法九条2項

護憲の立場から発言する。特に九条2項の交戦権否認を守る仲間を拡大する。

地方紙関東5社の新聞記者の特別企画「特攻兵からの遺言」に注目している

2008-08-14 13:22:59 | Weblog
●特別攻撃隊=特攻隊
 敗戦色濃い大戦末期
 若い兵士の命を奪った特攻隊!

●兵士の命は軽い
 御国のため
 その言葉だけで
 死を恐れない人格に育てられていた。

 <兵士は
  1千5厘で集まる・馬より安いのだ!
  そう云われていた。
  子供心にも悲しい思い出だ=父親は戦地にいた>

〇特攻兵からの遺言特集
 (関東5社(群馬・埼玉・神奈川・千葉・茨城)の
 記者が
 生き残った「元特攻隊兵士を訪ね」
 「命の重み・平和への願い」を
 問いかける特別企画である。
 ※時宜を得た企画に共感する。


〇一部を借用して
 ブログに取り上げた。

●Nさんは当時18歳
 特攻兵として北海道から出撃基地へ向う
 電車の中で8月15日を迎えている。

〇本音だろう
 仙台の駅で敗戦を知った特攻仲間が
 「負けたらしいな・・」
 とつぶやいた。
 そのときの
 「仲間の安堵した目」が忘れられないと語る。

●7月に特攻隊調査があった
 『熱望する』
 そう回答するより仕方のない空気だった。
 そして
 特攻隊員になった。

●飛行機は
 とても飛べる飛行機ではなかった。
 だから
 勝たないかもしれない・・・
 でも、
 負けるとは全く考えられなかった。
 と振り返る。

 
〇敗戦の日
 私は小学校3年生だった
 家で玉音放送を聞いた
 大人が泣いていた

〇学校に戻った
 校庭の片隅に兵隊が居た
 『日本は負けたよ』
 「この野郎!何を言うか!」
 兵隊に追い回され
 教室に逃げ込んだ怖かった思い出がある。

●Nさんは、母親に、
 「特攻兵を断れないの」と
 泣き付かれたと言う。
 弱みを見せてはならないと
 「頑張ります。ご両親においては休心されたく候」
 遺書を残して基地に向かった。

 途中の敗戦である。


〇戦争に疑問を持ったのは
 5年ほど後に
 海上保安庁に就職し!
 『軍隊は国民を守るのではなく
  組織を守るものだ』
(上級幹部の会話から悟ったこと)
 そう気付いた日からだという。

〇定年後は
 自衛隊海外派遣等の平和運動に参加した。

〇戦争中の反省は
 「国策を批判する発想が全くなかったのが
  最大の反省点だ」と語っている

〇戦争をしない為に
 『厭戦気分をを広げたい』
 元特攻隊員の生き方に
 ウソはないようだ!

〇数回連続する企画である
 国民が平和を考える
 糧になることを祈念する。

『明日は8月15日敗戦記念日である』
 国民の反省の日にしたいものである。