終戦の日 私は10歳でした
学童疎開地で 寮母先生から敗戦の知らせがあリました
皆みな軍国少女だった気がします
先生は穏やかに話された気がします
だからみんなで悔しくて泣いたけれど すぐに 家に帰れる!と思いました
交通事情から2月間疎開地に居た間に
疫痢になって”まっちゃん”が亡くなりました
おかあさんは省線(JR)切符が手に入らず
お葬式に間にあわず
”まっちゃん 可哀想”と皆で話しました
その後 おかあさんは
ひと月の間 私達と一緒に過ごされました
今 思えば
”まっちゃん”がどんな生活をしていたか
肌で感じて帰られたのだろう と 思います
神戸に帰って 見渡す限りの焼け野原を見ました
先生と一緒に”まっちゃん”の家にお参りに行きました
"まっちゃん”の家の一角は焼けずに残っておりました
戦争の無い70年間を
心から ありがたいと思う終戦記念日でした
学童疎開地で 寮母先生から敗戦の知らせがあリました
皆みな軍国少女だった気がします
先生は穏やかに話された気がします
だからみんなで悔しくて泣いたけれど すぐに 家に帰れる!と思いました
交通事情から2月間疎開地に居た間に
疫痢になって”まっちゃん”が亡くなりました
おかあさんは省線(JR)切符が手に入らず
お葬式に間にあわず
”まっちゃん 可哀想”と皆で話しました
その後 おかあさんは
ひと月の間 私達と一緒に過ごされました
今 思えば
”まっちゃん”がどんな生活をしていたか
肌で感じて帰られたのだろう と 思います
神戸に帰って 見渡す限りの焼け野原を見ました
先生と一緒に”まっちゃん”の家にお参りに行きました
"まっちゃん”の家の一角は焼けずに残っておりました
戦争の無い70年間を
心から ありがたいと思う終戦記念日でした