懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,537  岩手県久慈市

2020年05月21日 | 日本茅葺紀行
久慈市は岩手県の北部、昔は青森の半分と岩手の北部が南部藩で茅葺民家は草棟である。県が違っても江戸時代の藩が同じなら茅葺きの造りは同じなのだ。
久慈市の中心地は海岸沿いだが茅葺民家は10キロ内陸に入る。
もうほとんどの茅葺民家は消えたであろう。
この地域は今も.粟、稗の雑穀を植える。夏場霧が出来て気温が上がらない。米作に適さない地域だ。
東北は冷害によるよ飢餓で江戸時代に10万人が死んだ。
司馬遼太郎氏の街道を行く(東北)を読まれるとよくわかる。
石高制のため悲劇が生まれた。寒さに強い麦や蕎麦を食べていたら餓死する事は無かった。日本人には米に対する愛着が強かった。
農家の奥さんとどんな会話をしたか忘れた。今ならば笑いを取るギャグや笑話をするのだが。

東北の人に言われた。東北の人は関西人が嫌い。
アホとちゃうんとか小馬鹿にした口の利き方をするのが嫌なようだ。
明石家さんまは大嫌いといっていた。



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