懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,414 岡山県旧賀陽町

2017年12月20日 | 日本茅葺紀行
賀陽町は現在、吉備中央町になっている。
茅葺きを探しに休日は車で走り回っていた。
地元の人にも声を掛けて茅葺民家が無いか訪ね歩いた。

この家は山の上にあり道も車一台しか通れない。
普通ならば行かない道だがあると聞いていたので心強い。
細い道を登りつめて車を一台置くスペースがある。
そこから茅葺民家が見える。
それから急な坂を歩いて登ったら茅葺民家に行ける。

厳しい土地で暮している。次男や三男は養子に行くか都市部に出るかである。土地に残る者は山を開墾するしかない。
しかし、水が無いので米は作れない。畑作だけだ。
戸は少し下がったところに掘った。山さえあれば岩石が水を含んでいるので横穴か竪穴を掘れば水はしみ出してくる。中国地方は横に穴を掘り進んだ横穴水を目にする。ちょろちょろと絶えず流れている一日溜めると結構な量になる。

野菜を作り現金収入を得ていたと言っていた。
現金収入は工事現場や建設会社で働き収入を得ていた。

息子は二人いて都会で働いている。2人とも高校を卒業して一部上場の会社に勤めている。
子供が素直に育ち元気に働き家庭を持っていのが親の自慢なのであろう。
息子と言っても私と同年代だった。茅葺き民家の撮影と言ってもその家の暮らしや人生を垣間見てしまう。
厳しい環境でも人々は弱音も吐かず逞しく生きてきたものだ。

石垣を積み畑を一枚一枚広げたのがその家庭の人生だったのだろう。