WEBマスターの読書日記

「木戸さんがこんなマメだったなんて」と大方の予想を裏切って続いているブログ。本、映画、感じたことなどをメモしています。

『スマホ脳』(著者:アンデシュ・ハンセン 訳:久山 葉子)

2021-03-28 17:36:42 | 本と雑誌


規則正しいリモートワーク生活がもう1年以上も続いて、二度目の春。

朝のうちに家族友人と電話やチャットで近況を伝えあって、それから自宅で仕事をして、一日の終わりには、なるべく人通りのない裏道を選んでかなりの距離を走る。日が落ちて空気がうっすら透明になってくる時間に、寒くても暑くても、無心に外を走るのは気持ちがいい。桜の花びらをのせる風がやわらかくなり、樹々の緑が濃くなって、今年もあっという間に夏が来るのだろう。

筋トレ、バランスのいい食事、プロテイン摂取と、なんだか健康オタクっぽくなってきて、次なる関心は、脳。この本、タイトルからしてもうベストセラーだけど、脳には、睡眠・運動・リアルなコミュニケーションが不可欠。という冒頭の部分からもう、「ほ〜なるほど!」と引き込まれる。このうち一つでも欠けると、人間はストレスを感じる仕組みになっているそうだ。

脳の大半は、たかだかこの数十年の現代に適応する部分ってほんのわずかで、その前の数万年という歴史の中でゆっくり進化してきた部分。睡眠は疲労からの回復、運動は食糧採取のため。そして昔、ヒト祖先の集団生活から一人出ることはそのまま死に直結したから、社会とのかかわりがなくなると、私たちの頭の中では「やばいぞ」とアラートが鳴るようにできているらしい。

脳にとってはストレス=脅威だから、日々の睡眠・運動・リアルなコミュニケーションが足りなくなると、脅威を前にした緊急事態に対処するため、体を戦闘モードに入れる。その状態がずっと長く続くと、限界が来る前にスイッチを強制オフして自分を守ろうとする=うつ状態。そしてその先、スマホが脳に与える大きな影響について、ものすごーく分かりやすくて面白すぎる解説が続く。朝から晩までスマホと一緒な我が身を振り返ってちょっと反省。


『世界一簡単なフランス語の本』(著者:中条 省平)

2018-05-06 19:30:40 | 本と雑誌

小学生のときからゴルフをやっている兄にいいスコアと褒められたものの、毎年、春から夏のあいだに必ずひいて長期化する風邪(気管支炎?)のせいで、さあこれからとギアをいれる途端に体調を崩すパターンが続き、なかなか上手くならない。打ちっぱなしの練習に行くと、アイアンのショットが必ず左右どちらかにブレる。たまにスイングを見てもらっているプロのコーチから、足にかける重心がふらついているのでもっと体幹を鍛えたほうがいいとアドバイスいただき、早速、ジムで専門のパーソナルトレーナーの方にお願いすることにした。

レッスン初回から、筋肉はあるので使い方しだいとモチベーションのあがるお言葉。トレーニングを続けているとちょっとずつ体の変わってくるのが分かり、先週の連休初日は寝不足で高尾山に行ったのに険路にも全く疲れない。すごい効果!楽しくて、昨日はいつもお世話になっている整体の先生と、施術中ずっと筋肉&プロテイン談義で盛り上がってしまった。

ところで最近、本を読む時間が極端に少なくて、たまに読むのは小説だけになり、ずっと維持してきたフランス語のレベルが一気に落ちてきた。連休前に会社で「Que faites vous specialement?(何をする予定?)」と聞かれて「Je voudrais faire beaucoup de sports pendant les vacances」の"pendant(~の間)"がとっさに出てこない。青ざめて自宅に帰り、本棚のサガン「悲しみよこんにちは」の原書をめくると、前はすらすら読めたのに結構つっかえるではないか。これはヤバイとあわてて復習用の書籍を買い込んだ。まずはこの新書をKindleでランチの間に。ものすごく分かりやすくて、これからフランス語をはじめる人には最適な一冊である。しかしこれだけ長い休暇だったのに結局、この一冊だけで今日はあっという間に最終日。筋トレは進んだけれど、なんか釈然としない(笑)。


『宇宙に命はあるのか』(著者:小野 雅裕)

2018-05-04 15:17:16 | 本と雑誌

サントリーホールがお気に入りで、月に2、3回は必ず演奏を聴きに行く。会社から近く、平日の夜など開場時にまだ仕事をしていても、急いで向かうと開演時にはちゃんと席に着いていられるのも便利。たびたび行くので場の雰囲気になじんでいるのか、この前、開演まぎわにすべりこんだところスタッフの方に「関係者の方ですね」と言われてあやうく違う席に案内されそうになった(苦笑)。

ブルックナーをライブで全曲聴きたい!と、こまめに探しているのだがこういうときにはなかなかタイミングがあわず、やっと二週間ほど前に新日本フィルで6番。いい演奏だった。美しい音楽のためにつくられた広いホールいっぱいに気持ちよく音が響きわたる。ブルックナー、構成も音の使い方も壮大すぎて、聴いてて収まりきらないところがすごい。この人が書き直し続けた交響曲はほんとに人智を超えている気がする。6番はことにとってもきれい。バレンボイムまた来日してくれないかしら。

演奏のあいまの休憩時間にカウンターで白ワインをもらい、姿勢を正しながらこの本を読む。NASAジェット推進所に勤務されている研究者の著作で、歴史的・科学的なエピソードが満載、文章もうまくて評判通りおもしろい。木星の衛星エウロパの地中に深く広がる海、火星の空を染める青い夕焼け、太陽圏を脱して永久に恒星間を漂うボイジャー、・・・空を抜けた向こうをどうしても知りたいという全人類の壮大なイマジネーション、読むときっと、小さいときわくわくしながら見つめた星がいっぱいの夜空を思い出す。と、夢中になって読んでいたら近くのテーブルの老婦人から「お若いのにひとりで聴きにいらしたの、素敵ねえ」と話しかけられた。(若くないですけれど・・・笑)サントリーホールはこういうゆったりした触れ合いもあって好きである。


『人工知能の見る夢は』(著者:新井 素子、宮内 悠介ほか 人工知能学会編)

2018-05-01 20:36:45 | 本と雑誌

3月、4月と週末にお出かけする日が多く、疲れているのか、本を読むどころか読んだ本の感想を書こうと自分のMacBookを立ち上げる間もなく寝てしまう夜が続く。昨年の今ごろ不眠症に悩んでいたのが嘘のよう。寝まいと大きなマグカップにやたら濃いコーヒーを淹れても、アップテンポでドラムが響く音楽をかけていても、容赦なく睡魔がやってくる。この前など、足の爪に塗ったペディキュアを乾かしながら「進撃の巨人」最新刊を読んでいる途中にぐっすり寝落ちし(最近、世界が転換して複雑なストーリーなのだ)、友人に「あの一番いいところで寝るのはありえない」と呆れられた。

さらに寝落ち場所が自宅ベランダに出した折り畳み椅子の上だったため、午後急に冷たくなった風にあたって鼻風邪をひいてしまった。ここ数年、春から夏にかけてひいた風邪をこじらせて何か月も咳が続くパターンが恒例で、「今年もか」と身構えたところ、意外にあっさり2~3日で治る。睡眠が足りているせいか、目の下の濃くて今までどんな美容液でも治らなかったクマが薄れてくる。肌の調子が良くやたら褒められる。いいことずくめである。機嫌よく連休に入ったところで、半年ほど少しずつ読んでいた本を読了。

中学生のときにハマッていた星新一氏のショート・ショート、おもしろかったなあ。短いのに起承転結あり、人を突き放すような鋭いオチあり、そうかと思うとほろっとする人情味あり、一話読むとまた続けて次が読みたくなる。短いから限られた枚数に盛り込む工夫の多さと、着想や視点があっという間に読者にジャッジされてしまう怖さは、他の創作物にはちょっとないだろう。これは、人工知能が生きる社会における倫理から対話システム、インフラ、法規制まで、広範なテーマごとにまとめられたショート・ショート集と、そのテーマの最新状況をそれぞれに専門家が解説する扉との構成で、読みごたえあり、抜群のおもしろさ。さて、連休後半は久しぶりにたまった本を読むぞ。


『空海(1)~(4)』(著者:夢枕 獏)

2018-04-01 21:20:43 | 本と雑誌

若いころは会社で残業したあとにお酒を飲みに行ったり映画を観たりしていっこうに平気だったが、さすがにそんな体力のない今、プライベートで出かけるのは必ず週末になった。土曜日の朝、早起きして掃除にお洗濯に買い出しと家事をすませ、午後から出かけることが多い。あたたかくなった春の空気はなんだか特別で、そよ風吹く外を歩いているだけで気分が上がる。先週は鎌倉散歩から江の島のキャンティで海を見ながら誕生日ごはん、昨日は満開の桜をのんびり見たあとに浅草橋のフレンチへ。翌日曜日もジムから帰ったあと、自宅で料理をつくりながらついビールに手がのびてしまい、最近だいぶ飲みすぎである。

チェン・カイコー監督の作品は映像が美しくて大好き。全作ほとんど観ている。「空海」も公開を待ちかねるようにして土曜日に観に行った。2時間以上の長さで絵がすべて非の打ちどころのない美しさというのは全く天才というほかない。ストーリーは空海というより楊貴妃の話だねと、帰りのビストロでワインを飲みながらお互いの感想を話していたら、原作を読みたくなり、帰宅してけっこう遅い時間にもかかわらずダウンロード。これがまたおもしろく、4巻とかなり長いのをあいている時間をみつけながら夢中で読むことになってしまった。

原作は、入唐してたったの1年で宗教界の頂点に立つことになる空海の物語。密教を中心にした700年代の唐の絢爛たる宮廷、人の寿命をはるかに超えて生きる妖術師、女盛りで生きることを人為的に止められた楊貴妃、生と死をテーマに縦横無尽なエピソードをつむぐ言葉がとうとうとあふれ、止まらず、映像美におとらず深くうつくしい。あとがきまで来たら、著者ご自身が「すごいものを書いてしまった」と手放しで絶賛していてキュートだなぁと思わず噴き出した。あの美しい映画はこの原作あってこそ、たしかに素晴らしく傑作でした。


『東京青年』(著者:片岡 義男)

2018-03-11 17:59:57 | 本と雑誌

春になった途端、冬眠から覚めた動物みたいに食欲が半端ない。この前も美術館の後に寄った神保町のカレー専門店、どれもおいしそうでひとつに決めきれずハーフ&ハーフで頼み、食べたら確かにおいしくて、1.5人前くらいの量なのにさらにごはんをおかわり。一緒に行った人が「そんなに食べきれるのか」という目で見ている前で、つけあわせのサラダまで残さずぺろっと完食。これだけ食べてまた食べたいと思わせるのは、さすが神保町の名店である。

カレーも良かったがこの日見に行った絵も素晴らしかった。竹橋の国立近代美術館は、いい展示をやるのにそんなに混んでいない穴場。都内の大きな美術館の企画展というと、たいてい入場に待たされること1時間、そこを我慢して入っても混雑してろくに見えない場合が多いのに、知る人ぞ知る存在なのかしずかに落ち着いて鑑賞を楽しめる。お目当ては熊谷守一展。この人は100歳近くの生涯でたくさんの優れた作品を残した画家なのだが、同じモチーフを何度も構想をあたためながら繰り返し描き、そのどれもが何かしら違って新しい点があるというのは本当にすごいことだ。

色の選び方と面積のとりかた、レイアウトが超モダンで、今のパッケージデザインに使ったらきっと相当にお洒落な花や果物。床や梁の上でのんきそうに寝そべる猫は、昭和33年、36年、37年、40年と何度も取り上げられ、同じスケッチからアレンジを変えて仕上げられている。過去から現在、未来へと点と線で行き来する技法。読んでいたこの本の作風とみょうに重なって印象的。1950年代の東京、何人もの年齢の異なる美女との恋愛で成長し、センスのいい物書きとしての片鱗を見せていく主人公のヨシオは、あ、著者と同じ名前かと最後のほうで気づく。片岡義男のこういうところも好きだなぁ。


『おらおらでひとりいぐも』(著者:若竹 千佐子)

2018-02-25 20:00:34 | 本と雑誌

2月のプレミアムフライデーは、早めに会社を出れたので、確定申告に区の税務署へ。提出だけなのですぐ終わったが、そのあとに食事の約束があって待ち合わせまでまだ少し間がある。世田谷は税務署の入っている建物の1階に図書館があり、初めて中に入ってみた。館内は静かで広く、清潔。日なたにおかれた古い本のなつかしい匂い。ソファで新聞を膝に広げて爆睡しているおじいさん。子どもに小さな声で絵本を読み聞かせているお母さん、テーブルにたくさんの書籍を積んで調べものをしている学生。ふだん、サラリーマンなので税金はお給料から有無を言わさず引かれているものという認識しかなかったが、こういうところに使われているなら、なんだかいいなぁと思わせる風景である。私もソファに座って、待ち合わせ時間まで読みかけの本を開く。

定期的に大量の小説を読んでいると、自分の感覚が時代のトレンドと合うときがあるのか、読みたいなと思ってダウンロードしておいた本が大きな賞をとったり、好きな作家が文学賞を受けたりする。これもその1冊で、昨年何かの書評でみて気になってKindleに入れておいたのが、読みはじめるころには芥川賞受賞作品になっていた。

74歳の桃子さんは、東京近郊のかつての新興住宅地に一人暮らし。干し柿と服が一緒にかけてある部屋にねずみが出るという、キャッチーなつかみから始まる。標準語での客観的な描写と、とっても濃い東北弁での感情のほとばしり。長年の都市暮らしで身につけてきた「私」という標準語と、出身の東北弁での一人称「おら」との相克。自分と、なぜか自分の中から聴こえてくる多数の声との相対。最愛の夫への深い想いと、その死で自由になったという解放感そして慟哭とのせめぎあい。疎遠になって、電話がくるだけでもうれしい娘が家計費のおねだり目的だったと知ったときの静かなさみしさと、その娘がやっぱり自分の大事な核になるものを継いでいてくれたというラスト喜びの爆発。いろいろな要素の入った、なんとも複雑な味わいでおいしいスープみたいな本である。飲み終わった、じゃなかった読み終わったあと味は、満ち足りた満足感に、一抹のほろ苦さと酸っぱさあり、だけど不思議にもたれない爽やかさ。文章のリズムも素晴らしい。


『シュードッグ』(著者:フィル・ナイト 訳:大田黒 奉之)

2018-02-18 20:18:26 | 本と雑誌

ナイキの創業者、フィル・ナイトの自伝。時は米国で、スニーカーがスポーツ選手しか履かない専用靴から、広く大人から子供まで何足も楽しんで選ぶ日常ファッションとして花開く時代。斬新なデザインと明快なビジョンでその大きな流れを作ったナイキの上場するまでの黎明期は、日本メーカーのオニツカ(アシックスの前身)との泥沼の訴訟沙汰あり、急拡大する需要に工場キャパも支払いも追いつかない地獄の資金繰りあり、やっと会社が軌道に乗ったと思ったら、政府から2500万ドルもの関税支払いを通達されて破産するかもという運命の瀬戸際あり。ものすごい企業家なのに、思いつきで突っ走るわ、うじうじ後悔するわ、ストレスで夜寝られないわ、ご自分でも「鏡を見ても私にはオーラなんか全くない」「何百回、何千回と間違った判断を下してきた」なんてストレートすぎるさらけ出しっぷり。キレイごと、美談にあふれたビジネス啓蒙書とは真逆をいく。最高に面白い。

先週、大好きなサントリーホールで大好きなラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」があったので、直前で慌ててチケットを取った。有名な第18変奏はあまりにも美しく、聴くだけでは飽き足らず、弾くために暗譜したほどである。当日席に着いて、これが休憩の前の2曲目だったので、あれっと思った。これでは最初の曲が終わったらすぐに、お客さんの見ている前で舞台中央に大きなグランドピアノを移動させなければならない。休憩中に配置を変えられる後半にすればいいのに・・・しかし続けて後半のプログラムに目を通したところで、理由がわかった。

ラヴェルの繊細な「クープランの墓」はオーケストラでは編成が少人数だし、ガラッと変わって最後に金管をわざわざ別の場所から高らかに響かせる「ローマの松」はやっぱりフィナーレだろう。指揮者の好みだけで選んだとしか思えない4曲。フィル・ナイトと同じ1938年生まれ、御年80歳になる名誉指揮者ユーリ・テミルカーノフが明るくあっけらかんと「この歳ではもう好きな曲しかやらないんです」と語っていて、思わずニッコリしてしまった。天分のうえに極限まで突き詰めて努力するすごさとは、またその道を選んだ楽しさでもある。どの曲も本当に素晴らしく、もちろんピアノも感動的で、大満足のステージだった。


『ミレニアム5(上)(下)』(著者:ダヴィド・ラーゲルクランツ 訳:ヘレンハルメ 美穂/久山 葉子)

2018-02-12 20:30:05 | 本と雑誌

年末から年始にかけて大量の本を処分した。思いたったきっかけは文庫本。掃除のとき本棚にクリーナーをかけると、薄いのでだんだん背表紙が傷んでくる。今や夏目漱石も森鴎外もkindleで読めるし、本棚を新しくして入りきる分だけ残せばいい。ここで大抵の場合、捨てようと思う本をつい読みふけったりして意外に長い時間が経過するものであるが、心を鬼にしてどんどん整理を進め、20分ほどで分別完了。にしても最後まで残そうか残すまいか迷ったのがこの「ミレニアム」シリーズである。

10年ほど前、日本で初の翻訳が出た頃からのファン。特にリスベット・サランデルが峻烈なデビューを飾る1巻目が大好き。ミカエルが極寒のヘーデスタで暮らす静かな日々は何度も繰り返して読んだ。ハヤカワの書体と行間の雰囲気、ページをめくるときの味わいもいい。だが厚いハードカバーで上下合わせて8冊、しかもこの最新刊からkindleにしちゃったし、残すと本棚のスペース的には、数年前に苦労して読みきり半端ない達成感を得られたプルーストの「失われた時を求めて」を捨てることになる。うーん・・・と迷うことしばし、やっぱりこちらを選んでしまった。「失われた」は次にまた、最初から最後までじっくり読みたい気力があれば(あるのか?)、新訳のほうをトライすればいいし。

前3部作が世界的大ベストセラーとなっただけに、ダヴィド・ラーゲルクランツが続編を引き継いだ4作目は、著者が変わって大丈夫なのか期待と不安の前評判が交錯したものの「うわ、面白いじゃん。それにミレニアムっぽい」と読者から圧倒的な支持を得た。今回はじっくり試される作品であろう。私的には、欲を言えば、もっとリスベットの多面性を破天荒に描いて欲しかったかなぁ。だけど個性と世界観を残しつつ迎合せずに新しさを取り入れるのは至難のワザで、そういう意味でとてもバランスよく、読んでいて楽しめた。冒頭に「今までになかったヒロイン」を鮮やかに登場させ、3作かけて壮大な物語を社会的な課題も織り交ぜて結実させた前作みたいに、どこかで大きなテーマがつながるのか。次作も期待。


『フォールアウト』(著者:サラ・パレツキー 訳:山本 やよい)

2018-02-11 18:06:09 | 本と雑誌

1月に入り都内でも2回雪が降って、冬らしく寒い日が続く。周囲で風邪やインフルエンザ、胃腸炎が続出しており、私も先週の土曜、少し喉が痛くなったが、このところ体調が抜群に良くて一晩寝れば治るので、すっかり油断していた。寒風が吹くなか元気にベランダの掃除をし、新しい家具の搬入に来てもらって動き回り、夜にワインを飲んでベッドに入った翌日曜、朝起きてみると体が異様に熱っぽい。あわててジョギングを中止、市販の風邪薬を飲んで寝ていると、さらにぐんぐん熱が上がっていくのがわかる。喉はキリキリと腫れていて、頭や手足の関節が痛む。そういえば大学生のとき、風邪をこじらせて高熱40度近く意識が薄れ、親が救急車を呼んで入院する騒ぎになったことがある。大学時代よりも体力の落ちた今、どこまで熱が上がるのかと怖くて体温計で測れない(笑)。

うちのマンションは1階に内科があり、朝、病院があく時間を待ちかねて駆け込んだ。検温の結果をみて気のよわい私、ふらっと倒れそうになる。絶対にインフルエンザと思ったのに、しかし検査は陰性。熱が高いので、下がるまで外出せず再検査を受けてくださいとタミフルと抗生物質を両方とも処方された。どちらかが効いたらしく、数時間うとうとしているうちに熱が下がってきて、夜起きて大好きなサラ・パレツキーの最新作を読み終える。主人公の恋人がコントラバス奏者で、スカイプでオペラのアリアを弾いてくれるという話が出てくる。ああ、うらやましい。

1月にサントリー・ホールでチョン・ミョンフンの指揮する東京フィルを聴いて、あまりのすごさに言葉を失った。誰よりもモーツァルトらしい、音が甘くキラキラ輝いているようなジュピター。軽やかな旋律の枠組みを、大きく飛び跳ねて墜ちていくスケールの崇高さに鳥肌がたちっぱなしだった幻想交響曲。前から2列目だったので巨匠の表情がよく見え、オーケストラと対峙するその真剣な目つきに、もううっとりして目がハートマークに。いつも風邪で熱が出ると咳が何週間も続いてひどいのに、今回は熱が下がったら咳は出なくなって、再検査の結果も陰性だった。風邪じゃなく、最高の演奏に大興奮したあまりの知恵熱だったのか。