狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

反面教師

2011-04-28 08:32:28 | Weblog
アフリカでは人権となったマルクス教は東ユーラシアにおいては
まったくのゴミだった、としか言いようがなかった。
まともな人たちが殺され、騙す殺すが上手かった人たちが君臨した。

半周遅れの意味を書く。 今更だが。
自分たちに何が出来るかを知るのが半周、その知った事を周囲と、
それ以上に自分たちに対して表すことが出来るようになるのが
残りの半周。

これまで前世紀、日本人が戦争に走った原因は大正デモクラシーに
あったのではと疑っていた。
欧米文化と貴族主義の関係から明治の日本が国民国家たりえたのは
不平士族の存在が大きかったとの結論に至った。
そして彼らが去った後何が維新だったのかという観点を失い、
日本は西洋化した。 それが大正時代。
幕府側人士の方が民主的だったという論がある。
ここに至ってなるほどと思う。
腐臭を放つそれが無くなった時日本人はバラの香る同じ物を輸入し、
そしてそれが崇められるようになったのだと。

民主主義と言う。
人民が主。
明治の日本は国民国家であったが民主主義国家ではなかった。
アメリカ合衆国は民主主義国家ではあるが国民国家ではない。
どうやら民主主義と国民国家とは別物であるのようだ。
ドイツは国民国家か。 国民国家だ。
ロシアは国民国家か。 おそらくは国民国家だ。
フランスは国民国家か。 国民国家だろう。
イタリアは国民国家か。 是、とも否、とも言える。
イギリスは国民国家か。 多分違う。
ソ連内のロシアは国民国家だったか。 国民国家だった。
中華人民共和国は国民国家か。 否、漢民族の氏族集合だ。

何度か国籍とは責任であると書いている。
すべての国民がすべての国民に対する責任を負う。
オールサーバント。
何故国家なのか、何故地球の裏側では駄目なのかと問われたら
私はスープの腐らない距離と書く。
地球の裏側と言う人たちはつまりはスープを腐らせる人たちであり、
腐ったスープを配る人たちであると。

私は「おしん」を見た事がない。
そんな私が「おしん」が団塊世代に与えた影響はこうだったのでは
と推測してみる。
一部がそれを下の立場の者の話とした。
が、団塊世代の大半は自分たちをおしんだとした。
自分たちは被害者だった、自分たちこそが被害者だったのだ、
だから自分たちこそが多く与えられるべきだと。
これが、年下の者たちに並ぶ機会に先立ってあった。
これが私がエゲツナイと書いたことの一面。
えげつなく扱われたのは彼らの下の世代ではない。
団塊世代自身である。
国民国家はかれらには与えられなかった。

つまり国民国家は制度ではない。
では国民国家に今日これが民主主義だとされる政治制度は必要か。
選挙で選ばれた政治家が国民に仕える。
選挙で選ばれた政治家に役人が仕える。
役人とはどういった存在だったかを考えるに、確かに有効だ。
だが非民主的とされた国や時代が国民国家だった例が多数ある。
必須ではないのだろう。
逆に見ると民主主義とは強制力でもって擬似的に
国民国家状態を実現しようとする試みだった、とも。
そして国民が、自分たちが奉仕される存在だと認識した時に
オールサーバント、国民の精神は死ぬ。

なるほど政治エゴを煽る人たちがレフトエンドなわけだ。
そうして生きてきた彼らにははやく死んでほしいとも思う。
彼ら自身のためにも。
と同時に、これからも長生きして欲しいと思う。
彼ら以外の人たちのために。
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