狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

ヴィーガン、非武装中立論、「たかがゲームだ」

2018-01-09 15:37:55 | Weblog
「チンパンジーの否定になっていない」。
上は表題にする予定だったもの。 最近非武装中立論めいた何かをぶち上げてきたテレビ芸人だか何かが居て、日本のネット界隈で話題になったと。 曰く、「中国は平和的だ」「反戦、武装放棄、領土問題も明け渡そう」という。 これに対する反論として、侵略し続けてきた結果としての中国の地図や現実の中国周辺国、中国内部の状況、また「もし非武装非抵抗が正しいと思うのなら自宅に鍵をかけなければよい」といったものがあった。
上記芸人の発言と中国周辺の現状の差は、非武装中立論がマウンティングを目的としたものであった事を示している。 そういう意味では歓迎できる。 状況証拠がやってきたと。 だがだ。 それに対するこれらの反論は「非武装中立論を信奉しない人間、武装を選ぶ人間は暴力を好むチンパンジーと同じ」といった発言の、否定にはなっていない。
これな。 人間の武装と気分次第で振るわれるチンパンジーの暴力の違いってどこにあるの?っていうと、秩序の価値なんだね。
秩序の価値ってどんなの?ってので例を一つ挙げよう。 子殺しの禁。 そういう意味では、「子殺しをする側の人間には秩序のための武装とチンパンジーの暴力が同じに見える」となる。 「子殺しを止める」という価値観を持たないから。

学生時代の、物理実験の組で、ものすごく残念な人とペアになった事があってな。 なんかアメリカ帰りだったそうなのだがサヨク思想に染まっちゃってた。 「中国は歴史改変しない」「日本の歴史改変はおかしい」と。 「中国史上歴史家が死を覚悟して権力者の要求に抵抗した事案というのは二回あったとされていて、逆に言うと二回しかなかったんだよ」と教えてあげた。 次いで「江戸時代の日本に切腹で主君を諫めた侍はあちこちに居た」と教えたら何か気付いたようだったが、それでサヨクが治った、まではいかなかった様子。
ウヨ・サヨ論争で双方の発言に出てくる「染まっちゃった人」はこうした、相手陣営の底辺を見ているのか。 まあそうなのだろう。 ではウヨサヨ双方似たような事をしているのか。 否である。 右派は打たれて直るが左派は打たれても結局「○○の理想実現のためには嘘を吐いても良い」「モラルは捨てても良いのだ」に落ち着く。 比ゆ的な表現をしよう、「理想のため」と言う時実はその人は、悪魔に仕えているのだ。 全てそう。 だって結局ありきたりのモラルを捨てるんだもの。 「モラルを捨てるプロセス」として「マウンティングのための理想思想」があるの。
はっきり「自陣の利益のため」と言い切っちゃう人の方がマシ。 一見低俗に見えて、実はずっとまとも。 そういう意味では使徒行伝のペテロ氏、悪魔に仕えていた。 だから死なせたし、嫌われたんだね。

人間社会における動物取扱分類。
家畜の処理、ペットの愛護、野生動物の保護、害獣駆除。
歴史的に一番古いのは害獣駆除のはず。 自分たちの利益、あるいは生存と動物たちの本能行動とがぶつかる。 で、死にたくないないし利益を守りたいから駆除する。 で駆除ばかりをしていると逆に不利益が発生する事に気付く。 ここに害獣の反対、「益獣」といった発想が出来てくる。 動物の家畜化も自然保護も、こうした益獣思想の末。 ペット化つまり愛護は若干異なる。 出自が違う。 身近な虫、鳥、小型の獣が人生の最初から遊び相手なんだね。

ヴィーガン思想の逆がアンデスの聖餐である。 「アンデスの聖餐」と呼ばれる事件の時に何が起きていたのか。 言われている事を又聞きで読んだ記憶があるだけで少し調べた結果はさほど覚えていない。 気が向いたら検索してみるかもしれないが、たいした話は拾えない気がするし、どこまでが事実なのかも不明なままだろう。
ヴィーガン思想ははたして理想なのか。 とりあえず、アニマル・ウェルフェアの推進材料になってはいる。 そう見る。 ぱっと見理想的でもある。 だが現状のそれは「マウンティングを目的とした実現性のない理想」でしかない。 医者が石鹸で手を洗うのを止めたら患者は死ぬな。 「細菌は別」といった線引きをする事も可能だろうがそうした線引き自体理想の放棄であり、また「寄生虫病はどうするの?」といった話になってくる。 マラリア原虫とか。 肉畜は愛護するけど蚊は殺すの?とか。
例題。 仮にもし、一般に「アンデスの聖餐」と称される状況が永続可能だったとしたら、それは正しいのか。 文明から切り離された極地で、飢えた大勢の中選ばれた人が食料となる。 まあ実際には「弱った人に慈悲を与える」のを食べたのだろうと思うが、それが長期継続しそこで女が出産し人口減少が起こらなかったとしたら。 生まれてきて、生きて成長して、最後に食べられる。 「みんな誰かの食料だ」こういう社会は正しいのか。
まあ意見が分かれると思うが。 「永遠の生」型の思想か「生の循環」型の思想か。 こういった話かもな。

テレビゲームの類を禁止しようという動きは昔から、といっても電子ゲームの歴史自体が半世紀かそこらだが、ある。 「子供たちが危険だ」「暴力的になる」「反社会的だ」と。 正直私は飲酒や賭博、闘争スポーツといった肉体趣味の方がはるかに暴力的、侵略的、反秩序的だと写るが、彼らの目には違うらしい。 彼らにとってはそれらこそが社会性なのだろう。
「たかがゲーム」と言う。 実は私もそう言う側である。 実際、「たかがオリンピック」と言い、それとテレビゲームとを分けていない。 程度の差はともかく。
「遊び」と「生命の害」の別が、有る人と無い人とが居るんだね。 「生命の害の別」が有る人はテレビゲームの方が闘争スポーツやナンパ文化よりもむしろ善良だと見るわけで。
アメリカだったか、で、オンラインゲームで負けただかなんだかの腹いせで、相手をでっち上げの事件で通報したら相手が出してきたそれが偽の住所で、出動した部隊に無関係な人が射殺されてしまった、なんて事件があった。 被害者以外全員悪質だ、と感想を書く人皆あきれかえっていたがこれ「生命の害の別」の無い人たちなんだね。
昔からこういうのはあった。 ゲームセンターなんかの格闘ゲームとかで、実際の喧嘩に発展すると。 プレイヤー自身が勝手に決めるルール、ゲーム会社や店舗のルール(管理方針)、ゲーム上可能な事、実社会で物理的に可能な事。 これらが混ざってる。 自分ルールに相手が従わないから制裁する。 「たかがゲーム」。
「たかが世界」なんだけど。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 弁護士と示談 | トップ | 「わがままな事は意外と善良... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事