日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

先週末、祖母が亡くなった。

2006-06-06 | 今日の出来事。(私事編)
前に書いたとおり、以前からいい状態ではなかったので、
いつかはこんな日が来るだろうとは思っていた。
反面、そんな実感も覚悟もなかったので「信じられない」という気持ちで
一杯だった。

お葬式には弟に出席を一任することにして、私は普段どおりに過ごしていた。
心の片隅にその事実はあったのだけれど、あまりに普段どおりなので
なんだか拍子抜けの感もある…
と言いつつ、運転中に「惑星」(ホルスト)の一曲目「火星」を聞いていたら
なぜか涙がこみあげてきたので驚いたりもしたのだが。
…世の中広しと言えども、こんな勇ましい曲がかかっているときに泣けた
っていう人は、そうはいないんじゃないかと思う^^;

「自分が悲しい」気持ちは、もちろんあった。
しかしそれ以上に、親を亡くした「母親の悲しみ」のほうが、
日が経つにつれ心に迫ってくるのを感じていた。

実は、これを書いている途中、ふいに気になって母親に電話を入れた。
さすがに声に力はなかったが、
「少しずついろいろ整理してるところ。仕事はいつも通り入ってるけどね。」
(母はボランティアで手話通訳をしている)
と話す母の声を聞くと、少し安心した。
父がずっとついていてくれた話だとか、久々に顔を出した弟夫婦の
話だとか、とりとめのない話をしたあとに、
「祖母は、きっと幸せだったよね。」
とうなずきあった。

「そりゃそうよ、こんなにいい子供と孫とひ孫がいるんだし♪」
などと話していたら、母がふいに涙声になって
「そうよ。子供が親より先に死ぬことほど悲しいことはないの。
○ちゃん(私)が小さかったときに、私は○ちゃんが死んじゃう夢を見て
号泣したんだから。あれは今も忘れられなくて…」
前にも何度か聞いたことがある話だったが、自分自身が子供を持つ今、
あらためて「そうよね…」とうなずいて聞いていた。

…でも、親を亡くした悲しみを慰めようと思ってかけた電話で、
子供を亡くす悲しみの話で泣かれるとは思ってなかったな^^;