愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

丸根城 豊田市

2015年02月09日 15時26分06秒 | 豊田市
今日はとても寒い日でしたが、昨日雨が降り史跡めぐりをできなかったので、がんばって出かけました。山は雪がつもっているかも知れませんので、平地にしました。豊田市の南西部です。


豊田市にも丸根城
矢作川東岸に丸根城というお城がありました。丸根城といえば、桶狭間の戦いで織田信長が大高城の押さえとして鷲津砦、中島砦とともに築いた丸根砦が有名ですが、豊田市にも丸根城がありました。

丸根城は家康に関連するお城か
この丸根城は城主、築城年代についてはよく分かっていないそうです。「東照軍鑑」(とうしょうぐんかん、徳川家康及びその祖である松平八代の伝記)には、「丸根ノ城」の記事が載っているそうです。(「愛知山城ベスト50」より)他にも文献に登場することがあるそうですが、決定的な証拠はないそうです。そこで、この史跡の石碑には、「家康の城ではないか」と記されていました。

矢作川は水運が盛んな川
どちらにしても、この城が戦国時代にあって、矢作川の水運を押さえる目的を果たしていたことは間違いなさそうです。「愛知山城ベスト50」では、「俗に『鵜の首』と呼ばれるこの地形は矢作川の船運にとっては難所として知られる反面、水運を押さえるのに絶好の立地であった。」としています。矢作川には、戦国時代にすでに水運があったようです。浄土真宗が発展する地域として水運が発達している地域があります。(大坂、伊勢長島、越前吉崎等々)矢作川流域もこの水運業の発展とともに浄土真宗が広まったのかもしれません。

画像左側が矢作川、A地点が丸根城、ちょうど矢作川が鵜の首のように細く折れ曲がっていることが確認できます。

丸根城の案内板

丸根城の石碑

丸根城の縄張り図(現地案内図)赤の文字・矢印は付け加えたものです。

北曲輪北面の空堀

北曲輪の北にある空堀です。大変くっきりとのこっていました。右側が北曲輪です。

主曲輪、北曲輪の間の空堀

これは、北曲輪と主曲輪の間の空堀です。先の縄張り図の南東から見た写真です。左が主曲輪、右が北曲輪になります。けっこう深いものでした。主曲輪と二の曲輪の間に大きな空堀があるのはどうしてかという話が「長野県三日市場城」で出ましたが、そのことを思い出しました。

主曲輪西面空堀

これは、主曲輪西側の空堀です。左側が主曲輪になります。真っ直ぐ先は矢作川です。


これは、虎口から見たものです。左が空堀、正面が北曲輪、右に行くと主曲輪になります。この北曲輪ですが、縄張り図を見ると、半円形をしています。「愛知山城ベスト50」では「いわゆる『丸馬出』に類似している」と表現しています。

主曲輪北東部土塁

主曲輪北東部の土塁です。土塁はいずれも北方角に多いので、北方面をかなり意識したお城であることが分かりました。
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