みどりの野原

野原の便り

2月25日 日本書紀

2022年02月25日 | Weblog

天武天皇8年(679)
今日もいろいろと勉強しましたが・・むつかしい。

興味のあった所だけ自己流で・・

前回出てきた「大殿」について、注によると、内裏の正殿で、後の紫宸殿に相当するものか」と。
京都御所では南庭に続く橘・桜のある建物 紫宸殿がそれにあたるようだ。
飛鳥京では?遺構の南のあたり?エビノコ郭ではないような・・ 
よく理解できなかった。

6月1日「氷ふれり」氷は雹(ヒョウ)のようだ。
「大きさ桃子(もものみ)のごとし」 なんとデカい。

「雹」で思い出すのは、橿原市にある瑞花院(元 吉楽寺)の瓦の刻銘

吉楽寺は棟木銘より1443年上棟がはっきりしている。
刻銘は、建設中に瓦職人によって刻まれたもの。
落書きではあるが出来事がわかる貴重なものだ。

2005年に1度だけ機会があって、瓦を見せてもらったことがある。

瓦の刻銘「嘉吉元年5月1日 サルノトキニトクリホトナルアラリフルナリ
ヒツシサルヨリウシノハウヘフリイクナリ」
(1441年5月1日 15時~17時頃 徳利ほどの雹が降った 西南より北北東の方へ降り進んで行った)

現在でも、雹による農作物の被害などのニュースを聞くこともあるが、昔の記録にも残っているのは興味深い。

10月と11月に地震の記録もあり。

8月1日 詔して高官達におっしゃる「女人(おみな)を貢れ」と。
女人とは13歳~30歳ぐらいの女性らしい。容姿も教養も求められたのだろう。
8月11日 また、「乗馬の外に更細馬(またよきうま)を準備しておくように」と詔。
次々と要望がだされる。

かと思えば・・
10月2日 「この頃巷に悪事を働くものが増えていると聞く。それはお前たち高官の責任である。悪事を働くものがいると聞いても手を打たず、見ぬふりをしているからだ。すぐに正せば乱暴や悪事を働くものはいなくなるだろう。」
「これからは上のものは下のものを指導し、下の者は上のものを諫めて職務を務めれば、国は自然と良くなるだろう」と正当なお言葉。

また、10月「僧尼は常に寺で仏道を守るべきであるが、年老いたり、病気になったものが、僧房で暮らすのは大変だろうから、別に建物を建ててそこで暮らし、養生し薬も服用するようにせよ」と慈悲深いお言葉。

貢物も多い。
10月17日、新羅より遣いが来て、金・銀・鉄・鼎(カナエ 三本足の鉄の釜 )・錦・絹・布・皮の他、馬・狗(小型犬)・騾(ラバ)・駱駝(ラクダ)などを献上。
ラクダやラバにはびっくり。それらはどうされたのだろうか?

8月22日、国内からも「嘉禾(よきいね)」が献上された。
「畝異にして穎(かび)同じ」「嘉禾(よきいね)」とは・・
思うに、粒が揃った品質の米のことか?
この献上に関連して、12月死罪以下の罪人がすべて許された。

11月23日、初めて竜田山・大坂山に関所を置き、難波に城壁を築いた。

もう一人の講師の方からは、特別史跡のお話を聞いた。

コメント
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