聖徳太子が飛鳥から法隆寺へと往来されたという筋交い道(ところどころに痕跡が残る程度)
里山クラブの「筋違道前編ウォーキング」に参加。
橿原神宮前~甘樫丘~飛鳥川沿いにおふさ観音~今井蘇武橋~入鹿神社~人麻呂神社~新ノ口駅
風が冷たいが歩いているときは快適。寒いとはいえ3月、お花見もできた。
ギンヨウアカシア ウメ
果樹の下にフキノトウがたくさん顔を出していた。 もちろん栽培。
野生で見ることはほんとになくなった。
カワズザクラが満開 見事です。
おふさ観音
『江戸時代このあたりにあった鯉ヶ淵という池の中から白い亀に乗った観音様が現れ、それを発見した付近に住む「おふさ」が小さなお堂を建てて祀ったのが始まりとされる』 右)山門横にある石碑
正面に「積十一面観世音菩薩」 西面には「すぐ(字が薄くなっている)志やくくわんせおん 是・・(下は読めない)」積って何かな?
息子の道標ホームページを見ると、西面の「すぐ」も、「是・・」も埋められているらしく、元は「すぐ志やくくわんせおん 是より半丁東」となっていたらしく、建っていた場所はここから少し離れたところではなかったかという。
「積」は「癪」のことで、癪の病にご利益があった観音様とのこと。
春秋にはバラ祭り・夏には風鈴祭りなどされて、大勢の参拝客が訪れる花の寺だ。
奥には日本庭園「円空庭」の静かな佇まい。境内には無数のバラの鉢。日頃のお手入れも大変なことだろう。
飛鳥川の堤防を歩く。桜が満開になるのももうすぐ。花見の隠れスポットになる。
ソメイヨシノと思う古木が何本もあった。 古木の根元にマツバラン(シダ植物)があった。
きれいに整備された今井蘇武橋公園でお昼になった。
日陰のベンチは寒かった。ちょうど知り合いが出てこられ、日向にベンチを置いてくださった。
そばの飛鳥川 セイヨウカラシナが満開
公園の端にある「蘇武の井」 蘇武橋たもとのエノキ 幹周約5m
聖徳太子もこのあたりで一休みされたのだろうか?
資料によると、聖徳太子伝玉林抄の書物に「太子斑鳩より蘇武の橋を渡り、八木の里を経て橘の宮へ通う」と書かれているらしい。
そのころの景色はどんなだったろうか?
横大路から小綱町の入鹿神社へ。
入鹿神社 同じ境内に建つ大日堂 猫の描かれた珍しい涅槃図を見せてもらったことがある。
大日堂は文明10年(1478)の創建で、本尊大日如来とともに重文に指定されている。
入鹿神社は蘇我入鹿をご神体とする。江戸時代に天皇中心の考え方により「逆臣 蘇我入鹿を祀るのは都合が悪い」として、「祭神を素戔嗚に、社名も地元名の小綱神社に」改めるように政府から言われたのを地元住民は拒んだという。痛快!
悪者にされることが多い蘇我氏だが、近くに祖先を祀る神社もありこの辺りは蘇我氏の拠点なのだ。
鎌足との因縁は深い。
「中臣鎌足を祀る談山神社へ参ると腹痛が起こる」とか「小綱町で生まれたものは鎌足の母の出生地、小原への縁組はしなかった」などの伝説が残っているらしい。
人麻呂神社 柿本人麻呂を祭神とする。檜皮葺の本殿 南北朝時代の建築で墨書も残る。(重文)
正面の上部には「菊?のご紋」 側面の千木の下に2つあるこの紋は何の紋かな?
本殿を見ようと裏手へ回っていた時、足元の枯れ木に大きいアラゲキクラゲが付いていた。
右)自然乾燥しているアラゲキクラゲを1個もらってきた。表面には細かい毛がびっしり。
家で水でもどしてみた。大きくて立派。おいしそう。足元で踏まれていそうなので食べるのは・・。
畑の横で採りたて野菜を売っていた。
この前、何かわからなかった紫色の茎の野菜は「紅菜苔(こうさいたい)」1把50円 菜花は100円で購入
右)近くには紅菜苔の畑もあった。
新ノ口の保線基地 作業車などが留まっていた。
家の家族は鉄道関係も好きなので、何回か見に来たことがある。
家の垣根に植えてあったバラ 果実の表面もトゲだらけ。
これはナニワイバラというものか?
今日の終点新ノ口駅に到着。
知らなかったことがわかり、知りたい宿題もできた。
「人麻呂神社の紋」「トゲトゲの実のバラ」いつか謎が解けるかなあ。