みどりの野原

野原の便り

3月11日 明神山へハイキング

2011年03月11日 | Weblog
JR王寺駅~明神山~河内国分駅へ
王寺駅を出発。葛下川(かつげがわ)畔ではみぞれが降ってきた。

片岡山 達磨寺

木造達磨太子像・木造聖徳太子像(共に重文)を祀る。
推古天皇の発願によって建立されたが荒廃・焼失・・・今の堂宇は再建を重ねたものらしい。

境内には片岡城主だった片岡春利・片岡八良利一の墓や松永久秀(別名弾正)の墓があった。
「松永弾正は3悪人の1人」と誰かが言うが、知らなかったのでかえって調べてみた。
3悪人とは北条早雲・斎藤道三・松永弾正をいうらしい。
松永弾正は東大寺大仏殿焼却の首謀者とされ、足利義輝の暗殺・主家の三好氏を滅ぼしたりして、戦国の大悪人とも言われているらしいが、ネットで見ていたら「織田信長の方が悪人だ」なんて書いてあるのもある。陰謀・裏切りの渦巻く戦国の世。松永だけが特別でもなかったのかも。

乳垂地蔵(ままたれじぞう)

 
「ちちたれ」とは読まないんだ。知らなかった。
ここへお参りするとお乳がよく出るようになるそうな。

尼寺廃寺跡(にんじはいじあと)
飛鳥時代創建の寺院跡 基壇が残っている。周りは公園にでもされそうな雰囲気。

白山姫神社(しらやまひめじんじゃ)

 
創祀は862年 加賀白山と関係があったらしい。
  右)絵馬殿 中に「雨乞」と表題がやっと読み取れる文を書いた板額があった。
「絵馬」は元々雨乞いなどに生きた黒馬や白馬(赤馬)を神にささげた。これが後に板に馬の絵を描いた「絵馬」を奉納するようになったとか。真新しいものもあった。

永福寺
 
行基創建と伝わる。右 本堂(本尊は釈迦如来座像)・左 鷹ヶ峯観音堂(11面観世音菩薩・藤原期の地蔵菩薩を祀る) 右)松香石の7重の搭は大きく珍しいそうだ。 

松香石って?  『凝灰岩のこと。古い時代には加工しやすい凝灰岩が使われていた。後には風化しにくい花崗岩や安山岩で作られるようになる』  なるほど。


大きい鳥居(水神社のもの??)ここをくぐるのかと思ったら素通り。(前来た時はここをくぐった)

畠田古墳
 
7世紀初頭に造られた円墳らしい。群集墓の多いこの時期に単独で立地するのは珍しいとのこと。中国の風水思想に基づいて築造されているとか。 もう少し奥深いのかと思ったらすぐに奥の壁があった。


ここからが明神山に至る山道

      ウラジロの大群落 

 
見慣れぬ葉に目が止まった。見たらカギカズラだった。 蔓性の南方系の植物で、他でも自生は見たことはあるがそう多くない。奈良のレッドデータには記載されていないので、あるところにはあるのだろう。
「この鉤(かぎ)が生薬になるよ」と言ったら「何の薬?」と問われ「わからん」・・で、帰って調べた。
丸まった鉤は釣藤鉤(ちょうとうこう)という生薬になる。アルカロイドを含有し鎮痛剤になる。近年はアルツハイマーや認知症への有効性も報告されているらしい。 お世話に・・なりたくない・・

気持ちのいい山道を登ること30分ぐらいで明神山頂上に到着 風が冷たく小雪がちらつく。
ここでお弁当。

明神山 

奈良県王寺町と大阪の県境に位置し頂上には水神社が建つ。標高273.7m 三等三角点は側溝の蓋のようなものでガードされていた。展望台からの眺望

ここは堺方面から伊勢参りの道としても使われていたらしい。
大阪道島米相場の旗振り(*)もこの山頂で行われていたそうだ。
*大阪の米相場をいち早く他の地域に伝達する。また他の地域の相場を大阪へ知らせる。
片岡氏が一時ここに城を築いたところでもある。(松永弾正に焼き払われた。
山頂にあった太神宮にお参りする人で賑わったとも書いてあった。


大阪の方に下る。落葉が積もる下り道を気をつけながら下る。

関屋地蔵


南へ行けば田尻峠越えの長尾街道。西へ行けば国分から奈良街道と合流し大阪に至る道。私たちは西へ。

山を降り、我が庭のように歩いているという案内役さんについて町の中を右へ左へ・・無事目的地の河内国分駅に到着。
雨もたいしたこともなく時々日も射し、まずまずの天候だった。

帰宅してテレビをつけたら大地震と大津波のニュース  びっくりした。
コメント
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