みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

広島・長崎の「原爆の日」 核廃絶への行動を怠るな/原点見据え核兵器禁止を/沈黙の声は未来を語る 原爆忌に考える

2017-08-06 22:32:27 | ほん/新聞/ニュース
台風5号は高知県の南の海上をすすんでいて、
岐阜県には明日もっとも近づくという予報です。

キンリョウヘンなどの鉢物が外に出してあるので、
明朝、雨や風の当たらないところに移動しなくては・・・。
今後も台風の進路に注意しておきましょう。

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台風が近づいていることもあって、外はメチャ蒸し暑いので
洗濯物を干す以外は家のなかにいて、片づけをしていました。

ウォーキングには行ったのですが、できるだけ体を動かそうと、
仕事の合間にごはんづくり。

朝ごはんは、そば粉パンを焼いて、
薄めに切って、野菜と卵でオープンサンドにしました。




昼ごはんは野菜たっぷり冷やし中華。

キュウリと人参と、オクラとミョウガを千切りにして麺の上に乗せ、
いちばん上にシーチキンと赤紫蘇をたっぷり散らしました。

夕ごはんは、手づくりローストビーフ。
牛もも肉ブロックに薄く塩コショウをして余分な水分を拭ったら、
肉の外側を焦げ目がつくぐらいに焼きます。

赤ワインを入れて火を止めて5分くらい蒸らします。
少し冷めたら、肉を出して5ミリくらいの薄切りにして、
フライパンに残ったソースは煮詰めて、ワインソースにして
ローストビーフにかけます。

オクラとお揚げとミョウガの炊きあわせ。

  
ししとうと夏野菜のサラダ。

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きょうは70年目の「原爆の日」。
午後9時から10時までのHKスペシャル
「原爆死~ヒロシマ 72年目の真実~」をみおわったところです。
「原爆被爆者動態調査」のビッグデータを解析した新事実も分かってきました。
 NHKスペシャル「原爆死~ヒロシマ 72年目の真実~」【3分動画】

朝日新聞と毎日新聞の中日新聞の社説も紹介します。

 社説:原爆投下72年 原点見据え核兵器禁止を
2017年8月6日 朝日新聞

 核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)の「受け入れがたい苦痛と被害」を心に留める。先月、国連で採択された核兵器禁止条約の前文はこううたう。

 「母や妹を含め、たくさんの人たちの犠牲が無駄にならなかった」。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問の岩佐幹三(みきそう)さん(88)は感激した。

 72年前のきょう、米国は広島へ原爆を投下した。立ち上るキノコ雲の下で、16歳の岩佐さんは母と妹を奪われた。

 3日後、長崎にも原爆が投下された。両被爆地でその年のうちに21万人が死亡した。生き延びた人々も放射線の後遺症に脅かされ、被爆者(ひばくしゃ)と呼ばれた。

 ■世界に響く被爆者の声
 「早(はよ)う逃げんさい」。72年前の8月6日、広島の爆心地から1・2キロ。倒壊した家の下敷きになった母の清子(きよこ)さんは、助けようと躍起になる岩佐さんに告げた。猛火が迫っていた。

 数日後、自宅の跡を掘り起こし、清子さんの遺体を見つけた。むごたらしく焼けただれ、人の姿をとどめていなかった。

 12歳の妹、好子(よしこ)さんは朝から女学校の同級生たちと屋外作業に動員されていた。どこで亡くなったのか、今もわからない。

 「原爆は人間らしく生きることも、人間として死ぬことも許さない」。その憤りが岩佐さんを被爆者運動に駆り立てた。

 多くの市民が味わわされた「苦痛と被害」はやがて、世界を動かす力になった。

 2010年以降、国際社会では「核兵器の非人道性」への関心が高まった。日本被団協は、関連の国際会議に被爆者を派遣し続けた。核兵器が人間にどんな被害をもたらすか。体験に根差した被爆者の訴えは、各国の参加者に強烈な印象を与えた。

 条約は核兵器の使用だけでなく、保有や実験、使用をちらつかせた脅しなどを、「いかなる場合も」禁じるとした。交渉に参加した各国代表は「ヒバクシャに感謝したい」と口をそろえた。被爆者の切なる願いが、国際法となって結実した。

 ■核保有国動かすには
 条約の採択には国連加盟国の6割を超す122カ国が賛成した。9月から署名が始まり、50カ国の批准で発効する。

 実効性を疑問視する声は強い。核保有国や北朝鮮は採択に加わらず、当面、署名・批准もしないとみられるためだ。

 「核兵器のない世界」と逆行するような動きも目立つ。

 今年就任したトランプ米大統領は、核戦力の増強に意欲的だ。ロシアや中国も核戦力の強化に巨費を投じているとされる。北朝鮮は公然と核開発を続け、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を2度発射した。

 核保有国に共通するのは「核兵器は抑止力であり、安全保障の根幹だ」との思想だ。だが、抑止が破れ、核が使われた場合の被害は破滅的だ。事故やテロのリスクもある。安定的な安全保障とはとうてい言えない。

 カギを握るのは世論だ。原爆投下正当化論が根強い米国をはじめ、核保有国では核の非人道性はあまり知られていない。

 昨年5月にオバマ米大統領が訪れた広島平和記念資料館は昨年度の外国人入館者が36万人を超え、過去最多を更新した。キノコ雲の下で起きた「苦痛と被害」のむごさは、核保有国の人々の心にも響かぬはずはない。

 非人道性の認識を市民レベルで広げ、核に依存する自国の政策転換を求める世論へと変える。被爆国として、そういう働きかけを強めていきたい。

 ■「核の傘」依存脱却を
 日本政府は条約交渉をボイコットし、被爆者を失望させた。安倍政権は署名しない方針だ。

 日本は、米国の核で他国の攻撃を抑止する「核の傘」を安全保障の基軸とする。安倍首相は2月のトランプ氏との首脳会談で核の傘の提供を確認した。北朝鮮や中国の脅威を背景に、核への依存を強めている。

 だが核抑止論は、相手との軍拡競争に陥るリスクがある。現に北朝鮮は核・ミサイル開発を米国への対抗策だと主張する。

 核の傘の本質は「有事では核攻撃もありうる」との脅しだ。政府は米国が核を使う可能性を否定しないが、深刻な「苦痛と被害」の再現は確実だ。被爆国として道義的にも許されまい。

 日本政府は、核兵器禁止条約への参加を目標とし、核の傘を脱却する道筋を探るべきだ。

 米国の群を抜く通常戦力だけで北朝鮮や中国への抑止は十分との見方もある。安全保障上どこまで核兵器が必要か。役割を下げる努力を日米に求めたい。

 オバマ前政権は、相手の核攻撃がない限り核を使わない「先制不使用」を検討したという。軍事偏重の懸念があるトランプ政権への牽制(けんせい)としても、日本側から再検討を求めてはどうか。

 安倍首相は今年も広島、長崎を訪れる。同行する河野太郎外相は核軍縮の問題に熱心に取り組んできた。ともに被爆国のリーダーとして、被爆者の願いを実現する決意を示してほしい。


 社説:広島・長崎の「原爆の日」 核廃絶への行動を怠るな
毎日新聞2017年8月6日

 1947年8月6日、焼けつくような日差しの下、浜井信三・広島市長は初の平和宣言を読み上げた。

 恒久平和のためには「恐るべき兵器」(原爆)を廃する「思想革命」が必要だ。「原子力をもって争う世界戦争は、人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、世界の人々に明白に認識せしめた」というのである(浜井著「原爆市長」)。

 敗戦国の一隅から世界に呼びかける緊張感ゆえか、浜井は自分の声が自分のものでないように感じた。

 それから70年、「原爆の日」(広島6日、長崎9日)に際して思う。「思想革命」は進んだだろうか。

 70年代に発効した核拡散防止条約(NPT)は5カ国(米英仏中露)のみに核兵器の保有を認めた。だが、90年代にはインドとパキスタンが核兵器を持つに至り、イスラエルも実質的な核保有国とみられている。

「唯一の被爆国」として
 それに加えて北朝鮮だ。核・ミサイルの実験を繰り返し、日米への核兵器使用さえほのめかす。その姿は「思想革命」とNPT体制が暗礁に乗り上げたことを物語る。

 そんな折、国連では7月に約120カ国の賛成で核兵器禁止条約が採択されたが、米国など核保有国は反対し、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国や米国の「核の傘」の中にいる日本と韓国も反対した。

 核兵器の保有や使用の禁止はもとより、核によって核をけん制する、伝統的な「核抑止論」に批判的な条約だからだろう。北朝鮮の脅威が高まる折、これでは賛成できないと日本政府は判断したようだ。

 だが、日本は昨年5月、オバマ米大統領を広島に迎え、「核兵器のない世界」への誓いを新たにしたはずだ。米国が核軍拡路線のトランプ政権になったとはいえ、「唯一の被爆国」が核廃絶への弾みにブレーキをかけるのは違和感がある。

 被爆者団体は当然ながら日本政府の対応に不満を表明した。条約交渉会議の参加者から「母国に裏切られ見捨てられたという思いを深めた」(サーロー節子さん)などの声が上がったのも無理はなかった。

 「日本政府はがんじがらめなんですよ」と「平和首長会議」の小溝泰義事務総長は言う。米国からの圧力と北朝鮮の脅威の板挟みになったのに加え、「禁止」を先行させた条約案には、核保有国や同盟国が承服しにくい部分も確かにあった。

 そこで小溝さんは国連での条約案の討議で、核保有国が重視する「検証措置」などを盛り込むよう提案し、核保有国が参加しやすいように努めた。「批判もあるが、条約ができたこと自体が大きな成果。文言も批判しにくい内容です。不参加の国々の勇気ある方針転換を望みたい」

第二の「思想革命」を
 日本政府は被爆者と米国のはざまで米国を取ったようにも見える。誤解だというなら、日本は核廃絶の意思を行動で明確に示すべきだ。NPTも禁止条約も究極の目標は核廃絶。日本は二つの条約をめぐる国際的な対立をやわらげ、足並みをそろえることに努める。そして禁止条約への対応も再考すべきである。

 北朝鮮の脅威に対して、ある人々は言うかもしれない。「だから核は核でけん制すべきなんだ」と。だが、核兵器がある限り同様の危機は起こりうる。現状での核抑止力は否定せず、核廃絶へ全力を挙げるのが現実的で誠実な態度ではなかろうか。

 私たちは禁止条約が唯一無二の道だとは思わない。だが、同条約に反発する核保有国に問いたい。NPTが定める核軍縮の責務を果たしてきたか。核軍縮が遅々として進まないから非保有国は禁止条約の採択に動いた。問われるべきは核保有国の怠慢と、危機意識の欠如である。

 大阪女学院大学大学院の黒澤満教授は、禁止条約の前文にある「全人類の安全保障」について「個々の国同士の安全保障に加え、国際的で地球規模の安全保障を考える時代になった。そのように発想を転換すべきです」と説く。誤って核を使用する危険性も含めて、第二の「思想革命」が必要な時代になったのだろう。

 「原爆市長」によると、初の平和宣言には連合国軍総司令部のマッカーサー司令官も一文を寄せた。このままだと人類を絶滅させるような手段が戦争で使われるだろう。「広島」は全ての人々への警告だと述べ「警告がないがしろにされないように」と神への祈りで結んでいる。

 「唯一の核兵器使用国」の米国もかみ締めるべき言葉である。


  社説:沈黙の声は未来を語る 原爆忌に考える 
2017年8月6日 中日新聞

 蝉(せみ)しぐれがかき消しそうな八月の記憶と記録。「沈黙の声」は懸命に語っています。今を生きる人たちが、もう二度と、ヒバクシャにならないように。

 「三菱長崎兵器製作所大橋工場」-。長崎大学文教地区キャンパス正門前の木陰にたたずむ銘板=写真=です。

 <一九四五年(昭和二十年)八月九日、午前十一時二分、原子爆弾の炸裂(さくれつ)によって、爆心地から北約千三百メートルに位置した二十棟余の大橋工場は、一瞬にして、空洞化したコンクリートの巨塊と飴(あめ)のように折れ曲がった鉄骨の残骸に姿をかえた。原爆当時、大橋工場、茂里町工場など三菱長崎兵器製作所全体の従業員数は女子挺身(ていしん)隊、学徒報国隊を含め、一万七千七百九十三人。そのうち、原爆による死亡者は二千二百七十三人、負傷者は五千六百七十九人->

 当たり前のことですが、そこにはただ淡々と、被爆の記録が刻印されています。

 「この先が、林京子さんの小説『祭りの場』の舞台です」

 日本学術振興会特別研究員の四條知恵さんに、教わりました。

 四條さんは広島生まれ。広島平和記念資料館の学芸員を務めたあと、今は長崎大に籍を置き、“手のひらからこぼれ落ちていきそうな”被爆の記録と被爆者の記憶を集める仕事をしています。

 ことし二月に亡くなった作家の林京子さんは、大橋工場に動員された勤労学徒の一人。十四歳の時でした。その日のことを克明につづった「祭りの場」という作品で、芥川賞を受賞した。被爆からちょうど三十年後のことでした。

 正門のすぐ内側に立つ、長崎師範学校(現長崎大教育学部)の慰霊碑の周りでは、九日の慰霊祭の準備が始まっていて、ただ黙々と夏草刈りに汗をかく人の背中にも、祈りが見えるようでした。

「今」を描き続けた人
 長崎の街そのものがそうであるように、兵器工場跡のキャンパスも、凝縮された記憶を宿すタイムカプセルなのかもしれません。

 「歩いていると、被爆当時の光景が、立体映像のように立ち上がってくることがあるんです」。案内の足をふと止めて、四條さんが言いました。

 四條さんは一方で、被爆者個々に異なる記憶や体験が「怒りの広島」「祈りの長崎」というレッテルや、「恒久平和」「核廃絶」のスローガンへと安易に集約されてしまうことには、違和感を覚えます。林さんが「被爆作家」と呼ばれることをいやがったのと、恐らく同様に。

 <八月九日をなぜ私が書くか…>。林さんは「残照」という短編の中で、打ち明けます。

 <被爆者である私は九日の再発を怖(おそ)れ、(息子の)桂に伝わるかもしれない後遺症を怖れて、桂の父親が愛想をつかすほど不安を訴えてきた。(中略)思想にも政治にも無縁な、親と子が無事に生きていたいための、個人的な苦悩から出発した仕事なのだ>と。

 林さんは、“自ら血を流すようにして”現在進行形の不安や恐れを描き続けた人でした。過去よりも「今」を記した人でした。

 それはそのまま、平凡な日常や命の尊さを訴える、同時代への警鐘でもありました。

 <アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事(みごと)なセリフがある。-かくて破壊は終りました->

 「祭りの場」は、このように結ばれます。痛烈な皮肉でしょう。

 私たちは今現に、米国の核の傘の下にいて、核兵器禁止条約に署名すらできない国、隣国が打ち上げるミサイルに右往左往しながらも、長崎原爆の数千発分ともされる核物質との“共存”を続ける国で、平然と日々を送っています。

 一九四五年の八月六日と九日で、原爆の破壊が終わったわけではありません。七十二年の時を経た今もなお、原子の力はこの国を脅かし、蝕(むしば)み続けているのです。被爆地は未来を憂う預言者です。

平和とは何ですか?
 帰り道、涼を求めて飛び込んだ長崎市内の“スタバ”の壁に、ことしも掲示されていました。

 <長崎は戦後七十二年目の夏を迎えます。あなたにとって平和とは何ですか?>というメッセージ。この街の記憶も記録も文学も、今と未来のためにある-。預言者の言葉は、コーヒーショップの壁にも書かれているのです。


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2017-08-06 01:00:12 | 花/美しいもの
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