みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

【書評】「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか(開沼博 著)

2011-07-22 11:06:36 | 地震・原発・災害
8月6,7日の第二回「議員と市民の勉強会」が近づいているので、
参加者から課題のファイルが届き始めていて、気分は勉強会モード。
今回は、盛り沢山なテーマなので、気合を入れてちゃんと準備しなくちゃ。

明日は、京都でWAN(ウイメンズ アクション ネットワーク)サイトにかかわっている人たちの
拡大合宿があって出かけるので、きょうは自宅でお仕事。
並行して、夏服と冬服の入れ替えをしています(今ごろ!)。

伊吹山のお花をアップしようと思ったら、
「台風6号の影響で、3.1km地点で土石流が発生し調査と復旧工事のため、少なくとも7月25日(月)まで「通行止」』とのこと。

ブログの記事が長いとのコメントもありましたので(笑)、
きょうは短めの記事にします。

日曜日の朝日新聞の書評に、前に紹介した開沼博さんの著書、
「「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか」の紹介が載っていました。

事故直後の3月に上野さんちでお会いした時は、
「社会学的視点からフクシマの原子力ムラの論文を書いた」というお話だったのですが、
きゅうきょ青土社から本の形で世に出て、あっという間に、注目の一冊になりました。

【私の視点】福島原発事故:「信心」捨て自ら考えよう(開沼博)/議会の会派って必要?(朝日新聞)2011-03-31

出版にあたっては、上野千鶴子さんも、メッセージを寄せていらっしゃいます。 

原発は戦後成長のアイコンだった。フクシマを生み出した欲望には、
すべてのニッポンジンが共犯者として関わっている。
それを痛切に思い知らせてくれる新進気鋭の社会学者の登場!―― 上野千鶴子


ひとりでも多くのひとに読んでほしい本。

 「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか [著]開沼博
[評者]上丸洋一(本社編集委員)
2011年7月17日 朝日新聞

■能動的に原発を「抱擁」した歴史
 福島は、どのようにして「原子力ムラ」となり「フクシマ」となったか。その主題を「中央と地方」「戦後成長」との関係から追究する。約400ページの本書は一部を除いて3・11以前に書かれた。福島県生まれの若い研究者の学術論文が、未曽有の大震災をへて注目を集めている。
 「(原発が)ないならないほうがいい」
 著者のインタビューに福島県の50代の女性が答える。それでも「出稼ぎ行って、家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよりよっぽどいいんじゃないか」と。
 原子力ムラは自ら能動的に原発を「抱擁」(受容)している。その「幸福感」に著者は着目し、ムラを受動的な存在とみる見方を退ける。
 本書を読みながら、私は水上勉のエッセー「『原発の若狭』のこと」(青林舎刊『原発切抜帖(きりぬきちょう)』所収)を思った。
 郷里・若狭になぜ原発が集中するのか、水上が元小学校長の知人に尋ねる。「二男三男・子女」を「都会奉公」に出してきた「貧困な農漁民」が「世間なみのくらし」を求めて一手に引き受けてしまった、と知人が答える。
 「原発がきて、やっとのことで、都市と同格になった気もする」
 それぞれ固有の事情もあるにせよ、フクシマと若狭は深いところでつながっている。フクシマを知ることは、若狭を知り、日本を知ることだ。フクシマは「他者」ではなく「私たち」であることを本書は改めて気づかせてくれる。
 幸福感――。水上勉は先のエッセーにこうつづる。
 「都市生活者の二男三男よ。長男の国、辺境の寒村は、放射能まみれになっても、きみたちが、健康で、優雅な文明生活を味わえて、せめて、二DKのマンションでくらせるように、人のいやがる原発を抱えてがんばっているのだ、という声を、私は若狭の地平からきく思いがする」
    ◇
 かいぬま・ひろし 84年福島県いわき市生まれ。東大大学院の博士課程に在籍。専攻は社会学。



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「フクシマ」論  原子力ムラはなぜ生まれたのか
開沼 博 著 
201106刊/四六判/412頁
C0030 定価2310 円(本体2200 円)
ISBN978-4-7917-6610-9

“大文字” 言葉で書かれたものばかりの 「原発本」 の中で、福島生まれの
著者による本書は、郷土への愛という神が細部に宿っている。―― 佐野眞一

原子力ムラという鏡に映し出される戦後日本の成長神話と服従のメカニズム。
本書の刊行はひとつの奇跡だ。―― 姜尚中

原発は戦後成長のアイコンだった。フクシマを生み出した欲望には、
すべてのニッポンジンが共犯者として関わっている。
それを痛切に思い知らせてくれる新進気鋭の社会学者の登場!―― 上野千鶴子
開沼 博 著   


 現役東大院生が『原子力ムラ』を擁護!?  
日刊SPA! ‎2011年7月3日‎

復旧作業が続き予断を許さない福島原発。3・11以降も訳知り顔で福島原発を語る人は少なくないが、06年から福島原発の周りでフィールドワークを続けてきた社会学者がいた。開沼博――1984年、福島県いわき市生まれ。現在は東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍する若手社会学者だ。
 著者の開沼博氏は福島で「原発が止まると困る」という声にならない声にも耳を傾けている

開沼 私は06年から福島を中心に青森や新潟の原発立地地域とその周辺でフィールドワークを行ってきました。福島県いわき市に生まれ育ちましたが、必ずしもそれが研究の動機ではありません。動機は「日本の無意識」を明かすことでした。つまり、私たちの意識の中での「日本」のイメージは、時に「東京」や「先進国としての豊かさ」とヒモ付けられがちですが、そこに現れない無意識的なものこそが、実は日本を形作っているということを解き明かしたかったのです。そのためにも「東京=私たちの意識する日本」の源としてのエネルギーを支える福島、あるいは東北というものを見る必要があると考えました。・・・・
・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・ 


きょうの朝日新聞岐阜版には、「原発にこのまま頼っていけるのか?」という特集の「上」が載りました。
明日の「下」には、わたしのインタビューも登場します。
お近くの方は、読んでね。

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